身近なところで進む“変容”と“その方法”をご紹介する『沸かす人々』。第2回は、東京・新宿を変容させている人々に迫ります。新宿は、ビジネスや観光などで国内外から多くの人が集まる街です。一方、この地を地元として長きにわたり住み続ける人々も確かに存在します。そんな多彩な顔を持つ新宿で、江戸時代に流行した「内藤とうがらし」を復活させ名産品として広める人々がいます。それが「内藤とうがらしプロジェクト」です。プロジェクト発起人でリーダーを務める成田重行さんは、大手電機機器メーカーの定年退職を機に、地域開発プロデューサーとして日本各地の町おこしに携わってきました。なぜ「内藤とうがらし」に着目し、どんな活動を展開しているのか。そのストーリーをひも解きながら、変容へのヒントを探っていきます。
天を向く「八房」のとうがらしにひかれて
― 「内藤とうがらし」はどのような品種なのか、特徴を教えてください
内藤とうがらしは「八房(やつふさ)種」という品種で、葉の上に房状の実をつける姿が特徴です。実が天に向かってなるので「火が燃えているよう」「勢いが良さそう」などと言われますね。中国では「幸せ」「魔よけ」の象徴にもなっている、縁起の良い植物です。

内藤とうがらしは、葉の上に実が房状に付く「八房種」の一種。毎年7月から9月にかけて収穫時期を迎える
とうがらしの中では「鷹の爪」が有名ですが、内藤とうがらしは鷹の爪よりもマイルドな味わいで、香りとうまみが豊富です。アミノ酸を多く含んでいるので、料理に入れると味に深みが出るため、プロの料理人からも評価をいただいています。

内藤とうがらしは豊かな香りとうまみが特徴。そばの薬味やピザなど、和洋問わずあらゆる料理によく合う
― 成田さんが2010年ごろに「内藤とうがらし」と出会う前は、どのような活動をされていたのでしょうか
私は60歳まで大手企業に勤め、欧米を中心に世界を飛び回っていました。その当時はとにかく「大きいこと」ことが大事だと思っており、会社を大きくすることや、売り上げを大きく伸ばすことなどを重要視していました。
しかし、定年を迎えたときに、これ以上「大きいこと」を追求しても苦しくなるだけだと感じました。だから、その正反対の「小さいこと」をやろうと思ったんです。世の中には「小さいがゆえに面白いこと」もたくさんあります。
そこで、北海道から沖縄まで全国を渡り歩き、町おこしをプロデュースしようと思い立ちました。その地域を活性化させる「元気づくり」をしたいと考えたのです。
そうして全国30カ所で町おこしをするうちに、私なりの王道パターンが確立されてきました。それは、地域の歴史をひもとき、そこにしかない「オンリーワン」のものを見つけ、誰もが納得するようなストーリーを作っていく、というものです。とてもシンプルですが、そのストーリーは今の時代に見合っている必要がありますし、一過性のブームで終わらないよう、長続きする要素がないといけません。内藤とうがらしは、このやり方を新宿で実践してみた例なんです。

新宿のとあるビルの屋上で大事に育てられている内藤とうがらし。絶対に欠かせない水やりは、新宿メトログループの社員が毎日、交代で行なっている
大都会・新宿にも根付く「ローカル性」
― なぜ大都会の新宿という地で、町おこしに取り組もうと思ったのですか
地域開発プロデューサーの拠点として、以前から新宿に事務所を構えており、地方のお土産を買ってきては、近隣の方に配っていました。やがて「新宿でも何かやってくださいよ」などと言われるようになったのですが、私は新宿という大都会で「小さな活動」はできないと思っていました。
ところが、ある日転機が訪れました。講演会の後、参加していた少年から「僕は新宿に住んでいるのですが、親戚から『新宿は火事や犯罪が多くて物騒な場所だね』と言われて反論できずにいます。何か新宿が良く思われることはありませんか? 」と悲しそうな目で訴えられたんです。思わず、ハッとしましたね。
この大都会・新宿にも、地に足をつけて生活している人がいます。新宿のローカル性に気づいたことで気持ちが動き、このエリアに密着した「何か」を見つけたいと思いました。
― そこからどうやって「内藤とうがらし」にたどり着いたのでしょうか
町おこしの核となる「オンリーワン」のものは、地域の資料館や博物館などではあまり見つかりません。私はいつも、地域に長く住んでいる人に日々の生活について尋ねたり、その地域の資産家や豪商の歴史が書かれた家禄(かろく)を図書館で調べたりしています。
今回も家禄を何冊も確認したところ、江戸時代には内藤とうがらしの他にも、鳴子うり、早稲田みょうがなどの「江戸野菜」が栽培されていたことを知りました。この地域に昔からあるものですから、オンリーワンの候補になりそうです。ではなぜ、この中から内藤とうがらしを選んだのかと言えば、「将来、皆が面白がるようなネタがありそうだ」と感じたからです。
そして、内藤とうがらしには、生活に密着したストーリーがありました。新宿はかつて「内藤新宿」と呼ばれる宿場町でした。当時の絵を見ると、宿屋や茶屋などさまざまなお店が並ぶ傍らに、真っ赤なとうがらしの畑も描かれているのです。

内藤新宿とは、現在の新宿区新宿1丁目から3丁目に広がっていた甲州街道の宿場町。内藤とうがらしは、この一帯を治めていた内藤家の菜園周辺で栽培が始まったと言われている(資料:内藤とうがらしプロジェクト)
当時の江戸では仕事の合間にパッと食べられるそばが人気でした。当時、江戸っ子の多くは簡素な長屋に住んでいたので、風邪をよく引きました。そこで彼らは、漢方薬の代わりのような感覚で「薬味(七味)」をそばにかけて食べており、その中に内藤とうがらしが含まれていたそうです。

現在販売している内藤とうがらし入りの七味には、陳皮(みかんの皮)やさんしょう、ごま、麻の実、けしの実なども加えられている
こんなふうに江戸っ子たちを支えていた内藤とうがらし――。私は、そのストーリー性に着目しました。また、現代でもとうがらしは世界中で広く親しまれており、一味や七味などの調味料や加工食品、防虫・防臭スプレー、熊よけスプレーまで商品展開の幅も広いです。かわいらしい赤い実の見た目が印象に残りやすいこともあり、マーケティングの面でも有利だと考えたのです。
たった7粒の種から育て上げた
― 内藤とうがらしは明治時代以降の都市化に伴って、姿を消したと言われています。どうやって復活させたのでしょうか
復活に向けて最初に苦労したのは、種の確保です。古い図鑑に描かれていた絵を頼りに1年ほどかけて種を探し回り、ようやく種を7粒だけ入手することができました。
この7粒を絶対に発芽させ、育てないといけません。山梨県にあるそば畑の一角で種を育て始め、なんとか栽培に成功しました。今では多くの内藤とうがらしが収穫できています。
― 内藤とうがらしはどのように育てるのでしょうか。また、栽培する上でどのような点に苦労しましたか。
とうがらしは南国生まれの植物なので、日差しや水はけのよい土を好みます。環境さえ整っていれば、プランターでも育てられますよ。

収穫間近の内藤とうがらし。新宿メトログループの飲食店などで料理のアクセントとして使用される
最近は暑さが厳しく、日差しがとても強いので「とうがらしがよく育つだろう」と思われるかもしれません。しかし、日本で育った苗は日本の気候に慣れているため、人間と同じようにこの暑さに参っていて、今年は背丈がやや低く育っていますね。
内藤とうがらしは、とうがらしの中でも「劣性遺伝(潜性遺伝)」の品種と言われています。そのため、自然の状態で育て、蜂や鳥などが花粉を運んで受粉させていると、普通の姿のとうがらしに戻ってしまう(先祖帰り)傾向にあります。
実は2020年ごろまでは、新宿の方々に種や苗を分けていたんです。しかし、各家庭で育った内藤とうがらしは、こうした植物の特性を知らず、自由に育てているうちに、本来の姿とはかけ離れた形で育っているものが見受けられるようになりました。そのため、現在は種や苗を配らず、提携農家さんの協力のもと、限られた数だけ生産し、全量買い取りしています。
小学校を起点に「共感の輪」を広げていく
― 「内藤とうがらしプロジェクト」は、2010年に発足し、15年にわたり活動が続いています。プロジェクトの目的や活動内容についてお聞かせください
プロジェクトの目的は、現代によみがえった内藤とうがらしを通して新宿の子どもたちに地元の歴史や伝統を教え、誇りを持ってもらうことです。
これまで10年連続で、新宿区内の小学校で新宿の歴史や内藤とうがらしに関する授業を行い、延べ1万5,000人以上の受講生を輩出しています。
毎年春になったら小学校に内藤とうがらしの苗を持っていき、栽培をしてもらいます。子どもたちと一緒に夏に実がなったら収穫し、給食の材料に加えるなどして食育活動を行います。秋には実を加工して、七味や防虫スプレーを作ります。こうした活動の合間で私の講演やプロジェクトで制作した絵本、冊子などを通して、地域の歴史を学ぶ機会を提供しています。

高学年の小学生が、低学年の小学生に工夫した育て方やレシピを教えるなど、年々、オリジナリティーに富んだ活動が広がっている

絵本や冊子、イラスト、紙芝居などで分かりやすく内藤とうがらしの情報を発信
― 小学校以外では、どのような活動を行っているのでしょうか。
基本的に、小学校以外では自発的な活動をしていません。小学生に内藤とうがらしのことを伝えると、家庭で「とうがらしの実が好きな動物って何だと思う?」のように、教わったことを話します。それを聞いて活動に共感した大人が他の大人に話し、やがて自治体や企業の耳に入り…と、自然に存在が広まっていきました。現在は、地域の企業、学校関係者、福祉作業所、商店街など、さまざまな分野に支援者がいます。
町おこしでは、こうして共感の輪を広げ「地域の名産品を守り、広めよう」という思いを自然発生させることが重要だと感じています。その起点となるのは「熱意」です。私が熱っぽく子どもたちに語り、それを聞いた子どもが周囲に熱っぽく語る…と、その熱意が周囲に伝わり、町中に広がっていけば、誰かが旗を振り続けなくてもムーブメントが広がっていくんですよ。
― 共感の輪を広げていくことが重要なのですね。他に意識していることはありますか
知名度が上がってくると、新宿以外の地域での販売も提案いただきますが、新宿以外では積極的な活動はしていません。内藤とうがらしを「ここにしかないもの(オンリーワン)」にすることで、世界中の人を新宿に呼び込みたいんです。
また、内藤とうがらしの生産量には限りがあるため、大量生産、大量販売の事業には向きません。いかに内藤とうがらしを皆さんに楽しんでいただきつつ、少ない量でその価値を高めていくのかを、いつも考えていますね。

「早稲田文豪七味」や「新宿二丁目レインボー七味」など、新宿界隈の地域の特色をモチーフにした七味も販売している
ー 最後に、今後の展望についてお聞かせください。
これからも小学校を起点とした活動を続けながら、新宿の特性でもある「多文化共生」に関する活動も行っていきたいと考えています。内藤とうがらしはさまざまな調味料や食材と混ぜたり、合わせたりして使うことで、料理に変化をもたらします。こうした「脇役、お助けマン」的な要素を生かし、海外にも内藤とうがらしを広めていきたいです。
また、2024年には、新宿御苑で内藤とうがらしを今に伝える「新宿エコ・カル」というイベントを開催しました。近い将来、新宿で「世界こども・とうがらしサミット」を開催したいと考えています。夢は広がるばかりですね。

外国人観光客も親しみやすいよう、内藤とうがらし入りの麺も販売する

【プロフィール】
内藤とうがらしプロジェクトリーダー
成田 重行(なりた しげゆき)
大手電機機器メーカー オムロンを定年退職後、地域開発プロデューサーとして全国各地の町おこしに携わる。2010年に内藤とうがらしプロジェクトを立ち上げ、とうがらしの栽培や食育、ブランディングなど多方面からプロジェクトをけん引している。


