急激な変化を遂げた街・豊洲。ユニアデックスの社屋があるこの土地を、もっと見たい、知りたい!豊洲で働く人、豊洲に関わりのある人にフォーカスして、仕事現場を訪ねます。
豊洲駅にほど近い8階建てビルの屋上で、白ずくめの防護服姿で作業をする不思議な集団。なんと、都会の真ん中で「みつばちプロジェクト」が進んでいます。この日採取されたハチミツはおよそ5.5キログラム。2014年に地元商店街「豊洲商友会協同組合」の有志メンバーでスタート。発起人は理事長でもあり、豊洲で4店舗の飲食店を経営する「三栄堂」社長の渡辺哲三さん。みつばちプロジェクトのこと、豊洲で生まれ育った渡辺さんご自身のことをお聞きしました。
渡辺さん 飲食店をやっていると、地元のものを扱いたいなって思うんですよ。地産地消ですね。豊洲で何ができるだろうって考えたわけですよ。うちの親父は戦後すぐ、晴海で芋と塩を作っていたことがあるんだけど、まさか今そんなわけにはいかないし。その時、ハチミツはどうだろうって思いついたんです。『銀座ミツバチプロジェクト』さんのことを知ってね、銀座でできるんだったら豊洲でだってできると思ったんです。ただ、豊洲商友会協同組合の仲間に声をかけたら「ハチミツかい?」って誰も乗ってこないんですよ。「花なんてあるの?」って。そこを、押し切りました。街路樹がけっこうあるし、当時はまだ草っぱらも残っていたんです。商店街で花を植えたプランターもそろえました。まあ、プランターの花では蜜源には足りないんですけどね。
銀座ミツバチさんにいろいろ指導してもらってね、6年目の今も継続して来てもらっているんです。何しろ、全員素人ですから。最初の年はセイヨウミツバチを1群で1箱置きました。1群はだいたい7,000~8,000匹です。最初の年は、素手で作業をしたんですよ。銀座ミツバチさんが素手だったから、じゃあ我々もってことでね。手にハチが群がって、うわーって感じでしたけどね、むしろ素手のほうが刺されなかったんじゃないかな。2年目からは2群の2箱にしたんです。ちょっと気を抜いた時なんかに刺されたりして、手袋をしたり靴下部分のカバーを作ったり、あれこれ対策を取りながらやってきました。そう言えば、巣箱の近くで大きなスズメバチを見つけた時、私、ほうきを持って戦ったことがあるんですよ。バーンと敵を一撃したら、助けたミツバチに刺されたんですけどね。
去年は100キログラムくらいのハチミツが採れました。今年はどうかな。早々にハチが巣分かれする分蜂が起こっちゃってね、2箱のはずが4箱になっちゃったんです。うまくいくといいなあと思います。今年は3回採蜜したところです。8階ビルの屋上から2~3キロメートルもハチは飛ぶらしいんです。毎年、春の最初に採る蜜は、桜の香りがするんですよ。その後は、あちこちで集めてくるんだろうと思います。ハーブの香りの、なかなかおいしいハチミツが採れるんですよ。
私は生まれも育ちも、豊洲です。軍人だった父は、戦後晴海で海水から塩を作ったり野菜を育てたりした後、勝どきで共同のパン屋を始めたんですね。それで昭和24年に、都が豊洲の土地を分譲するっていう時に、手を挙げたわけです。ただお金があまりなくってね、50坪単位の分譲だったんだけど、うちは八百屋さんと土地を2つに分けて25坪を買って「三栄堂」っていうパン屋を始めたんです。今の「パティスリーSAKURA」の場所です。両親が店を始めた3日後に私が生まれたから、創業も私の年も今年で70歳ですよ。商売が順調に伸びて手狭になったもんだから、私が小学校に上がる前には現在シエルコートのビルが建っている角地に土地を買って移ったんです。親父からすると、地形を見てここが将来豊洲の中心になるだろうって思ったらしいんですね。
親父自身は職人になる気はなかったみたいです。従業員を雇ってパンのほかに洋菓子と和菓子も販売するようになりました。私が豊洲小学校に通っていた頃、卒業式や入学式の時に学校でもらう赤飯やまんじゅうはうちで作っていたものでしたね。
長男ですから、後を継ぐっていうのは頭のどこかで考えてはいたんだけどね、正直なところもっと男っぽい商売をやりたい気持ちもあったんです。外国へ行って、この先の自分の生き方を見つけようと思って、大学を卒業してすぐ友達と一緒に旅に出たんです。ヒッチハイクしながらのバックパッカー旅ですよ。親父は大反対でね、「勝手にしろ」って言った手前、お金は一切出してくれなかったんですけど、一眼レフのカメラを持たせてくれたんです。何かの時には現金に換えられるだろうってことだったと思います。
行くならやっぱり明るい雰囲気で、情熱的な女性がいそうなスペインだ、って思って出発しました。まずは横浜港から船でナホトカへ。電車でハバロフスクまで行ったら、生まれて初めての飛行機でモスクワへ。そこからはフィンランド、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、オランダと回りました。でも気づいたの。スペイン語以前に英語が喋れないって。イギリスに渡って語学学校に通いましたよ。でもお金がかかりすぎてね、次はアメリカへ渡ってカリフォルニアの農場でガーデニングの仕事を見つけました。炎天下の芝刈りです。アメリカには無料で語学が勉強できる学校もあってね、さあ、これからだっていう時ですよ。吐血して、体調を崩して働けなくなっちゃったんです。4~5年のつもりが、8カ月で帰国ですから、もう挫折感だけですよ。レストランさえ入ったことがなかったしね。貧乏旅行ですから、スーパーで買った野菜やハムを食べるくらいでした。スペインにもたどり着けなかったね。写真? それが1枚もないんですよ。出入国時の検査で、フィルムがやられちゃったみたいで、全部感光していたんです。
挫折して帰国したけれど、それまで私の育った環境にはいつも食べ物の商売があったわけで、自分も豊洲で同じことをやってきたってことですね。20代の頃、うちはもう自家製パンや洋菓子の製造はやめていて、ヤマザキパンの販売をしていたんです。ただシエルコートが建った13年前、豊洲に焼き立てのパンが食べられる場所があったらいいなあと思って、パン屋の「ぺル・エ・メル」を始めました。私自身パンの焼ける匂いで育ったから、思い入れがあるんです。おしゃれな街にはパン屋があるものです。それと、美味しいケーキ屋もね。
三栄堂を始めたあの場所に「SAKURA」をオープンしました。近所の人が気軽に集まってワインが飲める店も欲しいじゃないですか。それで、「バル・ブレッツァ」。経営する側にとっては、違う業種の店は従業員のやりくりが大変なんですよね。でも、私は豊洲の街に興味があったんですよ。魅力的な街にしたかった。
うちの商店街は、土地が限られていることもあって裏通りに新しく店が増えることもかなわなかったんですけど、都営豊洲4丁目アパートの解体が進んでいて、周辺は変化していくはずです。豊洲でジャズを聴いてお酒が飲めるようなライブハウスがあったらいいなあとか、若い人が挑戦できる店舗があればいいなあとか、いろいろ考えるんですよ。商友会のメンバーで勉強会もしているんです。新しい取り組みにトライしないと。万一駄目でも、時間をかけて勉強したり話し合ったりしたことは無駄にはならないからね。今の豊洲には何が必要だろう。変化する街だからこそ、楽しみです。
【トヨスのグッとポイント】
豊洲みつばちの取材時にグッときたポイントを紹介します。
<三栄堂>
住所:東京都江東区豊洲5-5-1-418
TEL:03-3531-2335
<店舗>
「ペル・エ・メル」石窯ベーカリー&カフェ
住所:東京都江東区豊洲5-5-1 シエルコート1F
TEL:03-3533-9588
「バル・ブレッツァ」ワインとスパニッシュイタリアン
住所:東京都江東区豊洲4-7-2
TEL:03-3532-5511
「パティスリーSAKURA」スイーツ&カフェ
住所:東京都江東区豊洲4-2-2
TEL:03-3531-3521
「オン ザ カナル」水辺のレストラン&ベーカリーカフェ
住所:東京都江東区豊洲6-2-10
TEL:03-5547-4631
写真:阿部了 文:阿部直美
関連サイト
「トヨスの人」第2回:昭和天皇の布団を作った職人 (2019年4月16日号)
「トヨスの人」第1回:海を走るバスの運転士さん(2019年2月26日号)