今回のインタビューは、2011年にリニューアルオープンしたサンシャイン水族館で行われました。リニューアルに際しては、水族館プロデュサーの中村 元さんのノウハウだけでなく、スタッフと一緒につくり上げるプロデュース力がカギになりました。また、今水族館に求められることは何かについても語っていただきました。

スタッフと一緒に水槽をプロデュース

-今日、お話を伺っているサンシャイン水族館の最初の展示で、アシカの空中遊泳が見られました。楽しい景観ですね。

アシカの空中遊泳は僕だけで考えたら、絶対に考えられない試みです。僕は水族館をプロデュースさせていただくとき、職員みんなでつくりあげていくという考えで、ワークショップを開いています。
まず、僕の方で方向性に、「大人をターゲットにすること」と、「『水塊(すいかい)』という水中観を大切にする」ことだけを決めました。そしてそのために何をするのか皆でアイデアを出し合いましょうと、飼育スタッフだけでなく営業の人にも入ってもらいました。

営業担当者から、「頭の上をチューブが走っていて、そこを魚が泳いでいれば面白い」という意見が出ました。実に素人的な発想でしたが、これを進化させようと考えたのです。そこで魚ではなくアシカにしたら面白いかもしれない、ドーナツ型にしたら水も少なく済むだろうと、どんどんと意見が出てきました。ワークショップのルールに、「意見に対して否定しない」ことがあります。提案に対して、それを成功させるために何が足りないか、何が必要か、何をすべきかを出し合います。
サンシャイン水族館は、職員の皆さんのアイデアからできているのです。

画像: サンシャイン水族館の屋上にあるドーナツ型水槽

サンシャイン水族館の屋上にあるドーナツ型水槽

-中村さんは、スタッフの方のモチベーションを上げるのが上手なのでしょうね。

特別なことはありません(笑)。
ただ、固定概念を排除すること、あまり認めてこなかった意見を取り上げることには気をつけています。もともとみんな能力も知識もある。いろいろなことを考えているはずだから、そこを引き上げると、何か面白いことが実現するのです。
ただし、最初から決めている方向性だけはぶれないようにすることも大切です。

-中村さんは「水塊」という言葉を使われますね。水塊について教えてください。

初めて「水塊」という言葉が頭に浮かんだのは、沖縄美ら海水族館を見たときです。圧倒的な水量を見て、これは生物を見て驚くのではなく、巨大な「水塊」に驚いているのだと思ったのです。大切なことは、水槽が大きければよいということではありません。水の存在感だったり、水の中にいるような感覚だったりすることなのです。

-サンシャイン水族館で一番大きな水槽でも240トンだと伺いました。240トンは大水槽としては少ない方だと思うのですが、どうやって水塊を表現するのでしょうか。

以前、ミュージカルを見たとき、大道具で再現されている舞台背景が、実際の舞台のスペース以上に奥行き感を持って迫ってくるのを感じて、これを水槽の中で演出できないだろうかと考えました。
舞台では光と影によって奥行き感を出しています。普段の陸上でも、遠くのものは空気の粒子によって色が薄くなります。ここの大水槽でも、ダミーの珊瑚礁は奥に行くほど色を黒っぽくさせました。
さらにガラスや壁面の曲線は、大きめにする。人は角が見えないと、そのまま先があるように感じるのです。サンシャインの大水槽はおにぎり型になっています。

さらに、奥に行くほど水底を上げるなど、遠近法を使った工夫をしました。この遠近法もスタッフからの提案です。実は、最初は、僕はやり過ぎじゃないかと思ったのですが、スタッフからやってみましょうと押されて試みたら、大成功しました。

画像: -サンシャイン水族館で一番大きな水槽でも240トンだと伺いました。240トンは大水槽としては少ない方だと思うのですが、どうやって水塊を表現するのでしょうか。

水族館を大衆文化として花開かせたい

-中村さんが水族館をプロデュースするときの発想で大切にしていることはありますか。

「弱点を武器にする」ということです。実は弱点が水族館の特徴になるのです。人間も同じ。長所は、みんな同じように持っているものです。そこで勝負しようと思っても、結局、長所がより優れている方に負けてしまう。逆に、誰も使わない弱点を利用すれば、弱点が特色をつくり、他と差別化することができます。大切なのは、弱点を克服しようとするのではなく、利用しようと考えることです。

2012年に山の水族館(北の大地の水族館・北海道北見市)をプロデュースしました。冬になると、ここは本当に寒くて人が来なかった。寒いことを克服しようと思えば、ドームを作るしかない。予算もないし、気温やサイズを考えても沖縄には負ける。では、寒いという弱点を利用しましょうと、世界で最初の凍る水槽を作りました。普段は川として流れていますが、冬になると凍って、氷の下に魚がこっそりいる様子が見られるのです。
おかげで凍る頃になると、毎年のように東京のテレビ局が取材に来てくれるようになりました。

画像: -中村さんが水族館をプロデュースするときの発想で大切にしていることはありますか。

-中村さんは、これまで発想の転換を何度もされてきたと思います。その方法を教えてください。

僕はよく、発想の転換がすごいと言われますが、決してそんなことはありません。ただ、弱点を使ってどうやって進化するかを考えています。天才でも、秀才でもない人が、今までにない発想をするためには、何かを使わないと無理。僕は自分の弱点を使っています。弱点を冷静に見つめ、追い込んで、追い込んで、追い込んでいくと、裏道が見えてくる。その裏道を通るときが、発想の転換になります。常識だと思っていることを、「それは実はおかしいのではないか」と考えること、あるいは弱点を別の位置から見てみることです。

自分は生物のことを知らない。でもそれは、お客さまに近いことなのだと。自分は飼育係の中では弱点だらけなのだけれど、お客さまに近いという点では自分が一歩進んでいると考えています。そこに進化の道があるのです。
進化は一歩一歩。突然の発想の転換ではなく、どうやって進化していくのかを考えた方がいいのではないかと思います。

-今後どんな水族館をつくっていきたいですか。

水族館を大衆文化として花開かせたいと思っています。もっと言えば水族館だけでなく、日本の博物館、美術館を大衆文化にしたいと思っている。その先鞭を付けられるのが水族館だと思っています。
もともと芸術や教養を楽しむ博物館文化は、貴族が楽しむハイカルチャーで、ヨーロッパで始まっています。それが革命以降、庶民が楽しむため、庶民がつくるマスカルチャー(大衆文化)となった歴史があります。ですから欧米の美術館や博物館はスーツを着た人が来ても、ジーパンをはいている人が来ても違和感がありません。日本の水族館もどんな人でも楽しめるようにしたい、大衆文化にしたいのです。そうしたとき、日本の文化施設はもっと利用されるようになるのではないかと思っています。それが僕の目指しているところです。

画像1: -今後どんな水族館をつくっていきたいですか。
画像2: -今後どんな水族館をつくっていきたいですか。
画像3: -今後どんな水族館をつくっていきたいですか。
画像: プロフィール 水族館プロデューサー 中村 元(なかむら はじめ) 1956年三重県生まれ。1980年大学卒業後、鳥羽水族館に入社。飼育係やアシカのトレーナーを経験。企画室長などを経て副館長に就任。2002年鳥羽水族館を退社、フリーランスの「水族館プロデューサー」となる。2002年、新江ノ島水族館プロデュースと展示監督。2011年、サンシャイン水族館をプロデュース。2012年、山の水族館をプロデュース。著書多数。

プロフィール
水族館プロデューサー
中村 元(なかむら はじめ)

1956年三重県生まれ。1980年大学卒業後、鳥羽水族館に入社。飼育係やアシカのトレーナーを経験。企画室長などを経て副館長に就任。2002年鳥羽水族館を退社、フリーランスの「水族館プロデューサー」となる。2002年、新江ノ島水族館プロデュースと展示監督。2011年、サンシャイン水族館をプロデュース。2012年、山の水族館をプロデュース。著書多数。

感動する水族館を生んだ「顧客視点のプロデュース」とは?(前編)-水族館のプロデュースはマーケティングから:プロフェッショナルから学ぶ「仕事の心」第5回(2016年7月12日号)

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.