『沸かす人々』では、身近なところで進む ❝変容❞ と ❝その方法❞ をご紹介します。第1回は、盛岡市を変容させている人々です。
全国の地方都市で、若者を中心とした人口流出に歯止めが利かない状況が続いています。各地方自治体がこうした状況にあらがう策を練る中、盛岡市が官民連携で取り組む、関係人口増加に向けたプロジェクトに注目が集まっています。2018年から始まった「盛岡という星で」プロジェクトは「関係人口」に着目し、盛岡の街や人と多様に関わる人々を増やすためにSNS等での発信を行ってきました。これまでの自治体による施策とは一線を画す発信は着実に支持者を増やし、Instagramのフォロワーは1万人超え。移住相談も増加しています。さらに、NYタイムズの「2023年に行くべき52カ所」で盛岡市が紹介されたことも後押しとなり、その注目度は一層高まっています。そこで今回は、「盛岡という星で」プロジェクトに携わる盛岡市 市長公室 都市戦略室の勝又洸樹さん、プロジェクト全体のクリエーティブディレクションなどを担っている合同会社ホームシックデザインの清水真介さん・八重樫裕さん・天間苑佳さんにお話を伺いました。制約が多い印象のある自治体の取り組みで、なぜこれだけチャレンジングな取り組みが実現したのか。そのストーリーの裏側に、地方創生やイノベーションなど変容へのヒントがあるはずです。
SNS発信を中心に盛岡市の魅力を伝える「盛岡という星で」プロジェクト
――「盛岡という星で」プロジェクト(以下、盛星:もりほし)のビジュアルブックやマガジンは、どれも素敵ですね。今までどのような発信をしてきたのでしょうか。
清水 このビジュアルブックは、移住・定住のための冊子なのですが、移住についてはほぼ触れずに盛岡の日常や空気感を切り取り、載せています。加えて、日々の生活の文化、食などさまざまな切り口から盛岡のことを情緒的に紹介しています。
Instagramを中心としたSNSの発信を軸に、定期的なイベントの運営、街歩きツアーの運営、ファンクラブ的なサービス、移住の相談など複数のプロジェクトが同時進行中です。
勝又 2018年からSNSでの発信を中心にプロジェクトがスタートし、2021年には官民連携による若者の地元定着や関係人口の創出・拡大の取り組みの拠点として「盛岡という星でBASE STATION(以下、ベースステーション)」を設置しました。リアルな場での交流がかなうようになり、活動の幅も広がったと実感しています。
「関係人口」を増やすには、受け手の熱量に応じた段階を踏んで情報発信をしていくことが大切
――さまざまな方法で発信をされているのですね。盛星プロジェクトが始まった経緯を伺えますか。
勝又 盛岡に限らず、地方都市では若者を中心とした人口流出が止まらない状況です。そこで盛岡市は、いきなり移住・定住者の増加を目指すのではなく、「その地域に居住していないものの、出身者や勤務経験者であるなど、その地域との継続的な関わりがある人」という「関係人口」の考え方に着目しました。盛岡に住んでいる「定住人口」ではなく、観光で来た「交流人口」でもなく、盛岡とゆるやかに、かつ継続的につながってくださる「関係人口」、いわば盛岡のファンを増やすことで、最終的に移住・定住の増加につながると考えたのです。
そこで2018年に官民連携で関係人口を増やす取り組みを行うため、複数の施策の協力事業者をプロポーザル方式で募りました。ホームシックデザインさんにもそのプロポーザルに参加いただきました。
清水 私たちは、移住・定住のパンフレット制作や情報発信などのプロポーザルに参加しました。しかし、それを配るだけでは関係人口を増やすのは難しいと考え、まったく違う提案をしたんです。提案したのは大きく2つ。
1つは、個人の熱量に合わせて段階を踏んで情報発信をしていくこと。まずは盛岡について考える時間が0から1になる。その後、盛岡の食に興味が湧き食べ物を取り寄せたり、盛岡にまつわる場所に出向いたりと、盛岡と関わりを持つささやかな行動をする。そうしてコミュニティーを形成しやすい状態が生まれ、盛岡のことを考える人がさらに増え、ここでやっと関係人口が増えていく、という段階的な流れです。
2つ目は、SNSを活用しましょう、という提案です。パンフレットを手に取る人は元々移住・定住に興味がある、既に関係人口である人が中心です。そのため、それより前段階の熱量がまだ低い人にアプローチするには、そうした人とも緩くつながることができるSNSでの発信
が良いのではないかと提案しました。
勝又 市役所としては、関係人口に「段階」があるということは、清水さんからの提案があるまでは考えが及んでいませんでした。SNS発信が良いという提案は、新たな気付きになり、一緒に取り組んでいくことに決めました。
――SNSの打ち出し方やビジュアルイメージも、プロポーザルの時点で提示していたのでしょうか。
清水 プロポーザルの時に方向性は提案していました。フォトエッセイのように写真とテキストを使い、ストーリー仕立てにすること。そして、従来のメディアがやっているような分かりやすく観光的なものを取り上げるのではなく、その間にある小さな盛岡らしさのカケラのようなものを見せる方が盛岡の良さを表現できるのではないかと提案しました。
盛岡の人は、宮沢賢治や石川啄木の影響か、ロマンチックな人が多い印象で、同時に頑固で古典的な気質を持つ人がこだわって仕事をしているイメージもあります。そのような背景から、表立って張りきって作るイメージではなく、全体的にエモーショナルに、ポエティックに仕上げたいとお伝えしました。
――そのような表現方法は、官民連携の施策では画期的かと思います。その分、事業化のハードルも高かったのではないでしょうか
清水 「新しいことをやりたいのだったら、今まで見たことのないものを選んだ方がいい」
とプレゼン時には強い想いでお伝えしました。見たことのあるような、一見安心感のあるアウトプットだと、革新的な良い結果にはつながらない。新しいものでないとイノベーションは起こせないと思ったからです。打ち上げ花火のような派手な施策でもないので、プレゼンを聞いて、「これで本当に人は集まるの?」と思った方もいたかもしれません。しかし、SNSをメインツールとし、じわじわと盛岡について発信していく方が、関係人口を増やすための段階にも合うと思い、この手法が最適だと考えるに至りました。
勝又 予算の兼ね合いなどから、即時的に成果が出るものを選びがちな自治体も多いと思います。そのような中でこの取り組みを事業化できたのは、当時の担当者の熱量が高く、効果があると信念を持って関係各所と調整を進めたことも大きな理由だと私は思っています。関係する事業者の皆さんも協力的で、そのおかげもあり2年目以降SNSのフォロワーも伸びてきたので、市役所としても効果を実感し、プロジェクト全体がうまく回っていくようになりました。
清水 そのうち地元のメディアにも取り上げてもらい、SNS世代でない人にもこの取り組みが伝わったのも良かったですね。
やらなくても良いことを、あえてやる
――実際にコンテンツを作る中で、意識していることはありますか。
八重樫 「盛星」らしい温度感を大切にしています。例えば、写真は雑誌のように「これを撮ろう」と撮影をしに行くことはあまりなく、ふと歩いていて「あ、これ、なんか盛星らしいかも」と思った日常的な瞬間を切り取るようにしています。テキストも、観光本で伝えているような内容ではなく、盛星にしかできないタッチになるよう意識しています。
天間 投稿する日が雨だったら、雨の写真を投稿するなど、天気や発信する時間帯にも気を付けています。数字に直接つながるものではないかもしれませんが、そのような細かなニュアンスを大切にしないと、大きな結果にはつながらないと思っています。
――「盛星」らしさとは、何だと思われますか。
八重樫 なかなか一言では言い表せないのですが、ハレの日のことを紹介するのではなく、日常の何気ないことに目を向け、取り上げること。やらなくても良いことを、あえてやることだと思います。
例えば、Instagramの投稿の中には、あえて何の変哲もない全国チェーン店を撮影した投稿もあります。でも、その写真を見ると「なんだかこの景色、なじみがある」と自分ごととして捉えられる。テキストも、「洗剤と、醤油。あとひとつあるんだよな。ないのが。なんだっけな。」のように、日常の情景が自然と浮かんできたり、共感できるような内容にしています。
天間 盛岡の良さは、住んでみないと分からない部分も多くて。その良さをSNSを通して丁寧に伝えていくのがわれわれの命題だと思っています。
清水 例えば、15秒の短いCMで盛岡の良さを伝えきることは難しいと思うんです。SNSのように、積み重ねで多角的に見せないと盛岡の日常にある良さは伝えきれないと思います。
官民連携で大切なのは、それぞれの立場を思いやり対等な共同関係を築くこと
――盛星プロジェクトがスタートして5年経ちましたが、効果を実感することはありますか。
勝又 SNSの総フォロワー数は2万人を超え(2023年12月現在)、関係人口は拡大傾向にあります。行政が実施しているSNSの施策でここまで大きいものはなかなかないと思いますし、5年間でこの規模に成長したことに驚いています。
移住相談会や東京でのコミュニティーイベントでは「このアカウントって本当に市がやっているんですか?」「盛岡を思い返すきっかけになっています」など嬉しい声も大変多く、盛星プロジェクトのお陰で、盛岡愛にあふれたファン層も獲得できていると実感しています。
――移住相談も増えているようですね。
勝又 2023年の1~10月の移住相談は前年同期と比べて約2倍に、市の施策を活用して移住した人も増えているので数値にも表れています。移住される方のボリュームゾーンは20代後半から40代前半と、若年層の方に盛岡を選んでいただいているのも嬉しいです。
――他の自治体からも注目を浴びているのではないでしょうか。どのようなアドバイスを送っていますか?
勝又 ありがたいことに、最近視察が増えてきました。その際、一担当者のアドバイスにはなるのですが、「官民連携で大切なことは、それぞれの立場を思いやり、対等な共同関係を築いていくこと」だとお伝えしています。この盛星プロジェクトも、関わってくださる関係者の皆さまが市の事情や制約などをくみ取っていただいた上で、前向きな提案をくださることが多いんです。その配慮と気概に応えられるよう、行政側もそうした自由な提案をしてもらえる環境を作っていくことが必要だと思います。
清水 立場や視点を互いに共感しあえる関係性であることもポイントだと思います。プロジェクトを推進する中、意見がまとまらないことも出てきます。その際に行政側の視点・民間側の視点をお互いが両方持った上で、本音ベースで話し合い、落とし所を見つけていくことも大事だと感じています。
勝又 また、最初に決めた方針を1年間やるというより、ちょっと違うと思った部分はその都度修正したり、失敗したら調整していくなど、いわゆるアジャイル的な進め方も特徴です。随時コミュニケーションを密にとりながら進められる関係性であることも強みです。
加えて、本プロジェクトを管轄する都市戦略室が庁内で担う役割も、プロジェクト全体の自由度の高さに寄与しているかもしれません。というのも、私が所属する都市戦略室は「挑戦を許されている」部署で、盛星のような、従来であれば異色とも捉えられる取り組みでも、庁内の合意形成が取りやすい立場にあります。こうした土壌も、盛星を推進するにあたり、なくてはならない環境の1つだったと思います。
――盛岡は、NYタイムズで「2023年に行くべき52カ所」の1つに挙げられていました。この評価について、思うことはありますか?
八重樫 純粋に嬉しかったです。掲載されていた内容は僕が実際にしている週末の過ごし方と内容が近く、僕が思う盛岡の好きな点も多く紹介されていました。ただ、NYタイムズに書かれている内容を、ぱっと観光に来た人がそのまま体験できるかというと、少し難しいのかもしれない。盛岡の人は、宣伝下手なところがあり、良さが埋もれている部分もあるんです。そんな部分を盛星プロジェクトでじわじわと発信していきたいとも思っています。
―― 今後、「盛岡という星で」、そして盛岡の街はどのように発展していく、もしくは発展させたいと思いますか?展望や想いをお聞かせください。
勝又 ベースステーションを起点にプロジェクトをより広げていくために、市外向けと市内にそれぞれに向けたアプローチが必要だと考えています。市外向けとしては、関係人口が増えてきた中で、その方々との関係性をさらに深めるファンクラブサービスの「MORIOKA CONNECTION ID」の展開を2023年7月1日から始めました。このサービスにより関係人口の方々とのつながりが可視化され、ベースステーションが機能し、コミュニケーションが生まれる場になればと考えています。
市内向けには、ベースステーションの活用方法を紹介し、この場がより地元の人たちに浸透してほしいと思っています。現在も、市内の学生に向けてベースステーションの場所貸しや、拠点主催のイベントを開催しています。盛岡は、進学や就職で若者を多く東京に送り出している都市。学生のうちから市として若年層とのつながりを強化しておくことは大切だと考えています。
最終的には、市内の人と市外の人がベースステーションをきっかけにつながり、イノベーションがどんどん生まれていくような、そんなプロジェクト・拠点になればいいなと思います。
天間 ベースステーションが誕生したことは、盛星プロジェクトの中でも大きな出来事だと思っています。実際、転勤で盛岡に来た際にベースステーションを活用してくれた方が、盛岡を離れた後に、再び旅行で遊びに来てくれることもあります。盛岡に戻る場所があると思ってくれる人が増えるように、発信をし続けていきたいです。
八重樫 盛岡がメディアに取り上げられる機会が増え、観光者も多くなり、嬉しい反面「今後どうなっちゃうんだろう……」というドキドキも少しあります(笑)。そのような中、引き続き移住や定住につながる盛星らしい発信をし続け、1日1分でも盛岡のことを感じてもらう人を増やしていくことが僕たちの役割です。また、その発信を通して、僕らが好きな盛岡らしさも表現していけたらいいなと思います。
清水 盛星のSNSは、盛岡の小さくてニッチな良い部分を発信し続けてきたことで、網羅性が高く、価値のあるメディアになったと思います。ただ、SNS発信にも限界があり、より多くの人に知ってもらうためには、情報誌のようなモノで届ける方法も模索していく必要があると考えています。
また、全体をまとめる役として思うのは、たくさんの人が関われるプロジェクトにしなければいけないということです。その点では、われわれがずっとプロジェクトの中心にいるのも違うのではと考えています。新しい人たちが新しい「盛岡という星で」を組み立てられるように、次に繋げる準備もしていきたいですね。