2016年に創業300周年を迎えた中川政七商店。手紡ぎ手織りの奈良晒(さらし)を扱ってきた同社は、13代目社長の就任後、伝統工芸をベースとする生活雑貨の製造小売業に業態転換をしました。その13代目社長の想いに共感し、2016年に東急ハンズのオムニチャネル部門から同社に転身したのが緒方恵氏です。CDO(最高デジタル責任者)としてデジタル化を進める緒方氏に、同社のビジョンと取り組みを聞きました。
「何をやるか」よりも「誰とやるか」
―緒方さんは、2005年から11年間、東急ハンズの小売部門、オムニチャネル部門で活躍してこられました。中川政七商店に転身したのは何がきっかけだったのでしょうか。
仕事においては「何をやるか」よりも「誰とやるか」が大事だと私は考えています。同じ想いでイノベーションを起こせる人と仕事がしたい。あるとき中川社長にお会いできる機会があり、話し始めてから15分でこの人と一緒に働きたいと思いました。社長が掲げる「日本の工芸を元気にする」というビジョンに共感できたこと、成長中にもかかわらず、社長がビジョンの達成に危機感と使命感を抱いている点が、転身の決め手になりました。
もう1つ、中川社長には、「日本の工芸全体を元気にするために、テクノロジーを利用する必要がある」という強い課題感がありました。中川社長と一緒にビジョンを達成するため、この課題を解決するため、私も尽力したいと思ったのです。
―「日本の工芸を元気にする」というビジョンを、テクノロジー方面からサポートすることに魅力を感じたのですね。入社後の緒方さんは、日本でもまだ少ないCDOという肩書で活動されています。
CDOとは、どのような役割なのでしょうか。
マーケティング部門と、情報システム部門を私の配下に置いて、両方の側面から売り上げアップを目指しています。両方の部門を私1人が管理することで、「スピード感が出せる」「2つの部門を1つにまとめることでより大きな予算の中で投資を検討できる」「KGI(重要目標達成指標)をブレさせず正しく優先順位が付けられる」という3つのメリットが出ます。名称をCMO(最高マーケティング責任者)ではなくCDOにしたのは、全社的にデジタル強化の方向に進んでいくことを、社員に周知するためです。
―あえて、CDOという「デジタル」が付いた役職名を用いて、社員の意識変化につなげるということですね。店舗とWebはそれぞれどのように役割を担うのでしょうか。
それぞれの強みと弱みを補い合うような関係になりますね。例えば、店頭の接客で鍋の説明をする際にその場で調理してみせることは難しいのですが、その様子の動画をWebに掲載しておけば、接客の締めで「実際の様子がこちらです」とお見せして、対面接客ではカバーしきれない「シーン」を見せることが可能になります。接客の補助にもなるということですね。
独自の技術でよい製品を300年にわたって作り続けてきた当社の強みは、商品が優れていること。その商品のストーリーを愚直に発信していけば、必ず消費者の心に響きますから、発信しがいがあります。
伝統を武器にするための「言葉化」
―創業300年の老舗企業には、長年引き継がれた伝統や企業文化がありそうです。デジタルを取り入れる難しさはありましたか。
それは全くありません。当社には、「日本の工芸を元気にする」という明確なビジョンがありますから、「ビジョン達成のためなら何でもする」という共通認識があります。
伝統は、現代の生活にどれだけすり合わせるかによって、ブランドとしての強みにも、弱みにもなります。現代に最適化できなければ、ただ古いだけになってしまいます。最適化の形は、商品のデザインだったり、接客方法だったり、スタッフの働き方だったり、アウトプットはさまざまです。
―伝統を大事にしながらも、変えるべきところは躊躇なく変えていく、その柔軟性が商品やブランドの魅力を生み出すのですね。現在、社員は400人近くまで増えているそうですが、「日本の工芸を元気にする」というビジョンを社員と共有するための工夫はされていますか。
ビジョンをとにかく社員に言い続けることですね。当たり前のことですが、できていない企業は、意外に多いものです。
老舗としてのブランドを崩壊させないために重要なのは、言葉の厳格性ですね。意義は2つあります。
1つは、言葉の意味の認識が人によってブレていると、議論に無駄な時間を使ってしまいます。例えば、当社でいう「新店」は、開店から14カ月までの店と定義し、それ以外は「既存店」といいます。これが人によって12カ月までと認識していたり、0カ月と認識していたりしたら、はじき出される数字が全く異なりますので、よくありません。
2つめは、さまざまな言葉にブランドらしさを込めて形作ることで、よりその「らしさ」が強まり、社員の結束およびブランドとしての高い意識が養われます。
例えば「接客」という言葉がありますが、当社が当社「らしく」接客という言葉を定義すると、接客というものは「お客さまに接する」ということではなく、「(お客さまの)心に接して好感を与える」ということではないかと。であれば言葉を「接心好感」という言葉に置き換えようと。こうした会社理念も「言葉化」して伝えれば、社員が判断に迷ったときに、言葉を通じて原点に立ち返ることができるのです。
工芸品の「探訪」という挑戦
―「日本の工芸を元気にする」というビジョンのために、具体的にどういう活動をされているのでしょうか。
入社して3カ月で、全国の工芸品と工芸産地の魅力を発信するWebサイト「さんち~工芸と探訪~」を立ち上げました。「工芸品の持つストーリーを紹介すること」「工芸産地の秘めたる魅力を紹介すること」をもとに「お客さまと産地の両方を笑顔にすること」を目的としています。
そこで生産者とのふれあいが生まれ笑顔の数が増える。その結果、日本の工芸をより元気にできる。この探訪の仕組みづくりは、300年を超えた中川政七商店の“創業301年目の挑戦”ですね。
―どの業界でも、スピード感が重要だと言われています。社内でスピード感を出すために必要なことは何でしょうか。
チャネル・事業部ごとの数字を優先せず、全員が全社の売り上げを最重要視することですね。自分が所属する部署や担当の売り上げだけを見ていると、視野が狭くなり、組織の縦の軸に引っ張られてしまいます。そして、何のために会社が存在するのか、ビジョンを忘れないことです。
成長していても、外(=日本の工芸)に対して危機感を持っているところは、当社の強みではないでしょうか。当社が取引をしている伝統工芸の事業者だけでも、年に3、4社が廃業していますので、自ずとスピード感を重視せざるを得ません。
―今後、どのような取り組みを考えていますか
私の役割は、ゼロから何かを生み出すのではなく、モノ作りをブーストする“拡声器”になることです。そのためのデジタル基盤を整え、浸透させ、最終的にはCDOという役職をなくすことが私の役割だと思っています。Webの人材が足りないので、よい人材の採用も今後の課題ですね。
常につま先立ちで、フットワークを軽くしながら、会社に新しい風を入れ続けたいですね。そして、誰よりも中川政七商店を好きでいようと思っています。