苦労や苦しみは芸で見せない。それを笑い飛ばすのが噺家と語る桂歌丸師匠。笑点の司会として、また落語芸術協会の会長として、先頭に立って活躍されてきました。個人が先立つ世界の中で、物事を進めたり、束ねたりするためには何が大切なのかを伺いました。
道に迷ったら、本道に帰れ
―これまで噺家としての活動以外に、挑戦されたことはあるのですか。
実は30代で芝居にのめり込んだことがあったんです。私は、小さい頃から芝居も好きで、歌舞伎などもよく見に行っていました。
堺正章さんのお父さんでコメディアンの堺駿二さんや、「和っちゃん先生」と慕われていた泉和助さんなどと舞台に立ったことを思い出します。
日劇ミュージックホールに立ったこともあるし、役者としてテレビにも出ました。芝居も喜劇だけでなく、忠臣蔵をやったことがある。私が大高源吾役で泉和助さんが宝井其角役で、討ち入り前の雪の「両国橋の別れ」を演じたこともあります。「年の瀬や 水の流れと 人の身は」と宝井其角が前句を出すと、大高源吾が「あした待たるる その宝船」と付け句を言う。歌舞伎や講談でも有名な場面だけど、私もそらんじることができます。この道もいいかなあと、思ったこともあるんです。
―それは知りませんでした。芝居はどれくらい続けられたのですか。
落語をしながら5年間ほどやったかなあ。でもあるときにきっぱりと辞めました。芝居は監督の指示に従わなければならない。一方落語は、自分で創作して、話を進め、時にはそれを直すことができます。人に使われるのは嫌だと思ったんです。それに何よりも、私にとって落語が本道なんだと、思い直したことが大きい。
―芝居の経験は今に生きていますか。
芝居の経験よりも、これから進む道に迷ったら、自分の本道に立ち返ることの大切さを知ったことですね。これは若い人にも言うのですが、迷ったら原点に立ち返れと。脇道にそれたりすることが悪いというのではないですよ。ついつい仕事で“浮気”もしてしまうこともあるでしょう。でもね、そこで少しでも迷いが生じるのなら、自分の立ち位置や、ベースとなっていること、そして根っこにあるものを見つめ直すことが大切なんです。
「笑点」の進行で大切なのは「和」だった
―師匠が芝居をされていたとき、日本テレビの「笑点」も始まっていますね。
私は「笑点」のスタート時からのメンバーです。私にとっての師匠は、最初に師事した今輔師匠と、その後預かり弟子としてお世話になった4代目桂米丸師匠、それに笑点だと思っています。
笑点では“お足”(出演料)をいただきながら、私の宣伝もしてもらったようなこともあります。でも、笑点で40年間メンバーとして、10年間は司会をやらせていただき、大喜利の勉強もさせてもらいました。
―「笑点」のように個性が際だつメンバーが並ぶなか進行するには、どのような気配りが必要なのでしょうか。
一言で言うと「和」です。これはメンバー全員が認識していることだと思います。舞台に座ったら、先輩も後輩もない。お客さまに笑ってもらわなければならないですからね。だからメンバーには、「私に対して引いてくれるな、ぶつかってきてくれ」と言っていました。それは昔から同じですね。もちろん舞台から降りたら、きちんと上下関係を保つ。でもあくまでも舞台ではそれを見せない。さっき言ったように、苦労を芸の中で見せないのと同じ。それをみんな知っているという意味でも、「和」が大切ですね。
―そういうわきまえや、共通認識を持っているから、私たちも安心して見ていられるのですね。前編で、お客さまを笑わせるのは真剣勝負と伺いましたが、真剣な舞台だからこそ、和が大切なのですね。ほかに噺家として大切なことはありますか。
高座で何をすべきか、高座を離れたら噺家として何をすべきか、これは自然と身につけておくべきことです。師匠が弟子に教えることではない。例えば、最近の若い人の中には、挨拶もきちんとできないことがあります。教育は学校で行われるべきという人もいるけれど、挨拶は家庭で教えるべきだ。着物のたたみ方も知らない人もいます。確かに着物を着る機会は減りましたからね。
大学出身者の噺家も多くなりました。私は「無駄な人生を歩いてきましたね」と初めに言います。その言葉をどう捉えるかはその人次第だけど、大学を出ていると思うと、噺が理屈っぽくなる。だから「大学を出たことを忘れろ」と伝えます。噺家になるためには、知識ではなく、生きる知恵を持ってなくちゃいけないんです。
―師匠は落語芸術協会5代目会長にも就任されています。組織を束ねるのは大変ではないですか。
もちろん噺家の集まりだから、全体より個人が優先されます。協会がすべきことは、若いけれど一所懸命勉強している人に手を差し伸べてあげることなんです。これからの落語を支えていくだろう、若手を引き上げるようなサポートが協会の仕事なんです。
それと心がけているのは、聞き上手になるということ。よく「話し上手」というでしょう。私は、これは正確ではないと思っています。正しくは「聞き上手」なんじゃないかと。そりゃ私は噺家です。話は人よりはうまいかもしれない。でも人の話を聞くのが上手な人は、話もうまい。これは噺家だけの話ではないでしょう。
例えば、上に立てば立つほど、下に優しく上に厳しくなるということ。これも大事なことですね。どんな組織でも、共通することではないですか。
噺家の歌丸を全うしたい
―「笑点」の司会を2016年で降りました。ファンは皆残念に思っています。
体力のこともあったけれど、付け加えれば、大喜利の歌丸ではなく噺家の歌丸で終わりたかったのが一番だったんです。そこは、制作サイドの方も理解してくれていたと思いますよ。間違ってほしくはないのですが、落語か大喜利かで迷ったわけではありません。私もどれだけ生きられるか分からない。その最後の噺家人生は、本道の落語で全うしようと思ったからなんです。
―最後に1つお伺いしたいのですが、師匠がこれまで一番笑ったことは何でしょう。
昔、胆のうの摘出手術をしてね。暇なもんだからベッドで寝ながら、古典落語の勉強でもしようかと、5代目古今亭志ん生師匠の「火焔太鼓」をテープで聞いたんです。噺の筋は分かっているのに、それがおかしいのなんのって。閉じた傷口が痛みましてね。あんなに笑ったことはなかったですね。それから落語が傷の治りの目安になっちゃった。笑っても痛まなくなったら、治ってきているということだとね。