15歳で落語の世界に入り、2016年には、50年にわたって出演していた番組「笑点」の司会者の座を後輩に譲った桂歌丸師匠。師走の慌ただしい中、地元横浜の「横浜にぎわい座」で高座に上がる前のわずかな時間をお借りして、お話を伺いました。噺家としての矜持(きょうじ)、人間としての振る舞い方など、中身の濃いインタビューとなりました。

若いうちの苦労は当たり前

―歌丸師匠は15歳の時に、5代目古今亭今輔師匠に弟子入りされます。以来、65年以上もの間、落語を続けてこられました。

自分が好きで選んだ仕事ですからね。ずっと長く続けてこられました。でも若い頃に師匠の元を飛び出したことがあって、1年半ほど高座から離れたことがあったんです。噺家を辞めたわけではないけれど、落語をする機会が減ったので、化粧品の訪問販売のアルバイトをしたこともありました。

―師匠が化粧品の訪問販売をされている話は、今でも笑い話として、高座で話されたり、本に書かれたりしていますね。

そりゃ、食べるために何か仕事をしなければならなかったわけですから。訪問販売なら、しゃべることが仕事。それが修行、とまでは思わなかったですけど、洗顔クリームとポマードを間違って売りつけてしまったり、派手な下着が干してあるから若いお嬢さんがいると思って訪ねたら、おばあさんが出てきたりしましてね(笑)。しゃべりとは違ったところで、戸惑ったことは多かったですよ。つらかったけれど、よい経験だったと思います。

画像: ―師匠が化粧品の訪問販売をされている話は、今でも笑い話として、高座で話されたり、本に書かれたりしていますね。

―苦労されましたね。

これは落語の世界での経験ではないから、これをもって苦労したなんて言ったら、それこそ今輔師匠に叱られます。でもね、「苦労したことが笑い話になるように苦労しろ。若い頃に苦労すれば、先に行って楽になる」と師匠に言われていましたから、苦労することは当たり前だと思っていました。

毎回異なる真剣勝負

―苦労するのが当たり前と、若い頃に思えるのでしょうか。若いからといって、なんでこんな苦労をしなけりゃいけないんだとか、思わなかったのですか。

私は祖母に育てられたから、自然とそういう生き方みたいなことはしつけられていたんです。だから師匠の話もすーっと頭に入ってきました。身近な例で言うと、「畳のへりを踏むな」とかね。へりを踏まないのは、座敷を静かに歩くため。今の若い人たちはそういったことを知らないで育っている。弟子が2階でどたどたと歩く。「ここは池田屋じゃない!」と私は言うんです。

―師匠が落語で一番苦労されたことは何でしょう。

苦労したというよりは、ずっと苦しんでいる。

画像: インタビュー直後の高座の模様を撮影させていただいた

インタビュー直後の高座の模様を撮影させていただいた

―苦しんでいる? 

そう、苦しんでいます。何に苦しんでいるのかというと、毎回お客さまが違うということなんです。高座ごとに異なるお客さまと立ち向かって、真剣勝負をしなければならない。何を言っても笑ってくれるお客さまが多い高座もあれば、何を言っても反応が薄いときもあります。今日はどんなお客さまなのか。落語をよくご存じなのか、それともあまり知らないお客さまなのか。日常の生活にストレスを感じているお客さまもいるかもしれない。それでも、私の噺で笑ってもらわなければならない。
これは噺家の定めなんです。80歳になって、ネタを覚えなければならない。さすがに記憶力が低下したのかなと思うことがあります。噺家である以上、それはずっと続きます。この苦しみがなくなったら、噺家としてはおしまいです。

画像: ―苦しんでいる?


時間があれば落語を覚えたい

―苦しんでいるけれどつらいと思うことはないのでしょうか。

自分で選んだ道ですからね。「何で師匠はそんなに苦しんでいるのですか」とよく聞かれます。「楽になりたいから苦しむんだ」と答えている。それでは、いつ楽になるんですか。それは目をつぶるとき、つまり、あの世へ行くときです。でも私は、目をつぶってまで楽になりたいとは思いません。

苦労や苦しみの先に光があるはずなんです。その光が何なのかを追い求めて、お客さまに笑っていただいている。どうも最近気づいたんですが、私の場合、光が先に、頭に来てしまったようです(笑)。

―もちろん落語家としての矜持もあるのでしょうが、高座などで拝見する限り、苦労や苦しみはみじんも感じません。

これも師匠に言われたことなんですが、苦労や苦しみは自分に染み込ませてはいけない。染み込んだら、噺がしみったれてしまう。それは自然とにじみ出てしまうんです。そうなったら、誰も笑ってくれませんよ。苦労や苦しみは、突き破って、乗り越えなければならない。噺家はそれを笑い話にしなければならない。最近の言葉ではブレイクすると言うのでしょうか。

画像: ―もちろん落語家としての矜持もあるのでしょうが、高座などで拝見する限り、苦労や苦しみはみじんも感じません。

―先に光があるとおっしゃられましたが、光を見つけるために師匠や先輩方を目標にしてこられたのですか。

私の噺家人生の中で若い頃は、ラジオ、テレビで落語の放送が増えた時期と重なります。それ以外にもカセットテープなども出てきました。落語を聞ける機会が一気に増えました。落語ブームもあって、高座以外でも師匠や先輩の落語を見たり聞いたりして、私もああなりたいと、憧れたものですね。目標がいる、憧れがいるというのは大事だと思います。

最近ではインターネットを使って見ることもできるようになりました。でも私の場合はラジオとテレビで終わりです。ネットを勉強する時間があれば、落語の方を覚えたいですから。

後編は、桂歌丸師匠が噺家にこだわる理由に迫ります。
後編はこちら>>

画像: 桂歌丸(かつら うたまる) プロフィール 1936年横浜市生まれ。中学在学中に古今亭今輔に入門、のち桂米丸門下へ。「歌丸」で真打ちに。テレビの「笑点」では司会(5代目)を務め、全国的な人気を誇る。新作派から古典派に転換。歌舞伎好きで、多くの芝居噺に独自の視点を当てる。平成に入ってから本格的に圓朝作品に取り組み、他の追随を許さない。2004年から社団法人落語芸術協会会長に就任。2016年に笑点の司会を春風亭昇太に譲る。

桂歌丸(かつら うたまる) 
プロフィール
1936年横浜市生まれ。中学在学中に古今亭今輔に入門、のち桂米丸門下へ。「歌丸」で真打ちに。テレビの「笑点」では司会(5代目)を務め、全国的な人気を誇る。新作派から古典派に転換。歌舞伎好きで、多くの芝居噺に独自の視点を当てる。平成に入ってから本格的に圓朝作品に取り組み、他の追随を許さない。2004年から社団法人落語芸術協会会長に就任。2016年に笑点の司会を春風亭昇太に譲る。


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