小説『異類婚姻譚』で第154回芥川龍之介賞(2015年下半期)を受賞した本谷有希子氏のインタビュー後編です。本谷氏は、執筆の過程で書くことに対して新しく気づくことがあったと言います。結婚をして子供が誕生し、生活にも変化が生じた中で、これからも書き続けるために自分の中で大切にしていることは何か、本谷氏に聞きました。

“保存容量”が大きい原稿用紙

―本谷さんにとって小説を書くということはどういうことなのでしょうか。

私の中で小説を書くことは、なるべく理性的なものから逃れようとする作業だと思っています。パソコンを使っていると、コピペ(コピー&ペースト)ができます。コピペができるという状態で頭が働きますし、やはりデジタルな部分もあって、理性的なことから抜け出しにくいのだと思います。一方、原稿用紙だと、実際に身体を動かして書くのでより運動に近いし、より肉声に近い文体になるのです。今回、原稿用紙を使って書いたことで、道具の影響力をしみじみ感じました。

―これからは原稿用紙を使って小説を書かれていくのですね。

そうですね。パソコンに向かっていると、どうしてもきちんとしたいとか、きれいにつくりたいとなってしまうのです。むしろ、原稿用紙に書きながらグチャグチャに荒れたほうが、いいものを書ける気がします。
例えば何かを描写するときに、言葉に詰まってしまうことがあります。パソコンで書いているとその先にはなかなか進めないのですが、原稿用紙だと、その部分は後で書いてしまおうと、とてもラフな感じで書いていけるのです。ときには、絵を描いたりもします。
あとは筆圧ですね。弱く書くときと強く書くときと、その時々での自分の状態が記録されます。「これは、こう書きたかったのだな」ということを筆圧から思い出せる。書きたかった気持ちは、パソコンだと残せません。小説を書くことに関しては、記録とか記憶、保存という点で、原稿用紙のほうがパソコンよりも容量が大きいと思っています。

画像: ―これからは原稿用紙を使って小説を書かれていくのですね。

小説には視野を広げる力がある

―本谷さんの小説は、既成の価値観や視点とは違ったところから書かれているものが多いと思います。

今の自分の価値観や視点のままだと当たり前のことしか書けないのですが、目の前にある物も、ずっと、ずっと見ていくと、何か全然違ったものに見えてくる瞬間があります。自分がこれまで当たり前だと思っていたことが当たり前に見えなくなる。自分の中で勝手にいつの間にかできてしまった価値観が崩壊するまで、物事をじっくり立ち止まって考える。そうした視点を大事にしたいと思っています。

―なかなか人間は自分の価値観を変えられないと思います。

例えば、私たちは忙しく働かなければならないと思っているけれど、海外の小説を読んでいて、「その日食べるものがあればいいじゃない」という価値観で書かれているものに出会ったときに、今私たちが当たり前だと思っていたことが全然当たり前ではなかったのだと気付く、というような体験が好きですね。私が小説を読む動機は、何かに救われたいというよりは、全く異なる価値観を知ることにあります。価値観や視野を広げるという意味でも、小説には力があると思っています。

―小説と戯曲とでは書く感覚に違いはありますか。

以前は、戯曲も小説も一緒でした。だから、戯曲を小説に書き直すことも、小説を戯曲化することも可能でした。でも最近は、書いた戯曲を小説にするという気には全くならないのです。それは、私の表現が、小説と戯曲とでは違ってきているからです。小説は、書かれたものと読者の2つから成り立つものだと思っています。だから、書かれた文章の比重がものすごく大きいのです。戯曲は、舞台、照明、音響、演出、役者、お客さま、その日の天気まで、そういったことの全ての中の一部と考えるようになりました。今は台本至上主義ではなく、戯曲は一部という感覚になっていますね。

画像: ―小説と戯曲とでは書く感覚に違いはありますか。

残っていくのは「人柄」しかない

―劇団を主宰されていたときと、小説家として個人で仕事をしているときとでは、マネジメントに違いはありましたか。

一緒ですね。「人」に行き着くという意味では劇団も個人も同じです。自分一人で完結することなど、この世にはない。関わる人たちが一緒に何かやりたいと思い、何かしらの感情を持たないと何も生まれないと感じています。

―関わっている人たちが「一緒にやろう、いいものを作ろう」と思うためには、何が欠かせないのでしょうか。

それは結局「人柄」しかないと思っています。その人ならではの人柄が、「この人と一緒に何かやりたい」という周りの人の気持ちを引き出すのです。最近他の人を見ていても、この人は人柄がいいから成功するな、とか、そんなふうにしか思えなくなってきました。
ただ、人柄といっても、いい人でなくてもよくて、チャーミングであればいい。決していい人ではないけれど、人を引き付けるチャーミングな人もいます。いい人の場合はあえて悪人になる必要はありませんが、普通の優しさを突き抜けて、狂っているくらい優しければいいのではないでしょうか(笑)。

―その人柄は書くことにも影響するのでしょうか。

私は、なるべく自分の人柄がにじむような文を1行1行書いています。そうすると自分が面倒くさがりだったり、ものぐさだったり、適当だったりという人間臭さが出て、小説に何か味が加わっていくのではないでしょうか。

―これから「こんなことを書きたい」「こんなことをやりたい」ということはありますか。

結婚したときに友人から「幸せな結婚をして、小説が書けなくなってしまうんじゃないの」と冷やかされたことがあります。冗談だと分かっていても、「チクショウ」と思って、『異類婚姻譚』で自分の結婚生活をベースに書いたというところはありますね。さらに子供を授かり、賞を取って「全てを手に入れたね」と言われて(笑)。だから、それを逆手に取って書きたいと思っています。小説は飢餓感だけから生まれるものではないので、今の幸せを次の作品で証明したいですね。

画像: ―これから「こんなことを書きたい」「こんなことをやりたい」ということはありますか。

―最後になりますが、芥川賞受賞の知らせを聞いたときの瞬間を色で表すとしたら何色でしょうか。

家で家族や関係者の方々と選考結果を待っていたのですが、連絡をいただいたときは、私よりは周りの方が、ワーッとなって喜び一色になっていました。最近、芥川賞が注目されていて、今年受賞される方は幸せな人だなと他人事のように思っていて、それが私なの? 本当に? 嘘みたい、という感情になりました。だからその時の感情を色に表すとしても、無色、透明という感じですね。

―時間がたっていくと、色が染まっていくところもあるでしょうね。

染まっていいのか、染まっては駄目なのか、自分の中に葛藤があります。自分が染まる色は、結局のところ世間の評価です。その評価に対して、自分がどう立ち居振る舞うべきかと考えます。それは、芥川賞を受賞したことへの世間の評価に応えようとして、自分のこれまでのスタンスを変える必要はないと思うからです。人として、今までの自分を大切にしていきたいと思っています。

画像: 本谷有希子(もとや ゆきこ) プロフィール: 1979年石川県生まれ。「劇団、本谷有希子」主宰。2007年『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞受賞。09年『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞受賞。小説では芥川龍之介賞に4回ノミネートされる(06年『生きてるだけで、愛。』、09年「あの子の考えることは変」、11年『ぬるい毒』、16年『異類婚姻譚』)。『ぬるい毒』(新潮社)は第33回野間文芸新人賞を受賞。13年『嵐のピクニック』(講談社)で第7回大江健三郎賞、14年には『自分を好きになる方法』(講談社)にて第27回三島由紀夫賞を受賞した。2016年、小説『異類婚姻譚』で第154回芥川賞受賞。

本谷有希子(もとや ゆきこ)
プロフィール:
1979年石川県生まれ。「劇団、本谷有希子」主宰。2007年『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞受賞。09年『幸せ最高ありがとうマジで!』で第53回岸田國士戯曲賞受賞。小説では芥川龍之介賞に4回ノミネートされる(06年『生きてるだけで、愛。』、09年「あの子の考えることは変」、11年『ぬるい毒』、16年『異類婚姻譚』)。『ぬるい毒』(新潮社)は第33回野間文芸新人賞を受賞。13年『嵐のピクニック』(講談社)で第7回大江健三郎賞、14年には『自分を好きになる方法』(講談社)にて第27回三島由紀夫賞を受賞した。2016年、小説『異類婚姻譚』で第154回芥川賞受賞。

【芥川賞作家・本谷有希子氏に聞く「小説の力」 前編:書くことは身体で考えること (2016年6月14日号)

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