鳥塚 亮 氏
外資系航空会社の旅客運航部長から、赤字で廃止の瀬戸際だったいすみ鉄道(千葉県房総半島を走るローカル線)の社長に就任したのが鳥塚亮氏だ。以来6年半余り、「ムーミン列車」や「伊勢海老特急」など、さまざまなアイデアでいすみ鉄道は地域の観光シンボルになり、全国から注目を浴びるようになった。ブランド化の進め方や顧客の見つけ方、社員の意識改革などを鳥塚氏に聞いた。
航空会社から転身
―航空会社から転身された理由をお聞かせください。
50歳前に、はしかにかかったようなものです。「失われた20年」といわれ、日本経済はどん底の時期が続いていましたが、当時私が勤めていた外資系企業は好業績でした。会社の業績だけがよいのはどうなのだろう、もっと日本に関わること、地域に関わることをやるべきではないかという思いを持っていました。それでいすみ鉄道の社長公募を聞いて、応募したのです。
―いすみ鉄道は廃線が取りざたされるローカル線でしたが、勝算はあったのでしょうか。
ローカル線をテレビ番組で取り上げると、視聴率が上がりますし、雑誌で特集すると、発行部数が増えます。それは、都会に住んでいる人が見ているからなのです。不思議なのは、都会人は毎日満員電車で通勤し、疲れて家に帰ってきて、鉄道マニアでもないのに電車のテレビ番組を見ていることです。
その背景には、ローカル線と結びついた駅弁や地域のおいしい食べ物、お酒、温泉、人情、風景など田舎の素晴らしいところを見たいという都会人の思いがあります。つまり、都会の人は「行ってみたいなあ。乗ってみたいなあ。いいところだなあ」とローカル線が走る地域に憧れているのです。
―なるほど。都会人の憧れに着目したわけですね。
それなのに田舎の人の中には、ローカル線は廃止してしまえと杓子定規に考え、地域の足としての役割は終わったと言う人もいます。都会人の大変高い期待値と田舎の人の低い認識の間に大きなギャップがあるわけです。そこで、それをうまく合わせることができれば、ビジネスモデルとして成り立つのではないか。都会人がやってくることで地域も潤い、鉄道に乗るお客さんも増え、結果として地域の足としての鉄道を守れるのではないかと考えたのです。
―田舎の人は、なかなか地元の魅力に気づいていないものですね。
いすみ鉄道は第三セクターの鉄道の中でも、下から3番目くらいに業績が悪い会社でした。それでも、可能性が見えたのです。旧国鉄路線ですし、田舎の風景が残っています。千葉県民は田舎といわれるのは恥ずかしいかもしれませんが、都会人からすると、大変な魅力なのです。ここには都会人が求める田舎があるという感覚でプロデュースできれば、大きな可能性があると思いました。
郷土愛を起点に鉄道を再生する
―社長になって、最初に手がけたことは何だったのでしょうか。
地元の方々に挨拶回りをして、本音でコミュニケーションを取りました。「乗って残そういすみ鉄道」というポスターが貼ってあったので、「本当に乗っていますか。回数券だけ買って、実際は乗っていないでしょう」「そういうやり方をやってきて、日本のローカル線はどうなりましたか」と聞いて回ったのです。
私は自宅が千葉県佐倉市なので車で通勤していたのですが、それを聞いて地元の人は「立て直しに来たのに、車で来るとは何ごとか」と大変怒りました。しかし、「乗って残そう」というのはある種のイデオロギーで、そこからは何も生まれません。「鉄道には乗らず、車を使うというのが現実です。それを踏まえた上でどうやって残していくか、考えていかなければいけない」と話しました。会社がある大多喜町に家を借りて、夜一杯飲みながら話すようになると、ほとんどの人が「自分も乗らない」と同意したのです。
―それなのになぜ、地元の方々は「残したい」とおっしゃるのでしょうか。
私も不思議でした。いろいろ聞いていくと、「生まれた頃から走っていた」「高校時代、乗って通学していた」、そして「なくなると寂しい」という声が圧倒的でした。それを聞いて、結局、郷土愛なのだと感じました。駅があって、田んぼの中をディーゼルカーが走る鉄道を残したいということなのです。これに気づいて地元の人が乗らなくてよいから、鉄道を残せる道を探していこうと考えました。
―「地元の人が乗らなくてもよい」というのは、逆転の発想ですね。
いすみ鉄道は第三セクターで「上下分離」という考え方で経営されています。レール下の地盤の維持管理は自治体からの補助金で行っているので、地域住民に「いすみ鉄道が走っていてよかった」と存在を許してもらわなければいけません。一方、各自治体は自主財源率が低く、国からの交付金、つまり都会の人たちの税金から補助金が出ているので、都会の人たちに喜んでもらえるようにしようと考えました。その結論が、いすみ鉄道を観光鉄道にすることでした。
沿線にはよいところがたくさんあるのだから、名産品の情報を発信して、いすみ鉄道がテレビや雑誌に出るようになれば、観光客がたくさん来るようになる。いすみ鉄道に乗ってくれる。
それは郷土愛を持った人たちにとって、とてもうれしいことです。それで皆が元気になっていくわけです。地域住民も都会人も喜び、結果として地域の足が守られるのです。
いいところを見つけて好きになる
―社員にはどのように働きかけたのでしょうか。
会社は赤字で、廃止かどうかという崖っぷちに立っていました。社員は皆、地元の人間ですから、街を歩いていても「赤字垂れ流しの会社なんか、なくなってしまえ」という目で見られがちでした。「給料は自分たちの税金で払っているのだ」という人もいます。そのため社員は気持ちが沈んでいました。
一方で、鉄道ですから、安全かつ正確に列車を走らせなければいけません。そういう中で二十数年間、黙々と働いてきた社員たちに、「いすみ鉄道で働いてきてよかった」という思いを持たせなければいけないと考えました。私は何かに対して「必ずいいところを見つける」自信があります。いいところを探して好きになる。いすみ鉄道に対しても同じです。駄目だ駄目だと言わずに、いいですよ、素晴らしいですよと言うことを習慣づけることで、それは輝き始めるのです。
―あくまで都会人の目線でいすみ鉄道のよさを掘り起こしていったのですね。後編ではどのような企画で立て直していったのか、鳥塚社長に引き続きお聞きします。
【ローカル鉄道をブランド化―人を集める「逆転の発想」 後編 :プロフェッショナルから学ぶ「仕事の心」第3回(2016年2月9日号)