いすみ鉄道株式会社 代表取締役社長
鳥塚 亮 氏
廃線が取り上げられるほど赤字が続いていたいすみ鉄道(千葉県房総半島を走るローカル線)。立て直しのために公募で社長に就任したのが、外資系航空会社からやってきた鳥塚亮氏だった。後編では、鉄道存続のためどのような取り組みを進めたのか、取り組みを社員にどう浸透させていったのか、鳥塚氏に伺う。
ブランド化して憧れの鉄道にする
―外資系航空会社の旅客運航部長から社長に就任した鳥塚さんを、社員はどう見ていたのでしょうか。
外資系航空会社から社長が来て、年齢の高い順から首を切るのではないか、辞めろと言われるのではないかと、社員は皆びくびくしていました。それが手に取るように分かりました。私は外資系でも一番厳しいといわれる航空会社にいたので、コストコントロールやマンパワーコントロールは得意中の得意です。けれども、ここでそれは通用しません。乾き切った雑巾を絞るようなもので、列車はワンマン運転ですから、運転士1人、それを0.8人にするわけにはいきません。また、今でこそ始発駅の大原駅には人がいますが、当時は無人でした。ですから、これ以上の合理化、効率化は無理で、コストの話をしても仕方がないと思いました。
そこで、私は「当面、雇用には手をつけません。ただ皆さん、会社がどういう状況かはお分かりでしょう。現場には口を出しません。いすみ鉄道に勤めていると胸を張って言えるようにしましょう」と伝えたのです。そして「いすみ鉄道をブランド化する」という目標を掲げました。ブランド化すれば、ファンが集まるところになります。そうすれば、いすみ鉄道は憧れの場所になり、結果としてよい会社だと言われるようになり、社員は胸を張れます。
―社員の反応はどうでしたか。
初めは「何、言っているのだろう」という感じでしたね(笑)。
―社長就任4カ月後の2009年10月にムーミン列車を走らせています。どうしてムーミン列車にしたのですか。
発想は単純です。日本におけるムーミンの版権を管理する会社に友人がおり、妻もムーミン好きだったので、思いついたのです。ムーミン列車と名前はよいのですが、おんぼろなディーゼルカーに、キャラクターのシールを貼って走らせただけです。けれども、沿線の景色を房総のムーミン谷だと見てくれるファンが来てくれればよいのです。マーケットがピラミッド状になっているとすると、いすみ鉄道は一番上のいわゆる“信者顧客”の獲得を目指しました。都会にいる数パーセントの分かってくれるファンだけが来てくれれば、それでいすみ鉄道は十分稼げるのです。
資金もありませんし、手近なところにある関係からたぐっていかないと、何もできません。お金をかけて何かをやろうとしたら、大企業に負けるし、東京に負けてしまいます。逆に言えば、お金をかけないでやることができる方法を見つければ、東京にも大企業にも勝てる可能性があるのです。
―ムーミン列車に社員は戸惑いませんでしたか。
ぽかんとしていましたね(笑)。ムーミン列車を走らせるに当たって、社員がムーミンを知らなければ話にならないので、キャラクターを記した「ムーミンチャート」を作って家に持って帰らせました。翌日に点呼して、これは何というキャラクターか、と社員に当てさせたのです。意外にも結構答えられる社員が多くいました。「おれは嫌だよ」と思っていた社員も、家にチャートを持って帰ると、奥さんや子ども、孫がムーミン好きだったりして話題になり、覚えられたようなのです。こういった小さなことから、社員にもムーミン列車が受け入れられていきました。
アイデアの基準は「自分だったらお金を出すか」
―2010年には訓練費700万円で運転士になれる訓練生を募集し、話題を集めました。
「お金を取って、資格を取らせるのはおかしい」という反対意見も強く、賛否両論がありました。しかし、弁護士や医者をはじめ、資格が必要な仕事をしている人は皆、自分のお金と時間と能力を使って資格を取っています。医者になるのに、高校卒業後に病院に就職する人はいません。ところが鉄道だけが違っていて、満20才以上であることと、鉄道会社の社員であることが運転士資格を得る条件なのです。いすみ鉄道にはお金がありませんので、自前で運転士を養成できません。そこで、自分でお金を出してでも運転士になりたいという人を発掘することにしたのです。
―そのアイデアはご自身が鉄道ファンであることも影響したのですか。
私のアイデアはすべて「自分だったらお金を出すか」という基準だけです。小さい頃、世の中は「夢の超特急」新幹線一色で、私も新幹線の運転士になりたかったのです。高卒で旧国鉄に入ろうとしたら、当時、赤字状態で、教師に「夢も希望もないからやめろ」と説得されて大学に進みました。ところが、大学卒業時に国鉄は社員を募集しておらず、入社がかないませんでした。そこで、私と同じ40代、50代で、国鉄に入りたいと思っていたのに入れず、運転士になれなかった人がいると考えたのです。
―随分思い切った企画のように思います。
そんなことはありません。奇をてらったわけではなく、小さくてもマーケットはあると考えました。いすみ鉄道にとっても、デポジットでお金をあらかじめ預かるわけですからメリットも大きいのです。募集してみると、予想通り鉄道学校を出たものの、国鉄に入れなかった人の応募があり、今、運転士として勤務しています。思いもかけなかったのは、鉄道にはそれほど興味はないが、定年後の仕事や生き方を50代から準備したいと考えた人の応募でした。いすみ鉄道であれば、65才でも70才でも健康な限り仕事ができるわけで、700万円の投資は冒険でも何でもないというのです。
それに、教えるには教官が必要です。ベテランの運転士に教官になってもらったら、嬉々として新人に教えるようになりました。会社に新しい風が入った効果もありました。
全国に広がるローカル鉄道の試み
―ムーミン列車の後、鉄道ファン向けのディーゼルカー、レストラン列車と次々に新しい列車を走らせています。
ムーミン列車のターゲットは女性でした。鉄道ファンの社長が来て、いきなり鉄道マニア向けのことを試みても人はやってきません。女性向けという自分が不得意な分野に焦点を当てて企画し、女性が集まってくれた。ある程度数字も出せたので、次は国鉄ものでいこうと鉄道ファン向けの企画を立てました。
―それで、旧国鉄の古いディーゼルカーを走らせたわけですね。その後はどうされたのですか。
地域の名産品を列車の中で食べてもらう企画を立てました。「伊勢海老特急」です。始発駅の大原は伊勢海老の漁獲高が日本でも有数の漁港なので、それをネタにして、最初は伊勢海老弁当を出して、次にレストラン列車にしました。座席数も限られており都会人の目線で1人1万5000円ほどの価格に設定しましたが、好調です。ムーミン列車、旧国鉄ディーゼルカー、伊勢海老特急とやってきて、2014年秋には「夜行列車」を始めました。夜間に路線を往復するだけですが、一部のコアなファンに支持されており、チケットは発売と同時にすぐに売り切れます。いずれもマーケットはそれぞれ別のところを狙っていて、1つだけを深掘りするのではなく、異なる層へのアプローチを考え、彼らが求めるものを形にするようにしています。
―今後について、どうお考えですか。
現在、普通利用客収入は年10%程度増え、営業収支はほぼ均衡するまでになっています。
第三セクターの鉄道で下から3番目だったのが、ここまでになったわけですから、ローカル鉄道が走っているところであれば、鉄道の再生は可能です。
栃木と福島を結ぶ会津鉄道、水害で不通になっているJR只見線、鳥取の若桜鉄道、秋田の由利高原鉄道なども、懸命に取り組まれ、何とかやっていけそうだというローカル鉄道が出始めています。
いすみ鉄道は東京に近いから成功できたのだといわれますが、そんなことはありません。
都会人が求めるものをうまくプロデュースするとともに、これからは外国人が求めるものを考えて取り組んでいけば、いくらでも可能性はあると思います。
【ローカル鉄道をブランド化―人を集める 「逆転の発想」 前編:プロフェッショナルから学ぶ「仕事の心」第3回 (2016年1月12日号)