このNexTalkで連載している未来サービス研究所のインタビュー企画で、イシグロイドやエリカで有名な、大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻の特別教授石黒浩氏に会いに行ってきました。対談記事は10月12日に掲載しましたが、以下はインタビュー終了後のこぼれ話です。ご好意でCommU(コミュー)を見せていただいたときのものです。
知能システム構成論講座 石黒研究室の飯尾特任助教がいらっしゃるお部屋にお邪魔すると、3体のCommU(コミュー)が並んだ黒い棚がある。こちらを向いた2体と会話をしてみませんか?と、飯尾博士が促してきた。いいですよ、と筆者が前に立つと「こんにちは!」とまばたきしながら話しかけてくる。あれ?、右と左とどっちが話しかけてきたんだろう?と一瞬迷いつつも、
筆者:「おっす!」
CommU:「お名前はなあに?」
筆者:「おう、さいとうだよ。よろしくな」
CommU:「そうなんだ。 緊張してない?」
筆者:「えっ? ぜんぜん問題なし。大丈夫、大丈夫」
CommU:「そうなんだ。好きな食べ物は、なあに?」
筆者:「そうだなー。色々あるけど、肉だな。いや、魚の方が好きかも。いや待て、今日は肉ということにしておこう」
CommU:「そうなんだ。僕は○○が好きなんだ」
とまあ、それなりに会話になった。
飯尾博士が解説してくれたところによると、ここでは音声認識を使用していないとのこと。
ヒトがしゃべり終わったことを認識して、「そうなんだ」の相づちや、当たり障りのない質問、「僕はこうなんだ」という自分(CommU)本位のことをしゃべるようにしかプログラミングされていないんだそうだ。
「これだと、会話の途絶がなくなるんですよ。人間って、案外本質的な言葉のキャッチボールが行われていなくてもコミュニケーションがとれますし、むしろ、なんとなくの曖昧さがあった方が円滑になる場合が多いんです。お互いがきちんと正面から言葉を受け止めた結果、価値観が合わなかったら会話は途絶してしまうでしょう?」(飯尾博士)
なるほど、聞き流しというか、生返事はコミュニケーションを円滑にする高等技術ということもできますね。
あのー、博士、異議ありです。
私は、妻の話に生返事をすることによってよく会話が途絶します。しかも険悪になります。妻は下等動物なんでしょうか?
「いや、そういうことでは(苦笑)・・・しかし、一対一だと曖昧さが通じにくいということもありますね。ここでの研究のポイントのひとつは、2体のCommUを使っているというところなんです。『そうなんだ』と返されて、一瞬そっけなく生返事されたような印象を受けたとしても、人間の前にいる2体が、互いにそうなんだとうなずき合うようなシチュエーションがあると、たちどころに3人のコミュニケーションという錯覚が生まれ、途絶感が緩和されるんです」(飯尾博士)
なるほどね、勉強になります。日常会話をいちいち正面から受け止めていたら相当疲れますしね。だからこそ私は生返事という高等技術を駆使しているんですが、今度からは必ず娘を介入させて生返事をします。
「今日はそういう教えではないんですが・・・。会話の『曖昧性』や、『なんとなくの成立感』というのは、対話の研究においてあまり注目されてこなかったのですが、私たちはこれらも人が自然に対話するための重要な要素だと考えています。
このような研究で得られた知見は、例えば、自閉スペクトラム症のような、人とのコミュニケーションにおける障碍を抱える人々の支援に役立つ場合がありまして、そのためにも研究しているわけです」
そうですか。そういえば、当社に寄せられる相談に、「イジメられている子どものケア」にロボットを使いたいんですが・・・というのがあるんです。ここにいるロボット部(通称)の齊藤が取り組んでいますが、今日のお話は大変参考になると思います。ありがとうございました。わが家も安泰です。