連載対談「未来飛考空間」では、ユニアデックスの未来サービス研究所員がビジネスリーダーや各分野の専門家と対談し、ITや社会の未来像を探っていきます。
これまでゲームの世界で発展してきたVR(仮想現実)やAR(拡張現実)がさまざまな用途に使われ始めています。防災もその1つです。自然災害の多い日本にあって、防災教育活動を広めることは大きな社会課題となっています。VRによる「津波体験ドライビングシミュレーター」やAR災害疑似体験アプリ「Disaster Scope」を開発している愛知工科大学の板宮朋基教授と、防災におけるITの役割や可能性について語り合いました。
東日本大震災をきっかけに防災へのIT活用に取り組む
小椋 AR災害疑似体験アプリ「Disaster Scope(ディザスタースコープ)」を試させてもらいましたが、リアル感にはとても驚きました。自分の身の丈の高さまで水が迫ったときには、本当に溺れてしまうのではないかと思ったくらいです。そもそもこういうアプリを開発しようと考えたきっかけは何だったのでしょうか。
板宮 もともとCGや3Dモデルの研究をしていて、大学時代には医学部と共同で手術支援シミュレーターを開発していました。こうしたテクノロジーを防災に使えないかと考えたのは、東日本大震災がきっかけです。
あの震災では津波から逃げてほとんどの児童が無事だった小学校と、逃げ遅れて大変な犠牲が出た小学校がありました。こういう惨事が二度と起きないように、テクノロジーを役立てたいと地図を活用した津波避難ナビアプリなどを作るようになりました。
その頃、愛知工科大学に着任することになったのですが、本学は自動車関連の分野が強く、立派な大型ドライビングシミュレーターがあります。そこで使われている街に津波の表現を加えた「津波体験ドライビングシミュレーター」を作ったところ、大きな反響がありました。
しかし、設備が大きいため、防災イベントに使いたいという要望があっても持ち出すのが難しい。そこでヘッドマウントディスプレイを使ったものを開発したんです。
藤田 先ほど体験させていただきましたが、冠水するとまったくハンドルが効かなくなるんですね。まさになす術もなく流されていきました。他の車や材木がぶつかってきた衝撃もリアルでしたし、自分が水の中に沈んでいくのも体験できました。
板宮 これは実際の街のデータを使ってリアルに作り込んであります。2015年2月にプロトタイプを愛知県半田市の防災イベントで初めて一般公開したのですが、新聞やテレビなどでも取り上げてもらいました。また、災害の現場で救助する側である、消防隊員や警察官の体験も増えています。真っ先に救助に向かう人々がそのリスクを知ることは、非常に重要なのです。
子どもたちへの防災教育から地域全体の意識を高めていく
小椋 最近は、気候変動によりこれまで経験したことがないような自然災害が起こっています。しかし、対応している自治体や住民によっては防災に対する意識も違うと思います。災害に対しての取り組みの実情はいかがですか。
板宮 やはり海や川が近くて危険度が高いといわれている自治体や町内会は、問題意識が高いですね。防災訓練なども頻繁に行っています。ただ、課題もあります。参加する人が固定化しがちで、内容もマンネリ化してしまいます。
藤田 だからこそARやVRでシミュレーションするシステムが必要とされていたんですね。ARやVRの活用でどのような変化が起きたのでしょうか。
板宮 一番大きな変化は子どもたちが関心を示してくれることです。最初にAR災害疑似体験アプリ「Disaster Scope」を使ってもらったのは、愛知県清須市の小学校でした。この地域は2000年の東海豪雨で被害を受けたのですが、今の子どもたちはまだ生まれていませんでした。
この子どもたちにAR災害疑似体験アプリ「Disaster Scope」を使ってもらったところ、これまでの災害訓練とはまったく違った反応がありました。子どもたちはARで怖さを実感してくれて、防災の大切さを分かってくれました。これまで「災害=他人事」だった意識が、「我が事」として受け止められるようになったんです。
小椋 私が生まれ育った三重県には、豪雨地帯として全国的に有名な尾鷲市があります。つい先日、尾鷲市役所の方から伺ったのですが、豪雨や台風などによる自然災害に対して、夜中に避難訓練する自治体や、小学校では防災教育として地域貢献する活動を強化しています。子どもから親へ伝わることで、街全体にも広がっていくと話していました。
板宮 子どもは新しいことをスポンジのように吸収してくれます。郊外で昼間に災害が起きた場合、率先して行動する役割を担うのは中学生や小学生です。高校生以上は都心部に出ている場合が多いので、防災教育は中学生以下の子どもたちにこそ熱心に行わなければならないのです。
ARやVRを活用することで誰にでも情報が伝えられる
藤田 ARでは普段生活している空間の中で、浸水してきたり煙が発生したりするだけに、リアルな体験ができますね。
板宮 危険な情報をリアルに伝えることに大きな意味があります。ARを利用することで、普段使っている部屋や階段を見ながら避難訓練ができます。火事が発生して煙が充満したらドアの上の非常口標識が見えない、この場所に水が流れ込んできたら逃げられないなど、視覚で理解することができます。専門家は「総雨量1,000ミリ」などと文字や数字を使って危険度を表現しますが、一般の人はピンとこないのではないでしょうか。
小椋 確かに普通に生活している中で1000ミリの雨が一気に降ると、今いるこの場所はどこまで浸水するかなんて気にしていません。見せていただいた体験システムは危険度がビジュアルで伝わるので、実体験したかのように理解が進みますね。
板宮 “危機は起きてみなければ分からない”などと言われますが、ARやVRはまさにその危機の状況を疑似的に起こしているわけです。最近の小学生は、火を見た経験がないという子どももいるそうです。オール電化の家で、家族にタバコを吸う人もいないからです。防災訓練で火を使おうとすれば大がかりな準備が必要になります。
しかしARならヘッドマウントディスプレイだけで、火災や煙の危険性を伝えることができます。大がかりな仕掛けがなくてもテクノロジーを活用することで、同等のインパクトをもたらすことが可能なんです。
藤田 その意味でARやVRはユニバーサルデザインと同じ価値がありますね。ITリテラシーに関係なく、誰もが共通の理解を得られるインターフェースです。
板宮 ARやVRはそれだけで完結するのではなく、気づきを与えるのが大きな役割です。ARやVRで災害の疑似体験をしたことで、真剣にハザードマップを見るようになり、防災について日頃から考えるようになります。体験後の広がりと既存の防災教育との連携が大切です。
防災意識を広めるには企業としての協力も必要に
小椋 自治体の方とお話しされている中で、現在、地域の防災を進めていく上でどのような課題があるのでしょうか。
板宮 気象警報や避難勧告などの今の防災情報は種類が多すぎると思います。受け取る側が直感的に理解できる能力を超えていて、かえって混乱してしまいます。ハザードマップの色の使い方が自治体ごとに違うなど、情報の出し方が統一されていないことも、混乱の要因になっています。安全を確保する行動につながるように、伝え方や出し方をもっと工夫する余地があると思います。また住民側も受け身ではなく、防災情報を自ら積極的に理解しようとする姿勢が必要です。
小椋 そうですね。誰が見ても誤解のない情報提供が大事であり、今後は個を特定した情報提供のパーソナライズが必要になっていきますね。災害が起こった場所、時間などによりその人がどのような状況にいるかを判断して、適切な情報を確実に届けられるようにするなどができるといいですね。
藤田 さらにパニックになったときに自分がどうするのかを的確に支援してくれる仕組みがあるとうれしいですね。
板宮 そうなるには、費用の問題もあります。自治体の予算は限られていますし、地域における地道な防災活動の実施に十分な予算が組まれているとはいえません。もっと効果的な対策を実施するには、企業の協力も必要です。
小椋 企業側から考えると、通常防災システムなどは将来起こりうる災害を前提に製品やサービスを提案しますが、これは危機感をあおるようで少し違和感を覚えます。そこで、今回のような体験と結びつけることでシステム導入の必要性を実感してもらうことはとても有効に感じます。
つまり、実際活動している現場でリアルな災害をCGで実体験できることの意味は大きいです。この段階での費用化については、企業は防災活動のスポンサーになるなど、さまざまな方法が考えられそうです。当社としても未来サービス研究分野で防災にどう関与できるか、検討していきたいと思います。