ITと新たな分野を掛け合わせた取り組みをご紹介する「IT×○○」。今回は、東京理科大学発スタートアップで、最先端の技術開発によって社会課題解決に挑む、株式会社イノフィスの代表取締役 乙川直隆さんにインタビュー。イノフィスでは、介護業界をはじめ、建設、農業、製造工場などで人体への負荷を軽減する装着型のアシストスーツ「マッスルスーツ」を開発しています。さまざまな活躍を見せるマッスルスーツ。その開発の経緯や舞台裏、災害対策の現場などでの導入事例なども踏まえて国内外の市場動向や今後の展開について伺いました。
社会課題からスタートし、人の役に立つものを提供していく
― まずはイノフィス創業の経緯について教えていただけますか。
創業者である東京理科大学工学部、機械工学科の小林宏教授は、1990年代から長年にわたり、世の中に何か役立つものを開発できないかとさまざまな研究を続けていました。その研究の1つとして、2000年頃から人工筋肉を使って人間の機能を拡張・補助するための「アシストスーツ」の研究を始めました。
小林教授はイノフィスの起業前から精力的にアシストスーツなどの展示会を実施していました。その展示会に精密板金加工や金型製造、プレスなどを手掛ける菊池製作所の菊池功社長が訪れ、小林教授が開発した機器を見て、その熱意に感銘を受け「ぜひ一緒に製品化をしませんか!」と声を掛けたことがイノフィス誕生のきっかけとなりました。
そして、2013年に菊池製作所が筆頭株主となり、東京理科大学発スタートアップとして立ち上がったのが私たちイノフィスです。先生の技術に注目していた介護業界大手で入浴介助サービスを手掛ける静岡県の事業者さんから創業早々に受注をいただくとともに、翌2014年には経済産業省の導入実証事業にて多くの介護施設に導入され、資金調達も順調に進み、非常に恵まれたスタートとなりました。私自身は菊池製作所の社員としてイノフィスの創業から関わり、2023年に代表に就任しました。
― イノフィスが大事にしている理念についてお聞かせください。
「生きている限り自立した生活を実現したい」というミッションを掲げており、これは創業者である小林教授の想いでもあります。自立した生活ができることが、人々が生きる上での喜びになり、力になると考えているからです。
このミッションを実現させるため、私たちは世の中の課題からスタートし、人の役に立つロボットを開発し提供していきたいと考えています。例えば、「夢のようなロボットではなく、誰もが簡単に使えて、手ごろな価格で手に入るモノ」をつくり、困っている人をロボットの力で支えたいという発想からマッスルスーツを代表とした私たちのソリューションは生まれています。
確かに、モノづくりの技術は普及に伴って他社に真似をされてしまう部分もありますが、小林教授は「常に新しいものを作ろう。技術を常に進化させていくことが大事である」とおっしゃっており、日々前向きに新しい技術にチャレンジし続けていく精神を大切にしています。
今がまさに変革期。技術、価格、ユーザーの感覚が変われば普及する
― 改めて「アシストスーツ」とは?また、イノフィスが開発した「マッスルスーツ」の仕組みや特徴についても教えていただけますか。
中腰での作業や重い物を持ちあげる作業など、人間に負荷のかかる作業をアシストしてくれる機器が一般的に「アシストスーツ」と呼ばれています。その中でも、電動モーターなどの動力を使い、人間を支える力を生み出す複雑な構造のものもあります。これらは、「パワードスーツ」と呼ばれることもありますが、明確な定義があるわけではありません。
イノフィスが開発した「マッスルスーツ」は、電動(またはモーター)式でなく筒状のナイロンメッシュでゴムチューブを包んだ人工筋肉を採用しています。そのゴムチューブの人工筋肉に空気を注入するとチューブが膨張してメッシュが広がり、縦方向の収縮を伴う引っ張る力が発生する仕組みです。「外骨格型」と呼ばれる構造で、体の外にもう1つ筋肉があるイメージです。
構造自体は非常にシンプルで、かつ最新の「マッスルスーツExo-Power」は重さ4キロとアシストスーツの中では軽量です。これを装着して作業することで腰や膝を守り、また重い物を持ちあげる際の補助効果があります。
実際に使った方からの声としては、効果はもちろん、特に現場での使い勝手の良さについて高い評価をいただいています。創業から、着実に一歩ずつ使う人の目線で開発を続けてきた賜物だと自負しています。値段、効果、使い勝手の良さのすべてを網羅できる総合力が私たちの強みです。また、大学発スタートアップとして小林教授を中心に原理試作を進め、さまざまなパートナー企業と連携してアジャイル型開発で試作をしてすぐに製品に実装していける、この開発スピード感も当社の強みです。
もちろん試行錯誤の連続です。例えば、マッスルスーツに装着者の心身の状況をモニタリングするようなウエアラブル端末としての活用もこれまでに試みています。ただ、現状は現場で使う方からは、それによる費用対効果の観点からあまりニーズが顕在化していない状況です。もちろん技術のさらなる進歩に伴って、ITの可能性をより深く応用する可能性はありますので、期待を寄せています。
こうしたトライアンドエラーも踏まえながら、「世の中で使いやすいものをつくる」という私たちの想いを日々形にしています。近頃発表した新型のアシストスーツは、サポーター型にイノフィスのこれまでの人工筋肉のノウハウを生かしています。サポーター型のような軽さと装着しやすさ、自由度の高さがありながら、しっかりとしたアシスト力を実現しています。さらに、一般の方でもお求めやすい価格帯のため、仕事現場だけではなく、自宅で介護をする方や農作業が趣味の方など、幅広い場面でお使いいただけます。
また、夏場は特にずっと着けていると暑いですよね。そのため、現場で活用される方々のニーズを素早くキャッチアップし、長く装着してもできるだけ負担にならないよう、肌に接する部分を極力減らしています。また、ワンサイズでさまざまな体格の方でも調整して使えますし、ネットに入れていただければ、洗濯機で洗うことができます。
― 多種多様な業界で人手不足が進み、その打開策の1つとしてアシストスーツは注目を集めています。しかし、広範囲での社会実装には至っていない印象もあります。何がボトルネックとなっていると思われますか。
アシストスーツの分野において、日本は世界に先駆けて技術が進んでいるとは思いますが、おっしゃる通り市場としてはまだ全然出来上がっていません。
その理由の1つは、世の中の人が求めるものと実際の製品の性能のギャップです。期待値が大きいために、アシストスーツを着たら何でもできてしまう、すごい力持ちになれて、「アイアンマン」みたいになれるんだ、とイメージしている人も多い。でも、アイアンマンにはなれないんですよ。この10年間、私たちは常にそのギャップと戦ってきました。
また、例えばシートベルトの例が分かりやすいと思います。現在、運転席や助手席の装着は、義務化となり当たり前。後部座席に乗る際でも、十数年前であれば多くの方々は装着する意識が希薄でしたが、今では多くの人が自主的に装着するようになっています。この使う人たちの気持ちの変化がポイントだと考えています。
これまでの経験を通じて、アシストスーツの利用を考える人たちの心のどこかには、まだ「重い物を持つときは気合い」という感覚が少なからずあるように感じます。そうではなく、重い物は自分の体の力だけでは持てないんだという感覚が当たり前にならなければ、アシストスーツは広まっていかないのではないかと思います。少子高齢化がさらに進み、社会の働き方が変化していく中で重い物を持つときや中腰の作業が多い時はマッスルスーツを装着することが当たり前であるという世の中になってほしいですし、なるべきだと僕は思っています。
価格や製品の使い勝手などの要素ももちろんあると思いますが、技術は私たちの努力によって革新していけます。また、多くの人に使っていただければ価格は下げることができます。この10年、山あり谷ありで色々な挑戦をしてきましたが、今がまさに変革期で、ここからの10年でまたアシストスーツの市場は大きく変わっていくと思っています。
― 諸外国ではどのようなアシストスーツが開発されているのでしょうか?
欧米人は日本人よりも体格が大きいこともあり、外骨格のパワー重視なものが多くなっています。ただ、大きな流れでは少しずつライトなものにシフトしているようです。例えば、日本では外骨格から内骨格型が主流になっており、その分野では世界の先端を走っています。当社のマッスルスーツは、ヨーロッパ、アジア、北米など世界20の国・地域でも展開しています。世界の中でも、ヨーロッパはこれから伸びていく有望な市場であると見ています。
困りごとを解決し、人生が豊かになる技術を提供していきたい
― アシストスーツの導入事例について教えてください。
すでに介護、建設・土木、物流、農業、製造業などさまざまな分野で使われています。新しい分野としては、今年の8月には大手食肉加工業グループの養豚事業会社にアシストスーツを提供しました。飼料の運搬や豚の移動など、腰に大きな負荷のかかる作業に対して身体の負担軽減に貢献しています。アシストスーツは湿気がある場所や泥の多い場所でも使えるので、畜産業、林業、農業のニーズも増えています。
また、消防庁や航空自衛隊にも提供しており、防災や災害対応にも使われています。2024年1月に起こった能登半島地震でも、機械が入れない場所の土砂を取り除く作業や、避難所で暮らす高齢者の方をサポートする際に使っていただいています。今後は、リハビリのサポート手段として活用いただくために医療分野にも進出を予定しており、マッスルスーツの用途は確実に広がっています。
― 今後の展開をお聞かせください。
おそらく私たちがまだ想像できていないユーザーのニーズがあり、提供できるソリューションがあると思っています。働き手不足や社員の高齢化により、先ほどあげた現場のみならず、企業内のビジネスケアラーの方々にもニーズがあるかもしれません。
私たちは「世の中の問題から開発をスタートする『人のためのロボット』』を創り、人を支える何事も正面から取り組む」というビジョンを掲げています。今後も、アシストスーツを事業の軸にしていきながら、世の中の困りごとを1つずつ解決していけるような製品開発を続けていきたいです。そして、アシストスーツに限らず、働く人たち、生活者の皆さんの人生が豊かになるようなツール、ソリューションを提供していく会社であり続けたいと思います。