新型コロナウイルス感染症の流行をきっかけに、大きく変化した社会のあり方。より住みやすい場所、自分らしい暮らしを求めて、都市から地方へと移住する人が増えています。そんな「コロナ移住の今」について考える、連載第3回。第2回でアタシ社・ミネシンゴさんが話していた、移住の「ステップ」という考え方を手掛かりに、今回お話を伺ったのは、神奈川県真鶴町で、“泊まれる出版社”「真鶴出版」をご主人と営む來住友美(きし・ともみ)さん。2015年の設立以来、これまで真鶴出版がきっかけとなってこの地に移住した人は約30組にのぼるといいます。真鶴町からも注目されるその活動内容とはどのようなものなのか、ご自身たちの移住の経緯も含め、お話を伺います。
青年海外協力隊員の妻、大手IT企業勤務の夫
― まずは、“泊まれる出版社”「真鶴出版」について教えてください。
出版社として制作物をつくることはもちろん、宿泊機能も兼ね備えた場所が「真鶴出版」です。主に夫の川口瞬(かわぐち・しゅん)が出版担当、私が宿泊担当という形で、今はほかにも手伝ってくれているスタッフが数名います。
もともとは現在のお店から路地を挟んだ向かいの平屋を拠点に、1室を民泊サイト「Airbnb(エアビーアンドビー)」に登録して2015年の12月に宿業をスタートしました。
その後、当時空き家だった今の建物をリノベーションして、2018年に移転オープン。2部屋の客室と、お客さまに使っていただけるキッチンスペース、そして今、私たちがいるショップスペースで構成されています。
出版業として最初に制作したのは、『ノスタルジックショートジャーニー in 真鶴』という折り畳み式のマップでした。私たち自身が、「日帰りで真鶴に来るならここがおすすめ!」という場所を掲載して、真鶴在住のデザイナーさんと一緒につくりました。
― もともとおふたりは、真鶴に縁があったんですか?
いえいえ、全然。私は神奈川とはいっても横浜出身で、夫は山口出身の千葉育ちです。移住先として、たまたま知人から真鶴をすすめられたのがきっかけですが……、その前に私たち夫婦の経歴を少しお話ししますね。
私は大学卒業後、青年海外協力隊員としてタイにいたんです。2年間の任期の途中で、「宿をやってみたい」と思うようになって。宿経営の知識なんてまったくなかったので、まずは働いてみようとフィリピンのバギオという町に行き、ゲストハウスで働き始めました。涼しい気候で、ちょうど日本でいう軽井沢みたいな場所です。
一方で、学生時代から交際していた夫の川口は、大学卒業後に大手IT企業に就職。もともといつかは自分で仕事をつくりたいと思っていたものの、とくにやりたいことも見つからなかったので「働き方」の部分を重視して就職先を決めたんです。とても良い会社だったんですが、働き始めると「このままでいいのか・・・・・・」と、悩みだして。大学時代に出版社でインターンシップをした経験を生かして、友人たちと、まさに「働くこと」をテーマに雑誌をつくり始めました。入社早々、まだ1年目のことです。
雑誌をつくるうちに、出版業で仕事づくりをしようという思いが強くなり、4年経ったところで会社をやめました。当時は海外に向けた出版物をつくることも考えていて、私がいたフィリピン・バギオにある語学学校に留学してきたんです。そこにふたりで9カ月ほど滞在ののち、帰国しました。
― そこから、どのようにして真鶴に住むように?
そもそも私が青年海外協力隊に参加したのは、開発途上国の社会問題に取り組みたかったから。でも、「社会問題」という観点で考えれば、日本にだって問題はいろいろある。だったらわざわざほかの国で何かするよりは、日本でできることを考えたいなと思うようになりました。加えて、海外で暮らしていたときに、日本に憧れをもってくれる人がすごく多いことに気がついたんです。だったら、そういう人たちに日本を紹介するような宿ができないかなと、そう考えるようになりました。
でも、宿をやるなら、私の実家のある横浜あたりだとちょっと人が多すぎるな、と。フィリピンで働いていた宿が常にすごく忙しかったこともあって、もう少し時間の流れがゆっくりとした場所で、お客さまとしっかり向き合いたいと思ったんです。私が宿を通してやりたかったのは、「人と人をつなぐこと」だったので。
川口は川口で、「これからは地方の時代だ」という考えがありました。それでふたりで移住先を探し始め、最初に知人からおすすめされたのが真鶴だったんです。東京まで東海道線で1時間半あれば行けるので、出版業という業種的にもちょうどいい距離感じゃないかって。
「3つの条件」をクリアした真鶴。2週間のお試し滞在を経て移住
― 真鶴のことを知って、移住を即決したんですか?
いや、真鶴のあとにも、ふたりでいろいろな町に行ってみました。地方創生のロールモデルといわれる徳島県神山町だったり、岡山県倉敷市、香川県の小豆島だったり、西日本も行きましたね。でも、どこも良くって、逆に決められなくって(笑)。
そんなときに、最初の訪問の際にお会いした真鶴町役場の方からお電話をいただいたんです。2週間のお試し移住制度が始まるから、その第1号として来てみませんかって。それで滞在してみることにしました。
あまりにも決断できなかったので、ふたりで条件を3つ設定したんです。真鶴に滞在してみて、3つの条件を満たしていたら移住しようと。1.空気がきれいなこと、2.食べ物がおいしいこと、3.人が優しいこと。結果、すべての条件にばっちり当てはまったので、2015年4月、真鶴に移住してきました。
― 実際に滞在してみて、真鶴はどんな町でしたか?
もう、なんか……本当にすっごく良くって。私たちは移住してから結婚したので、その当時はただの20代の、しかも無職のカップルだったんです(笑)。普通だったら怪しまれそうですけど、みなさんすごく興味をもって話しかけてくれるんです。「お試し移住のふたりでしょ?」、「どんなことがやりたいの?」って聞いてくれたり。そこからどんどん知り合いが増えて、縁が広がっていく感じがすごくおもしろかったんです。
それと、真鶴には、町の景観を守るための「美の基準」というものがあり、そのおかげでバブル期の大きな開発を免れてきたので、町の風景がとても美しいんです。眺めてもらえば分かると思うんですが、高い建物がないんですよね。川口は大学時代に町づくりについても少し学んでいたこともあり、そんな点も気に入ったポイントのひとつです。
― もともと真鶴の町にはどんな特徴があるのでしょうか?
漁業と、あとは石材業が有名です。周辺の火山噴火時の溶岩である「本小松石」の採掘場があり、小田原城や江戸城の石垣にも使われています。
もともとこのエリアには別荘やセカンドハウスをお持ちの方が多く、リタイアと同時にこちらに拠点を移す、シニア世代の移住が多かったようです。「背戸道」と呼ばれる細い路地や坂が多い町ではあるのですが、道を選べば車での移動も問題ないので、高台の地域なんかは年上世代の住民の方が多いですね。
あと、熱海、湯河原、箱根、真鶴エリアには、昔からものづくりをする作家さんが多く集まっているという傾向があります。そうした文化的な素地のある地域です。
移住希望の宿泊者増加と、真鶴出版の存在
― 「真鶴出版」を立ち上げた直後の、活動内容を教えてください。
出版業としては、先ほどお話しした真鶴のマップが制作物第1号でした。1枚300円で、川口が雑誌を作っていた時にお世話になった、東京の独立系書店などを1軒1軒訪ねて置いてもらっていました。
このマップによって、「ああ、あなたたちはこういうことがやりたいのね」となんとなくわかってもらえたような気がします。そのうち、そうした制作物を見た町役場の方から「移住者向けのパンフレットを制作してほしい」といった依頼も来るようになって、今は自主制作物との両輪で活動をしています。
宿業としては、当初「Airbnb」に登録したこともあり、ほとんどが外国からのお客さまでした。当時、町に外国人が歩いていることは少なかったので、お客さんが来るたびに飲食店について行って、メニューを訳してあげたりしていました。うちに宿泊した外国の方が原因で、町の人が困ったら嫌だなって思って。そのうち、一緒に歩きながら町を紹介するようにもなった。これが原型となって、現在宿泊者の方に体験いただいている「町歩きツアー」が生まれました。このツアーは、真鶴や「美の基準」についてお話ししたあとに、1.5~2時間ほどの時間で真鶴の路地をめぐりながら、地元のお店の方とお話をしたり、干物を楽しんだりと、真鶴の暮らしを少しだけ体験できるものです。
― 次第に、真鶴へ移住を希望する日本人宿泊者の利用が増えたと聞きました。
そうなんです。出版物を県外でも販売していたので、今から考えるとそういった媒体を通して私たちの活動を知ってくださった方もいたんだと思います。でも最初は日本人の方の予約が入ると、すごく緊張しました……。というのも、外国の方だったら、こういうローカルな町での住民とのコミュニケーションを絶対楽しんでくれる! という自信があったんですけど、日本人同士だといろいろな価値観をお持ちの方がいるからなぁ、と。実際お迎えしてみると、とにかく新しい場所を探検してみたい方、それと、移住を考えている方、日本人ゲストの方はこのいずれかが多く、杞憂でしたね。
町から委託を受けて移住支援窓口「くらしかる真鶴」のお手伝いもしていますが、真鶴出版での宿泊をきっかけに移住のサポートをすることもかなり多い。すぐ近くにある「パン屋秋日和」さんも、初期の宿泊ゲストが開いたお店です。
― 近年の真鶴への移住者は、どんな方が多いですか?
最初のころは、パン屋さんのように「手に職を持った方」が多かったように思います。きちんとした技術があれば、東京じゃなくても人は呼べるということで、お店を開きたい人なんかがメインでしたね。あとは、やはり地域一帯としてアートカルチャーが根強いので、何かものづくりをしている作家さん。
でもコロナをきっかけに、会社員の移住者も増えました。たとえば、うちに宿泊してくれたこともある真鶴大好きなご夫婦がいらっしゃったんですけど、旦那さんが建築士として独立して、奥さまはほとんどリモートワークになって。「どこでも好きなところに住めるって、気づいちゃったんです!」ってメールがきました(笑)。
深く考えすぎると、移住はしづらい。まずは気軽に動いてみる
― 來住さんご自身が、真鶴に移住して良かったことはなんですか?
5歳と0歳のふたりの子どもがいるんですが、町全体で育ててもらっている感覚があります。上の子なんて、すぐ近所によくしてくださっているおじいちゃん、おばあちゃんが何人もいて。いつもお菓子をもらって、お菓子ボックスにためていますよ(笑)。これまでどんなに夜中に泣き叫ぼうと、苦情は一度もなかったですね。学校にあがったときの習いごとの選択肢が町内にはちょっと少ないっていうのはありますけど、未就学児の一時預かりの事業もあったり、現時点では子育てで不便だなと思うところはないですね。
あとは、何かイベントを企画するときにハードルが低いことも、真鶴のいいところ。東京だと、まず会場を確保することが大変だったりしますが、真鶴だと「朗読会を開きたい」「ヨガクラスがやりたい」なんて人がいると、「じゃあうちでどうぞ!」と誰かが手を挙げるし、その立場が逆になることもよくある。誰しもが提供する側にもされる側にもなれる、柔軟な関係性がとても心地いいんです。
真鶴ってコミュニティーが小さいので、飲み屋さんで一緒になった人と知り合いになったり、歩いていて偶然出会った人と友達になったり、なんてことも日常茶飯事。自分が本当に素の状態でいられるからこそ、今ここで暮らせているんだなって思います。
― 移住を考えている方へのアドバイスをお願いします。
気になっている場所があるなら、まずは1泊でもいいので滞在してみたらいいと思います。そして自分自身に、居心地がいいかどうかを聞いてみる。あんまり深く考えすぎないほうがいいと思います。私たちも普段は「お昼に何を食べるか……」って程度のことですごく悩む夫婦なんですけど(笑)、移住に関しては熟考していたら決断できなかったかもしれませんね。まずは賃貸で気軽に、もし合わなかったらまた引っ越せばいいだけですから。
今、真鶴出版の宿泊プランは、コロナで組数を毎日1組に限定していることもあって割高になってしまっているのですが、今後はもっと中長期で滞在してもらえるような施設もオープンしたいと思っています。そうすれば、移住希望の方にもさらに利用してもらいやすくなるんじゃないかなって。そんなふうに考えています。