ITと新たな分野を掛け合わせた取り組みをご紹介する「IT×○○」。今回は、現役医師の知見を活かし、医療従事者によるお悩み相談や各種ヘルスケア関連イベントをインターネット上の仮想空間で行うサービス「メタバースクリニック」を手掛ける、株式会社comatsunaの吉岡鉱平代表取締役にインタビュー。起業・サービス開始に至った想いや、医療×メタバース領域における今後の挑戦などについて伺いました。
医師として気付いた、本音で話し合える場所の必要性
――まずは、メタバースによるサービスを手掛けようと思ったきっかけから教えてください。
日々診察している中で、患者さんが本音で話せていないのではないかと感じる場面が多々あって、いつからか「本当に患者さんの役に立てているのか?」と感じることがありました。そういった経験から「心理的な安全性の保たれた環境下で、他人に打ち明けにくい身体や心の悩みを抱える人たちが
より気軽に本音で話し合える場所があればいいのに」と漠然と思い始めたんです。そんな時にたまたま、匿名性の担保されたアバター同士でコミュニケーションが取れるメタバースの存在を知り、ヘルスケアの分野に応用できるのではないかと考えたことがきっかけでした。
――起業を考え始めたのはいつでしたか
2019年~2020年ごろです。ちょうどその頃は、デジタルテクノロジーをヘルスケア領域でも活用する「デジタルヘルスケア」という概念が注目を浴びていたタイミングでした。とりわけ象徴的だったのは、株式会社CureAppさんが開発したニコチン依存症を対象とする治療用アプリ「CureApp SC」が2020年12月に保険適用されたこと。これはかなり画期的な出来事で、医療関係者の間でも「保険適用まで行った企業があるのか。これはいけるぞ」と話題になっていて。
僕自身も以前から「ITとヘルスケアを掛け合わせた取り組みをしてみたい」と思っていたので、このデジタルヘルスケアの盛り上がりは一つの機運なのではないかと捉えました。そもそも医療業界にはアナログな部分が多く、効率化できる余地が山ほど眠っている「未開の場所」という感覚が個人的にはあったんですよね。
弊社の事業内容は、デジタルヘルスケア事業です。特に、メンタルヘルスに関わる問題で、社会支援や医療機関へかかる際の、物理的および心理的ハードルの低減をテクノロジーで実現していくことが目標です。メタバースの活用は、まさにその一環ですね。
引きこもり支援やアルコール依存症者の自助会づくりも行う
――「メタバースクリニック」ではどんなサービスを行っているのか教えてください。
大きく分けて2つあります。一つは、メタバース空間でヘルスケアの専門家に匿名で直接相談できるというサービスです。現状としてメタバースによる診断や診察などの医療行為は法律的に不可能とされているため、あくまで“医療相談”という形で実施しています。
もう一つのサービスとしては、メタバースで活動したい医療系有資格者の方をサポートし、メタバース上にて、メンタル支援に繋がるセミナーや座談会等のイベントを開催しています。
――メタバース上で相談できる専門家の方は何人いますか?
もともと一人で運用していたのですが、今は常時活動できる人が10人ほどいる状態です。その中には、歯医者さんや薬剤師さん、精神科の先生、産婦人科の先生、看護師さん、臨床心理士さんなどがいます。僕がWebサイトで文章を投稿できる「note」に書いた「メタバースクリニック」に関する投稿を見て「面白そうだから私もやってみたいです」といったお問い合わせをいただき、そこから仲間に加わっていただくケースが多いですね。
――もう一つのサービスである「イベントの開催」についてもお聞かせください。
イベントの参加人数は内容によってマチマチで、10人程度集まることもあれば、数人ということもあります。先日だと、死産や流産を経験されたお母さんたちの心に寄り添い支援する「グリーフケア」に長年取り組んでこられた産婦人科の先生をお招きし、10人以上のユーザーさんとともにメタバース上でグリーフケアを行いました。ほかにも、引きこもりの方の支援やアルコール依存症の方の自助グループにも可能性を感じています。
――運用ツールは何を使っていますか?
いくつかのメタバースプラットフォームを、用途や特徴によって使い分けながら運用しています。具体的には、VRCHAT、spatial、DOORでオリジナル空間を構築しています。プラットフォームもそれぞれに特徴がありますので、必要な要件を定義し、イベントや想定する参加者に応じて、さまざまなプラットフォームを利用することで、幅広い方にサービスを提供できるように努めています。
スタートアップだからこそ不確実なことに挑戦できる
――「メタバースクリニック」リリースにあたって、試験運用などされたんですか?
正直なところ、今が試験運用期間ですね。メタバースはまだ一部の人の利用に限られ、社会に実装されるには至っていない状況です。本当に価値のあることは、すでに多くの大企業が着手しているはずですが、そうなっていないということは、価値があるのか? お金になるか? まだ見極められていないということです。そんな不確実な状況の中でも、さまざまな可能性をチャレンジングに探っていけるというのがベンチャーの強みであり、僕らのやっていることの意味なのかなと考えています。
――利用者にはどのような方が多いのでしょうか? また、どんな反応があったかも聞かせてください。
他人に打ち明けにくい健康に関する悩みを抱えている方や、病院に行くほどでもないけど自分の身体や心について相談に乗ってもらいたいことがある方が多い印象です。ご本人が来られる場合もありますし、ご家族やお知り合いの症状についてアドバイスを乞われる方もいらっしゃいます。
また、よく「こういう場所があって良かったです」とおっしゃっていただいています。うれしいのですが、それがメタバースの価値なのか、単純に医療従事者が話を聞いてくれたことの価値なのか、まだハッキリとはわかりません。そのあたりの真価はこれから問われてくると思います。
――吉岡さんはじめドクターの顔がアバターであることで、利用者から信頼されないなどの難点があるかと思いますが、その辺はどのようにお考えですか?
たしかにそれはあると思います。なので、僕も本当に医者だとわかっていただくために、本名を出してなんとか信じてもらおうとしているんです。そうしないと「ニセモノの医者だ!」となりかねませんからね(笑)。というわけで、実際の自分とメタバース上の自分をある程度リンクさせることは、ユーザーさんと信頼関係を築く上で必要だと考えています。
僕自身、ユーザーさんと向き合っていて、相手が話したい人なのか、それとも、話してほしい人なのか判断に悩むこともあります。とはいえ、そういった匿名性に居心地のよさを感じる人たちがいるのも事実です。メタバースクリニックは、顔色を伺ったり、表情を読み解いたりしないことに気楽さを覚える人が集まっている場所のような気もしますね。
――収益の仕組みについても教えてください。
個別相談の場合は、相談を受ける方のさじ加減で料金を決めてもらい、そのうちのいくらかを手数料としていただいています。一方、自助グループや座談会などの集団イベントは、仮想空間内に掲載したスポンサー企業の広告による収益化を試みています。基本的に無料イベントなので参加費はいただきません。
――イベントに関して、利用者から参加費を取らすに、広告収入のみでマネタイズする理由は?
メタバースについて詳しく知らない人が多い現状を鑑みて、「お金を取られるのであれば誰も利用しないんじゃないか」と予想したからです(笑)。あとは、リリース当初どのレベルのサービスを提供できるかわからず、適正価格を決めかねたという事情もあります。とにかく今は、無料でやってみてどんな方が利用されるのかを調べている段階です。
メタバースがすべてと考えていない
――「メタバースクリニック」を運用しているうえで感じる「一番のやりがい」は何でしょうか?
正直、やりがいはまだ見出せていません。これからじゃないですかね?今はまだ動き出したばかりの段階で、ここからだと思っています。「メタバースクリニック」が意味のあるものになるのか、そもそも、メタバース自体が社会に実装されるのか、それとも一時の流行りで終わるのか。その辺も含めてですね。
僕はフラットなんです。メタバースがすべてとも考えていません。良いところを認めつつも、ダメなところをしっかりと受け止めるべきというか……。“メタバース信者”みたいに思われると良くないので。こういう要素では使えるけど、この要素ではやめたほうがいいと分別し見極めた上で良質なサービスを考案し、利用者さんへ提供していければと思っています。
――メタバースは音楽やエンタメなどさまざまな領域に活用が広がっているようにも見受けられますが、医療との関係性について、ご意見をお聞かせていただきたいです。
個人的にメタバースの要素は、①「遠隔通信性」、②「アバターコミュニケーション」、③「アバター自由度」、④「立体視認性」、⑤「空間構築性」、⑥「インタラクティブ性(双方向性)」の6つに分類できると考えています。これらの要素のどこに着目するかによってサービスの内容は全く異なるものになるというのが僕の持論です。
その中で医療関連サービスとしてユーザーに働きかけられるものは、②「アバターコミュニケーション」と⑥「インタラクティブ性」だと思っています。後者はすでに、身体リハビリや認知症予防の領域で活用されつつありますが、僕が特に興味があるのは②「アバターコミュニケーション」です。今まで人類が手にしたことのないコミュニケーション手法を医療に繋げる試みは意義があると思っているわけです。
将来的には「リアルのクリニックを立ち上げたい」
――今後の展望を聞かせてください。
まずは成果を実感できている引きこもりの方のサポートやアルコール依存症の方の自助会づくりのような社会支援プロジェクトを、自治体や行政を巻き込んで展開していきたいと考えています。
もう一つは、都内某所にリアルな医療機関(診療内科クリニック)の立ち上げも具体的に計画しています。臨床拠点があれば、現場のニーズに応じたさまざまなアプローチをより実践しやすくなるからです。例えば、受診前相談はメタバースで行い、相性がよさそうなら実際にオンライン診療を受けに来ていただく……というような医療機関を連動させた取り組みが可能になります。また、メタバースの他にも、診察の効率化や患者がより医療者に自身の状態を上手く伝えられるような医療補助システムの開発など、いくつかのアイデアがあり、デジタルヘルスケアの臨床拠点にしていこうと構想しています。