コロナ禍をきっかけに大きく変化した社会の在り方。より住みやすい場所、自分らしい暮らしを求めて、都市から地方へと移住する人が増えています。そんな「コロナ移住の今」を探る、連載第2回目。今回伺ったのは、パートナーと二人で出版社「合同会社アタシ社」を営む、編集者のミネシンゴさん。ミネさんは、2015年に自身の会社を設立し、2017年にそれまで暮らしていた神奈川県逗子市から三浦市三崎に拠点を移しました。現在は、移住者を積極的に受け入れる三崎町の魅力を広く発信する中心的な存在の1人となっています。三崎以外の移住受け入れを推進する地域との関わりも深いミネさん。彼が考える、移住を検討する上で大切な考え方とはどのようなものでしょうか。自身の運営する町に開かれた蔵書室である「本と屯(たむろ)」で、お話を伺いました。
独立を機に引っ越しを検討。“三崎”との運命的な出会い
―まずは、ミネさんのお仕事について教えてください。
妻である三根かよこと二人で、出版社「合同会社アタシ社」を運営しています。主に僕が編集と営業、妻がデザインを担当しているのですが、夫婦それぞれが編集長として雑誌の発行も手掛けています。
もともと4年ほど美容師として働き、その後、経験を生かして美容専門雑誌の編集部に2年在籍しました。2011年にはリクルートに入社し、雇用期間3年半の契約社員として編集や出版のノウハウをさらに深く学びました。
リクルート在籍中に、今もアタシ社から出版している『髪とアタシ』という美容文芸誌を創刊しました。20代の最後に、自分でメディアをつくってみたかったんです。これが、そこそこ売れて。リクルート卒業後はフリーの編集者になる選択肢もありましたが、自分自身が出版元になっちゃった方が、博打性もあって面白いなって(笑)。そんな経緯で、2015年4月にアタシ社を立ち上げました。結婚の翌年でしたね。
社名は、会社の社訓に由来しているんです。「私ひとりで世界は変わらないけれど、アタシがどう見るかで世界は変わるかもしれない。だから、一人ひとりの“アタシ”の思想を大事にしよう」。そんな想いを込めています。
―三浦市三崎に移住したきっかけは何ですか?
当時暮らしていた逗子の一軒屋は、それなりの家賃でした。独立して、東京に出る機会もだいぶ減ったのにもったいないなぁ、と思っていて。本が3000冊もあったので手狭だったし、「家と仕事場を分けたい」っていう気持ちも強くなっていたんですよね。
それで、渋谷を起点にぐるっと半径70キロの円を描いて、「この範囲内だったら車を使えば1時間で東京まで出られる」って、考え始めました。そんな時、あるイベントで出会った、横須賀で事業をやっている方から「だったら三浦がいいんじゃない?」って言われたんです。
後日、その方が三浦までドライブに連れて行ってくれたんですけど、すごく良くて。ごはんはおいしいし、海があって、畑もある。同じ神奈川県ながら、南端は盲点だったな、と思いました。海といっても三崎は港町なので、湘南のビーチカルチャーとも全然違う。遊ぶ場所じゃなくて働く場所、っていう雰囲気も気に入ったんですよね。夕日がものすごくきれいだったのも印象的でした。
その時に紹介されたのが、この物件。築90年以上の元船具店でした。こういう建物って、放っておくとどんどん解体されてしまうからと、案内してくれた彼が仲間たちと一緒に借り受けて、守っていたんです。商店街の真ん中にあって、さらに、お向かいさんが三崎に2軒しかない新刊書店。うちは出版社を生業にしているわけだし、運命的なものを感じてしまって……。その場で即決しました。家はここから歩いてすぐの場所に別で借りたんですけど、2カ所合わせても、逗子の家賃に比べてだいぶ安くなりました。
コミュニティーより、仕事・医療・教育。ライフステージを見極める
―町のコミュニティーになじむ努力はしましたか?
正直、「早くコミュニティーに溶け込まなくちゃ」と思って、積極的に何か働きかけたわけじゃないんです。というのも、この建物がもともと商店建築だということもあって、「ここはお店ですか?」「本屋さんですか?」って、地元の人も観光客も、何もしなくてもどんどん人が訪ねて来るんですよ(笑)。2階を僕の仕事場と在庫置き場、1階を本置き場にしていただけなんですけどね。
それで、来てくれる人にお茶くらい出せるようにしたいなと思って、半年ほどたってから、カウンターとキッチンを造作して、飲食の営業許可を取りました。そして、誰でも自由に出入りできる蔵書室、「本と屯(たむろ)」としてオープンしたのが、2018年の春頃です。
もともと三崎は60年代、70年代にものすごい数のまぐろ漁船が寄港して、外からの人々を受け入れてきた港町。昔、船に乗っていたという地方出身者の方も町には多くいますし、“よそ者”に慣れている文化がベースにあったことも、今となっては大きかったと思っています。
なんかね、立ち話が多い町なんです、三崎って。お昼くらいになると、どこからともなく人が出てきて、みんなその辺でしゃべってる。ランチで行った中華屋さんでも誰かしらに会うし、夜はあの居酒屋に行けばあの人がいる、みたいな。だから、三崎住人の関係相関図を書いてと言われたら、書けますもんね(笑)。
―移住する上で、大切なことは何だと思いますか?
まず、自分のライフステージを客観的に見て、何を重要視するのかを考える。その上で、教育や医療、雇用について、移住先のデータを、しっかりと調べるべきだと思います。単身者なのか、夫婦二人なのか、ファミリーなのかという世帯の違いだけでも、求めるものはだいぶ変わってきますよね。
僕が引っ越してきた時は33歳でしたが、もし子どもがいたら、正直なところ三崎を選んではいなかったと思います。医療の面で言えば、小児科も産婦人科も少ないですし。小学校も、今は7つあるものが、これから3つに統合される予定だと聞いています。ほかの地方自治体でよくあるような、移住者への補助金もないですから。
仕事の面でも、いくらテレワークが進んだとはいえ、実際に出勤する仕事の方が多いですよね。僕たちは編集という職業柄、比較的どこにいても作業ができますが、移住先にちゃんと働き口があるかどうかも、ものすごく重要なポイントです。
逆に、僕が移住前にそこまで考える必要がないと思っているのが、「コミュニティー」の部分。なぜならば、いくら調べても分からない、不確定要素が多いトピックなんですよ、コミュニティーって。それよりも、どんな家に住んで、どんな暮らしをして、どんなふうに働いたらきちんと稼ぎを得られるかっていう現実に、しっかりと向き合うことが大切だと思います。
「移住」っていう言葉も、どうなのかな?っていう気はしているんです。現状の生活に何か不満があって、「人生を劇的に変えたい!」って思うから、移住っていうワードが出てくるんだと思う。でも実際は、単なる“引っ越し”なんですよね。僕だって、神奈川県の中で、ちょっと引っ越しただけなんです。移住後に「何か違った」と感じないためにも、この意識が実は大切かもしれません。
それに、“移住組”ってラベリングされると、それだけでもう“よそ者”として線を引かれてしまうし、逆に「移住者だから、地域のために何かやってくれるんじゃないか」っていう期待値が、必要以上に上がることもある。外国に移住するわけじゃないんですから、もう少し今の生活の延長線上として考えてもいいんじゃないかな、って思います。
―実際の“引っ越し”を決意する前に、何かできることはありますか?
ローカルジャーナリストの田中輝美さんが提唱した、「関係人口」という言葉があります。これは、その地域に定住していなくても、度々訪れたり、コミュニティーでの取り組みに参加したりするなどして、継続的にその地域と関わっている人口のこと。最近では総務省も、この関係人口を増やすことを提唱しています。
地域に通うことで知り合いが増えて、その場所のカルチャーも分かってくるので、本当に気に入ってから引っ越せばいい。以前は、「これまでの生活を続けるか、移住か」という白か黒かの選択肢しかなかったけど、いわばその中間のグレーの部分ですよね。
人はもともと白黒はっきりさせるのが苦手だと思うし、グレーを経験することでリスクヘッジにもなる。「二拠点生活」という考え方も最近ではかなり一般的になりましたけど、これも同じく、継続居住と移住の間、グレーの部分ですよね。
つまり、「ホップ」からいきなり「ジャンプ」するのではなく、「ステップ」を挟むということです。最近ではそういったサービスもかなり増えてきました。例えば、サブスクで、全国200以上の場所に定額住み放題の「ADDress(アドレス)」や、旅のサブスク「HafH(ハフ)」。三浦市でも、空き家を活用して短期間のお試し居住が体験できる、「トライアルステイ」という取り組みを行っています。
同じ文化圏で動く、“近距離移住”というトレンド
―ミネさんが考える、最近の移住の特徴を教えてください。
「近距離移住」が圧倒的に多いと思っています。東京から考えるとしたら、神奈川、千葉、埼玉辺り。俯瞰で見た時に、ざっくり同じ文化圏の中で、これまでの生活を引き継ぎながら暮らしていく、というパターンです。僕が三浦に引っ越しを決めた時も、逗子・鎌倉の友達との関係性をキープしながら生活できる、というのが1つの決め手ではありました。実際に、三浦に移り住んだ人の属性を見ると、圧倒的にお隣の横須賀に住んでいた人が多いんです。
大都市にすぐ出られる“ちょっとした地方”って、すごく余白があるんですよね。地元の人は「こんなに何もないところに、なんで来たの?」って言うんですけど、僕らからしたら、「何もないからこそ、逆に何でもできる」って感じる。自分の存在価値を示そうとしたら、東京のど真ん中だと競争率も高いし、どうしても実現しづらいわけです。
そうやって、だんだんと人が集まってきた地域のコミュニティーが、徐々に盛り上がりを見せるようになる。三崎もそうだし、愛知の岡崎とか、佐賀の嬉野、滋賀の長浜なんかもそう。大都市文化圏の周辺で注目を集める町が、徐々に増えてきているんです。
―そうしたコミュニティーが盛り上がるきっかけは何ですか?
最初はやっぱり、“ファーストペンギン”みたいな人がいるんですよね。三崎でいうと、2012年に「ミサキドーナツ」をつくった藤沢宏光さんがそのうちの1人。当時は、「まぐろの町でドーナツなんて……」って、随分言われたみたいですけど(笑)。実際にはそれ以降、商店街にどんどん新しいお店が増えました。
町はもちろん「人」で構成されているんですけど、さらに言うと、町は「人と店」で構成されていると思っていて。店がないと人は集まらないし、それに、店の人がいると、町のことを質問しやすいじゃないですか。「ご主人って、他の場所から越してきたんですか?」って。いきなり自治体へ相談に行くハードルの高さとは、だいぶ違いますよね。
目的が明確な、隅々まで完璧に整えた店じゃなくても、「自分にとって最高に居心地のいい場所をつくって、それを町に開いてみる」っていうのも、面白いと思っています。東日本大震災の時に、アサダワタルさんという編集者が出した、『住み開き』っていう本があるんです。災害でコミュニティーが分断されちゃったけど、自分が持っている「家族」や「家」っていう最小単位を町に開くことで、世界が広がるという考え方ですね。
それが情報交換の場や、地域のセーフティーネットになったりする可能性もあるし、そこから友達が増えて、結果的にビジネスの話が舞い込んだりするかもしれない。ここ「本と屯」だって、最初から店舗としてオープンしたわけじゃなくて、「自分たちの蔵書室」が、自然な流れで町に開かれていっただけですから。そこにはもちろん、この町の人たちのキャラクターも大きく関係しているとは思いますけどね。
三崎ってね、すごくコントラストのある町なんです。平日はのんびり、でも週末になると観光客が大勢やってくる。漁師町特有の活気がありながら、夜になると通りから誰もいなくなっちゃう。魚がピチャピチャ跳ねる音だけが響いているような、すごく寂しい雰囲気になるんです。でも、空を見上げれば星がものすごくきれいだったり、海は静かに凪いでいたり。そのバランスが、僕は大好きなんですよね。先のことは分からないけど、きっとこれからも三崎で暮らしていくんじゃないかなって、今は思っています。