豊洲市場で働く人も一般の来場者も、ふらりと訪れてはつい長居してしまう場所があります。そこは、市場内の小さな資料室 「銀鱗(ぎんりん)文庫」。中央卸売市場の歴史がわかる資料や、魚、水産物に関する本が並んでいます。ミニギャラリーでは、市場ならではの絵や写真の展示が。普段、足を踏み入れることがかなわない(でも実は気になる)市場の内側を垣間見ることができる貴重な資料室です。そして、銀鱗文庫にこの人あり! 「トヨスの人」第7回は、築地魚市場銀鱗会の事務局長、福地享子さんにインタビュー。仲卸の世界に飛び込んでからの、福地さんの波乱万丈なエピソードをお聞きしました。
福地さん これは「大福帳」です。江戸時代、魚河岸では墨壺とそろばんと大福帳で客を迎えていたんです。いわゆる、帳簿よね。「水揚帳」「仕切帳」「懸〆帳(かけじめちょう)」と、いろいろ種類があります。ここに昭和10年の「懸〆帳」が残っているから、昭和の時代までこのスタイルだったことがわかるわよね。当時は、客と信頼関係ができると「かけ」で魚を売ってたから、帳面に誰それがいくら買ったかを書いておいて、月末にまとめて支払ってもらっていました。「水揚帳」は、水産物の荷主さんに対していくらで売れたかってことを報告するために、日付と値段を書いてあります。昔は、魚の値段ってお客さんによって変えていたのよね。しかも、荷主さんへの支払いは、すべて後払いだったのよ。
銀鱗文庫には、こういった昔の資料がいろいろあります。私がここを引き継いだのが10年ほど前でね、大切に保管されてあったものもあれば、新たに私がゴミ箱から拾ってきたものもあるんですよ。いや、ホント。築地時代、仲卸業者が店を閉めるって聞けばすぐにとんで行ってね、史料や写真を随分もらいましたよ。皆さん、けっこう無頓着なの。実は歴史的なお宝がいっぱい眠っているのに。
私は、40歳過ぎてから突然築地市場と関わりを持つことになったんです。それまでは編集者でした。大学を出てすぐ婦人画報社に入って、料理ページの担当になってね、辞めてフリーランスになってからは向田邦子さんや森瑤子さんの料理本なんかを執筆、編集してきました。ある時、イタリアンのシェフ落合務さんに誘われて築地市場に行ったんです。落合さんが懇意にしている仲卸会社の「濱長」のチラシを作ってほしいってことで。実は、それまで洋食屋さんってあまり魚を使わなかったんだけど、カルパッチョが流行ってシェフたちが築地に魚を買いに行くようになったんです。その人たちに向けたチラシを、濱長の社長は作りたかったのね。
私にしてみたら、初めて行く築地市場でしょ、もう楽しくって。でもさ、女がシェフにくっついて市場をうろうろしているのは、邪魔でしかないわけよ。私があれこれ質問すると、店の人たちは皆、何しに来たんだ? って完全によそ者扱い。そうなると、私も負けるもんかって気持ちになってね、ある日包丁を一式買い込んで「今日からここで働かせてください」って言ったんです。社長は、困る困るの一点張り。そりゃ、そうよね。そうしたら、2番目の番頭さんが「まあ、いいじゃねえか」って言ってくれて、面倒を見てもらえることになりました。1998年の秋ですよ。いやあ、私としてもこの先どうしていこうかなって考えていた時でね、築地市場はそれまで自分がいた世界とはあまりに違ったし、とにかく魅力的だったんです。
魚をおろす仕事をやりたかったから、すごい出刃を買って張り切って行ったわけだけど、「鯵をおろしてみろ」って言われてやってみたら、捻りつぶしちゃったんです(笑)。だって、それまで魚をおろしたことなかったのよね。最初くらい、教えてもらえると思うじゃない? 「ばかやろう、ハンバーグ作る気か」って言われてね、社長がどこからか捨てるような鯵を1箱持ってきてくれて「これを全部おろしてから帰れ」って。いい社長でした。ただ寒くて手が凍えてね、社長が帰った途端に周りの皆が手伝ってくれて、あっという間におろしちゃったんだけどね。
そんなわけで、仲卸の濱長で12年間勤めたんです。朝5時半から働いて、昼すぎには仕事が終わり。そうすると、築地市場にあった銀鱗文庫に足を運んでいたんです。古い本を見たり魚のことを調べたり。ところが事務の女性が辞めちゃってね、部屋は鍵がかかったまま。本や資料って、人の出入りがなくなると死んじゃうのよね。カビっぽくなって。そのうち銀鱗会の会合で使われるだけになって、酒瓶がそこらへんに転がって、墓場みたいな場所になっちゃったんですよ。いたたまれない気持ちになって「私がここの留守番をやります」って手を挙げました。2011年の初め、次のステップへ進みたいなと思っていたタイミングでした。
ここに「銀鱗」っていう機関誌が残っています。第2号が昭和6年の発行だから、中央卸売市場が誕生する前ですね。魚河岸で働いていた「東京魚市場青年会」の若者たちが、俳句や詩、小説なんかを発表しているんですよ。その後、昭和10年に中央卸売市場が築地に開場して、戦争があって仲卸が解散になって、戦後また皆が築地に戻ってくるわけです。かつての青年はおじさんになって、もう青年会じゃないよねってことで、機関誌の名前をとって「銀鱗会」。もともと志の高い有志で始まった文化団体でしょ。会の発足10周年に「銀鱗文庫」が誕生したんです。当時の娯楽っていえば、本を読むことでしたからね。それに時代は、高度経済成長の真っただ中。皆お金があって、寄付も集まったんでしょう。三島由紀夫全集なんかがどーんと並んでました。でもね、時代が変わって皆の娯楽が読書じゃなくなっちゃった。私が引き継いだ時、それまでの図書室ではなく資料室にしようって思ったんです。小説なんかは処分して、市場に関する歴史的資料を置こうって決めたの。だから、皆さんのところを回って、「捨てるようなものがあったらください」って収集を始めたんです。埃を被っていた資料を書庫から引っ張り出して、3~4年かけてシフトしていきました。私、自由にやらせてもらっちゃった(笑)。だって、銀鱗文庫自体忘れられた存在だったから、誰も文句を言う人がいなかったんです。
ところが、豊洲移転でしょ。お金がないから銀鱗文庫は築地で終わりにしようって、ほぼ決まりかけたんです。ところがね、驚くことがあったのよ。その日も銀鱗会の役員が集まって、閉鎖についての会合をしていると、どこかの図書館の司書をしている女性5人くらいが、たまたま見学に来たんです。それで帰り際に言うのよ。「私たち司書からすると、市場の中に資料室があるって素敵です。ここは聖地みたいなものです」って。役員皆、下向いちゃった。それで存続が決まったんです。これ、本当よ。私がいくら言っても伝わらなかったけれど、外の人の意見って響くのね。
次はお金の問題。やっぱり素敵な場所にしたいから、大工さんにこちらの希望をいろいろ伝えると、「書棚は青森のクリの木にしましょう」なんて提案されてね、いい感じで内装が決まったんです。それで、見積もりを見て青くなっちゃった。700万円。さてどうしよう。クラウドファンディングを真剣に考えました。でもね、見ず知らずの方にお金を出していただくより、市場の皆さんに寄付してもらって、皆の資料室にしたいって思ったんです。というのも、築地時代に仲卸の旦那衆が作った本棚の扉をひっくり返したら、寄付した人たちの名前十数人分が筆文字で明記してあったんです。よし、と思いましたよ。「寄付してくれた皆さんの名前を、クリの木の書棚に油性ペンで明記しますよ」ってことにしたの。そういうの、楽しいじゃない。「あなたのお名前は、未来永劫ここに残りますよ」って。
皆の元を回ってね、「昔の本棚に、お父さんの名前がありましたよ」って写真を見せると、「親父ったら、本読むの好きだったんだよな」なんて、それまで渋っていた人が5万円ぽーんと出してくれたりしてね。私も必死だったのよね。とにかくそうやって寄付を募って、この「銀鱗文庫」が存続できたってわけです。
今、銀鱗会の会費を集めるのも、1人ずつ私が回っています。銀行引き落とし、なんて話を持ち掛けたら、辞めるって言われちゃうもの。仲卸の会員は減っていく一方で、今は仲卸で70名ほど、一般で30名近くなんだけどね、訪ねて行ってあーだこーだお喋りして2カ月分の会費3000円をいただくんです。でもね、それでネットワークができたし、貴重な話が聞けるんですよ。
築地でも豊洲でも、市場って所は昔から顔と顔を合わせて物事が進むんですね。電話で「お願いね」って世界じゃなくて、足を運んでこその関係。「仲間」って言葉が、ここでは今の時代でも日常語としてあるんですよ。「仲間買い」って言ったら、自分のところで客の注文の品が賄いきれない場合、欠品しないように仲間の店から分けてもらうことなんです。商売敵じゃないのよね。仲卸同士、都合をつけ合うんですよ。「仲間だから寄付するよ」って言ってもらいました。
銀鱗文庫は、管理棟を入ってすぐの場所にあります。人との待ち合わせとか隣の銀行に行ったついでに、皆さん立ち寄ってくれます。皆がお金を出し合った場所ですから、愛着も感じてくれているんじゃないかしら。
【トヨスの人のグッとポイント】
ギャラリーに作品を設置中だった版画家の山本温さんに会うことができました。
築地市場の様々な場面を木版画で表現した山本さん。ただ、作品作りにあたり、場内を部外者が気軽に歩いて写真を撮ることは難しく、築地時代の銀鱗文庫を訪ねて初対面の福地さんに相談したとのこと。「潜るしかないよ」のアドバイス通り、場内の喫茶店で働きながら風景を写真に収め、今回の作品に結実したそうです。
「TSUKIJI 築地百景-α」は、2020年12月28日~2021年2月15日
山本温 版画展「TSUKIJI 築地百景-α」
2020年12月28日~2021年2月15日(※変更される場合があります)
10:00~14:00 日水祝休 入場無料
「銀鱗文庫」
江東区豊洲6-6-1 7街区 管理施設棟3階
Tel.03-6633-0140
写真:阿部了 文:阿部直美