2020年は、世界的に新型コロナウイルスの感染が広まり、厳しい1年となりました。3月に感染者が爆発的に増加したニューヨークでは、11月現在も、レストランのインドアダイニング(店内飲食)の定員が25%に制限され、アウトドアダイニング(屋外飲食)がメインとなっています。ニューヨークの寒い冬をどう乗り越えるかが課題ともいえる中、屋外席にコタツを導入した北海道レストラン「ドクター・クラーク」が話題になっています。ニューヨーク在住のNexTalk編集部ミキティが、ドクター・クラーク共同経営者の金山雄大さんに、逆境に打ち勝つサバイバル力についてお話を聞きました。
自分が好きなものを売ることには、自信があった
― 金山さんがアメリカに来たのは、ファッションを学ぶためだったそうですね。そこから、どうしてレストラン経営につながったのでしょうか。
札幌の高校を卒業後に渡米し、ニューヨーク州の田舎の大学で3年、マンハッタンのFIT(ファッション工科大学)で1年、計4年間ファッションを学びました。インターンでは、日系の高級デニムブランドで働き、1本2000ドルもするデニムを売るために、お金持ちの顧客を前に、商品の魅力を約1時間も熱く語る日々。10人に1人が買ってくれたらよい方でしたが、自分が好きなものを売る力は、営業で鍛えられたと思います。
当時のルームメイトが日本人シェフで、彼の料理がとてもおいしかったのです。ニューヨークに店を持つことが夢だと言うので、「絶対いける!」と。売ることが得意な僕がプロデュースを担当し、共同出資で2014年に「IZAKAYA」をオープンしました。「仲間とお酒を飲みながら料理をシェアする『居酒屋カルチャー』を広めよう!」と意気込んでいましたね。ファッションから飲食店への転向は驚かれましたが、僕にとっては、好きなものを情熱かけて紹介するというミッションは同じですし、大したチェンジではなかったのです。
ー それでもニューヨークで店舗をオープンすることは、大変でしたか。
関門は、店舗のリースと労働ビザを取得することでした。物件については、1年分の家賃を前払いすることで解決しました。労働ビザを取得するには、帰国して東京のアメリカ大使館で面接を受ける必要があったのですが、弁護士からは、「30代以下の若者が、夢を語ってもビザはもらえない」と言われました。でも、僕には自信があったのです。面接当日、お店のユニフォームを着て、メニューを持って、「明日にでもオープンできる状態です」とプレゼンしたら、10分後には、「がんばれ!君ならできる」と、スタンプを押してもらえて、弁護士も驚いていました。
ー 勢いのあるプレゼンが、大使館の方の心を動かしたのですね。無事にオープンした後、IZAKAYAは好調でしたか。
最初の数カ月は、お客さんが来てくれず暇でした。でも、来てくれたお客さんには、メニューの「やみつきキャベツ」について、熱く語っていました。シェフが、お客さんが少ないことを心配して、「広告を出そうか」と言ったときも、「僕が魅力を伝えるから大丈夫」と言い続けていました。お金を払って、僕たちのことを知らない人にPRするのは嫌だったのです。
すると、半年後に、ニューヨークタイムズが記事を書いてくれました。覆面スタッフが客として3回も来店したそうで、僕がキャベツや居酒屋について熱く語っていたことも、記事になっていました。掲載の翌日から行列ができて、シェフが今度は、「この人数をどう回そうか?」と心配したほどです(笑)。
コロナ禍にオープンしたドクター・クラークは、数カ月赤字続き
ー 5店舗目が、北海道レストランのドクター・クラークですね。ニューヨーク初の北海道がテーマのレストランを運営することは、どのような意義がありますか。
ドクター・クラークは、僕にとってのドリームプロジェクトでした。店名は、北海道開拓の父であるクラーク博士からいただいています。彼の言葉として有名な「Boys, be ambitious!(青年よ、大志を抱け)」は、僕の座右の銘でもあります。大好きな北海道やクラーク博士のことを伝えたくて、アメリカ人のお客さんに熱烈なレクチャーをしていますよ。
ー ドクター・クラークがオープンしたのは2020年3月15日。コロナ感染の拡大を受けて、ニューヨークでのビジネス停止が決まった時期と重なります。ニューヨーク全体がひっそりとして、暗いトンネルの中にいるような雰囲気でしたが、どのように過ごされていましたか。
3月15日のグランドオープニングは、集まってくれた関係者と2時間だけ食べて飲んで、解散しました。悔しかったけれど、最高の2時間でもありました。今後のことはわからなくても、「愛があれば大丈夫」という自信もありました。翌日から、テークアウトとデリバリー以外のレストラン営業は禁止となり、7月にアウトドアダイニングが許可されるまで、売り上げは1日に1件か2件。赤字続きでした。
そのときは店に出勤できるエッセンシャルワーカーの僕が、自宅待機の人を幸せにするために何ができるか、ひたすら考えました。SNSで「レストランで使える日本語講座」を発信することを思いついたときは、翌日にはIZAKAYA 2号店から発信。その後、ドクター・クラークを拠点に、バーチャルカラオケ会もしました。とても創造的になっていたと思います。「アイデアが浮かんだら、すぐに実行」を繰り返し、忙しかったですね。
答えは北海道に。コタツが新たな名物に!
ー すごい行動力!そして今、ドクター・クラークは、コタツがあるお店として有名になっています。
ニューヨークの冬は寒いので、通常でも売り上げが下がります。どうすれば人を外に呼び出し、屋外に座って食べてもらえるか悩み、「北海道、野外、ダイニング、冬」でオンライン検索したら、かまくらでコタツに入って、Tシャツでジンギスカンを食べている人の写真が出てきました。答えは北海道にあったわけです。
早速、翌日から掘ごたつのベースを作り始め、日本からコタツと布団、ヒーターを購入して、届いた瞬間に仕上げました。当初、他店はガスヒーターを使っていましたが、途中で「消防の許可が必要」ということになって、大変そうでした。電気ヒーターは許可が必要ないので、「やった!」と思いました。今ではコタツ目当てのお客さんの予約で連日席が埋まり、日米のメディアから注目されています。
ー 暗いニュースが多い中で、元気をもらえるニュースです。日本のレストラン業界も、厳しい状況に置かれています。逆境を生き抜くためのコツがあれば教えてください。
柔軟性と行動力とスピードが大事ではないでしょうか。特にコロナ禍では、日々ルールが変わるので、待っていたら何もできません。
あとは、ポジティブであること。落ち込む気持ちはよくわかりますが、「大変だ」「忙しい」「疲れた」と言っても、よいことは起きません。特に僕は、人に元気や勇気を与えたいので、僕自身が、元気と余裕を見せるように心がけています。
自分にうそをつかず、好きなことだけをビジネスに
ー これから新しいビジネスを開始する人へのアドバイスはありますか。
僕はビジネスを好きか嫌いかで選んでいます。コンサルやプロデュースのお話もいただきますが、自分が好きだと思えないものには、本気になれません。お金のために好きになれない仕事を引き受けたら、終わりだと思っています。心身の健康のためにも、自分にうそをつかない方がいいでしょうね。「アメリカ人が好きそうなことをする」「お客さんは何が好きかを考える」というのも、僕のスタイルではありません。自分が好きなものを、お客さんに好きになってもらう方が、長続きするのではないでしょうか。
ー 相手に合わせるのではなく、自分の熱意で相手の心を動かすということですね。最後に、金山さんの今後の展望をお聞かせください。
閉店の決断をせざるを得ないレストランが多い中で、生き残れただけでも感謝しています。これから冬を迎えるに当たって、他のレストランも頭を悩ませていると思いますが、僕たちも、自宅パーティーのケータリングを始めようかなど、アイデアを練っているところです。
将来的には、ニューヨークで作りあげた「ドクター・クラーク」ブランドを日本でも展開したいですね。そのためには、いろんな人に「一緒にやりたい」と思ってもらえるような、魅力ある会社にしていきたいと思っています。