1970年代から数々のアニメ主題歌を歌い続けてきた歌手・水木一郎さん。世界90以上の言語のWikipediaにその名が掲載される「海外で有名な日本人」であり、芸能界やファンから「アニキ」の愛称で慕われています。16歳でジャズ喫茶のステージに立ち、20歳のときに歌謡曲でレコードデビュー。そしてアニメソング(アニソン)の世界へ飛び込み、今や「アニソン界の帝王」の異名を持つ水木一郎さん。2021年にアニソン転向から50周年を迎えるに当たって、1つのジャンルを継続し、究めてきた原動力について伺いました。
ジャズ喫茶のステージから歌謡曲、そしてアニソンへ
——水木一郎さんといえば、「アニソン界の帝王」として、日本国内はもとより海外でも絶大な人気があります。歌手の夢はいつから抱いていたのでしょうか?
ジャズ好きな母親の影響で、幼い頃からスタンダードジャズのレコードに囲まれて育ちました。庭の木に登ってはでたらめな英語で歌い、5歳のときには「将来は歌手になる」と宣言していました。中学時代はパット・ブーンやプレスリー、ナット・キング・コールなど、ありとあらゆる歌手の歌唱法をお手本に、発声練習は1日も欠かしたことはありませんでした。この頃から「いつか、世界に通用する歌手になるぞ!」という思いを胸に抱いていたんでしょうね。
1964年、16歳のときに、ザ・ドリフターズのリーダーだった桜井輝夫さんに勧められて、新宿にあったジャズ喫茶「ラ・セーヌ」のオーディションを受け、グランプリを取ったんです。ジャズ喫茶というのは、今でいうライブハウスのようなもので、歌手の登竜門的な存在でした。それからいくつものジャズ喫茶のステージでスタンダードやアメリカンポップスを歌うようになりましたが、なかなかレコードデビューのきっかけがつかめず、その1年後に作曲家・和田香苗先生に弟子入りしたんですよ。そして1968年、20歳のときに歌謡曲でデビューしました。
——アニソンとの出会いは?
デビュー数年後、堀江美都子さん(*1)が和田先生の書いた曲をレコーディングするために、レッスンに来たんです。そのときに僕が、手本として歌うことになりました。たまたま同席していたディレクターが、後に「水木くん、アニソンを歌ってみないか」と声をかけてくれたんです。最初にいただいたのが石ノ森章太郎先生(*2)原作のアニメ『原始少年リュウ』の主題歌でした。
*1 堀江美都子:歌手・声優で「アニソン界の女王」の異名を取る。代表曲は『キャンディ・キャンディ』など。
*2 漫画家。代表作は『サイボーク009』『HOTEL』。『仮面ライダー』シリーズの原作者としても有名。
時代がようやくアニソンに追いついた
——アニメ主題歌を歌うことに戸惑いや葛藤はなかったのでしょうか。
それ、よく聞かれます(笑)。当時はアニメの主題歌といえば児童合唱団やコーラスグループが多く、専門で歌うソロ歌手はほとんどいませんでした。ジャケットに自分の顔も出ないし、子ども相手のものと軽く見られていた時代でしたから。結論から言うと、抵抗はありませんでした。幼い頃から聴いていたスタンダードには映画音楽も多く、いつかは映画主題歌を歌いたい気持ちがあったので。家庭のテレビと劇場のスクリーンとの違いはありますが、その作品のために作られる主題歌という点では変わりありません。声をかけていただいたのだから、プロフェッショナルとして歌うべきだとも考えましたし、それに『原始少年リュウ』の主題歌って、すごくいい曲なんですよ。
今でこそアニソン歌手志望者も増えましたが、当時のアニソン歌手は僕を入れて数人くらい。レコードがいくら売れてもヒットソングのランキングに数えられることもなく、他のジャンルとの扱いの違いを痛感することばかりでした。そんな中で、「子どもたちに、いい音楽、いい歌を届けたい。いい番組を見てもらいたい」という思いをみんな持っていたんです。「俺がやらなきゃ誰がやる」という思いで、ひたすら歌い続けてきました。正義感か“アニキ魂”かは、よく分からないけど(笑)。
——そして、生涯の仕事と決めたんですね。
アニソンを歌い始めたばかりのときは、「アニソン歌手として歌っていけるのは30歳まで」と思っていました。ヒーローのイメージを壊さずにいつまで歌えるのか、自信がなかったんですね。でも、ありがたいことに、アニメや特撮主題歌の依頼が絶えることはなく、30歳を迎えるころにはいわゆるアニメブームとともに大人のファンも増えてきました。さらに40~50代になると、当時アニメを視聴していた子どもたちが成長して「子ども時代の思い出深い歌をまた聴きたい」という声も出てきました。幼い頃に聴き、勇気づけられた歌は、いくつになっても自分の宝物です。大人になってあらためて聴くと、歌詞がより深く沁みる歌もあったりしてね。
そして2001年、海外初ライブを香港で開催したことをきっかけに、ヨーロッパや中南米、中東にも呼ばれて公演するようになりました。現地ファンが日本語で一緒に歌ってくれる姿を見て、「アニソンは時代も国境も越える」と強く実感しました。子どものときに好きだった歌が、大人になっても影響力を持つのはどの国でも同じです。図らずもいつの間にか、日本語のまま海外で通用する歌手になっていたんです。夢がかなった瞬間でしたね。
おかげさまで、70歳を過ぎた今も、アニソンを歌っています。また、ありがたいことに、毎年新曲を歌う機会にも恵まれています。ライブやイベントには国内外から3世代のファンが集まり、僕のことも、「『マジンガーZ』の人」から、「水木一郎」「アニキ」と呼んでくれる人が増えました。アニソンも世界に誇る文化として広く認められるようになって、ようやく時代が追いついてきた感があります(笑)。
水木さんが語る「アニソン歌手の宿命」とは
——水木さんが歌うアニソンは、曲ごとに声の出し方や表現が多彩です。歌うときには何を心がけているのでしょうか。
原作があれば読みますし、オリジナルアニメであれば絵コンテを見たり、物語を聞いたりしてイメージをつくります。
歌謡曲を歌っていたときは、自分の個性をどう出すのか、いろいろ悩んだんです。同じ時代の歌手には個性的な声の人が多かった。そんな中で、僕のような素直な歌い方は印象に残らない。ファンの人からも「あなたの歌には個性がない」なんて言われたりもしました。そんなときに出会った『原始少年リュウ』の主人公は10代の少年、舞台は原始時代です。最初は戸惑いました。「水木一郎」の個性なんて、そこには必要ない。そこで、「リュウになりきればいいんじゃないか」と割り切ってレコーディングに臨みました。それがうまくいったんです。
自分自身に個性がないのが、かえってよかったんでしょうね。思いがけず、これを機に次から次へと主題歌の依頼をいただきましたが、どんなキャラクターにもなりきることができたのです。『マジンガーZ』はスーパーロボットの重厚感に主人公・兜甲児(かぶと・こうじ)のちょっとヤンチャな感じを加味して歌いました。『キャプテンハーロック』は68人編成の迫力あるオーケストラをバックに歌ったんですけど、「俺は男の中の男、ハーロックだ」と入り込んだら堂々と歌いきることができました。おっちょこちょいのロボットが悪戦苦闘する『がんばれロボコン』では明るくコミカルに、『侍ジャイアンツ』では型破りで野性的な主人公・番場蛮(ばんば・ばん)をイメージしてダミ声を使って歌いました。
アニメソングはキャラクターや物語の背景がさまざまであるだけでなく、音楽的要素も多種多様で、ロックもあればポップスもあり、演歌もあればジャズもあります。どんなオファーが来ても対応できるだけの引き出しの多さが求められるのです。僕の場合、デビュー前からいろいろなジャンルの歌を聴き込んで、歌唱法を取り入れていたのが役立ちました。浪曲以外は一通り歌ったことがあると思いますよ。
——今も当時と変わらない歌声を保っていらっしゃいますね。
年を取ってキーを変えてしまう歌手がいますが、アニソン歌手は「ファンが子どものときに聴いたイメージを壊してはいけない」という宿命を負っているんです。だから同じ声で歌わないといけない。長く歌い続けていると表現が増すことはありますが、キーを変えたり、歌いやすいようにクセをつけて歌ってしまうと、ファンが抱いているイメージと違ってきますし、作品に寄り添った歌ではなくなってしまう。そんなことのないよう、当時と同じキーでメロディーを崩さず歌うように心がけています。
強い声帯を授けてくれた親にも感謝しています。1999年に、河口湖で「24時間1000曲ライブ」という前代未聞の一大イベントに、歌手生命を賭けて臨みました。途中で倒れた場合のシナリオも用意されていたくらいですが(笑)、声をからすことなく1000通りのヒーローになりきって歌い切ることができました。成功するかどうか確信が持てなかっただけに、うれしかった。何より、楽しかった。これがアニメソングでなかったら、やり遂げられなかったかもしれません。雄叫び系の強い歌からバラードまで、1曲ごとにヒーローや物語を思い浮かべて、新鮮な気持ちで歌うことができたんです。
よく「マジンガーZに飽きませんか?」と聞かれるんですが、まったくそんなことないですし、慣れて歌ったことは一度もありません。メロディーもアレンジも普遍的だからでしょうね。♪ダダンダン、とイントロが流れるとその度ごとにすぐにヒーローになりきってエンジン全開で歌えるんです。
「歌うたびにいつも新鮮な気持ちになれる」から続けられた
——50年続けてこられた情熱の源泉はその辺にありそうですね。
アニソンならではですね。いつでも即座にヒーローになりきって新鮮な気持ちに戻れる。余談ですが、不思議なもので僕は老眼になっていないんです。これは何万回も「ゼーット!」と叫びながら眼力でキメてきたからではないかと思ったりします。あの独特の筋肉の動きを繰り返したのが効を奏した(笑)。肌だってハリ・ツヤがあるんですよね。昔からの知人が見れば多少は老けているかもしれませんが、自分では感じない。どなたか医学者の方にデータを提供するので、なぜ若さを保てるのか調査してもらいたいほどです(笑)。
——アニソンが究極のアンチエイジングだとは!
若さって、「心の持ち方」ですよね。アニソンは前向きで勇気が出る歌が多いので、心も若くなると思うんですよ。それに、そもそも曲がいい。「子どもたちにいい歌を」という強い思いがあって作られているので、言葉のひとつひとつをとても大事にしています。時代や生まれた環境が違っても共感できる、人として大切なものが歌詞に込められている。一見単純に思える中にも、深い味わいがあるものなんです。たとえば、ヒーローはただ強いだけじゃなくて、闘わなければならない悲しみや孤独、葛藤を抱えている。そして、正義とは何かという永遠の問い。子どもの頃に惹かれた歌を大人になって聴くと、あらためてその意味が分かってくる。そんな歌詞を載せるメロディーも、またすごく美しい。
主題歌は聴いてすぐに口ずさんでしまえるほどのキャッチーなメロディーでなければいけません。さらに、イントロや間奏に「これぞ」というフレーズを盛り込んだアレンジで、どこにも無駄がない、贅沢な音楽を生み出しているのです。僕は、自分が歌ったアニソンに勇気づけられることもあるし、楽しい気持ちになったり、じーんと胸に響いたりします。こんな時代にこそ、すべての人に、ぜひアニソンを聴くこと、そして歌うことをお薦めします。
で、僕がなぜアニソンを歌い続けるかという話に戻ると、いろんなジャンルがあって幅広い世界観を歌えるからでもあるんです。スポーツもあれば宇宙もある、ロボットもある。音楽ジャンル広しと言えど、これほどの世界観を持つのはアニソンが一番ではないでしょうか。
それに、アニソンを歌ったおかげで、NHKの『おかあさんといっしょ』のうたのおにいさんとしてたくさんのこどもの歌もレパートリーになったし、ゲーム音楽や、CMソングなど、いろいろな歌が歌えるようになりました。アニソンを歌ったことで、自分自身の歌のジャンルも広がったんです。
——これから先、さらに面白いことが起きそうですね。どのようなことを計画されていますか?
目指すは最高齢現役歌手です。90歳を過ぎても今なお現役のトニー・ベネットのように歌い続けていくことが目標です。彼がレディー・ガガのような若いシンガーとデュエットしたように、僕もいくつになっても新しい挑戦をしていきたいですね。世界中で待っているファンのために、海外のオファーにも応えていきたい。その国で僕の歌をカバーした歌手とも共演してみたいですね。あとは宇宙でのライブかな。そのときはもちろん、『宇宙海賊キャプテンハーロック』で(笑)。
今こそ伝えたい「継続は力なり」
——「宇宙でハーロック⁈」それは新たな伝説になりますね。さて、新型コロナウイルスという世界的な困難が起きていますが、ぜひアニキから勇気をもらいたいです。
アニソン歌手として50年歌ってきた僕から1つメッセージを送るとすれば、やっぱり「継続は力なり」になると思います。
新型コロナの影響で、仕事を辞めざるを得なかったり、事業を畳んだりする方もいらっしゃるでしょう。でも、頑張って歯を食いしばって、その経験をつなげよう、継続しよう、と伝えたいです。そうすると、またいつか元の生活に戻れるときが必ず来るはずです。僕はそう信じています。つらい状況はまだまだ続くと思いますが、みんなと一緒に乗り越えたい。アニソンがその背中を押すことができれば、こんなうれしいことはありません。 そして、いつかどこかで、また会おうゼーット!!