東京には長い間忘れられた調味料が存在しました。それが江戸庶民の食文化を支えてきたという「江戸味噌」です。その江戸味噌を約70年ぶりに復活させたのが日出味噌醸造元の3代目社長の河村浩之さんです。なぜ、江戸味噌は東京の街から姿を消したのでしょうか。江戸の味を現代へつないだ思いや江戸味噌開発秘話について話を伺いました。
「江戸甘味噌」を復活させたのは先代だった。「江戸味噌」との違いは?
― 河村さんは2005年に日出味噌醸造元の3代目の社長に就任されました。稼業を継ぐことは子どもの頃から決めていたのですか。
子どもの頃から継ごうと思っていたわけではありません。父(2代目社長・河村守泰氏)からも、事業継承について一言も言われたことはありませんでした。実際に会社に入ったのは、30歳の頃。人生の流れの中で、この家に生まれてきたのも運命、ならばやってみようと思うようになりました。一度大学を卒業しましたが、改めて醸造科のある大学に入って学び直しました。
― 御社は2019年に創業100年を迎えました。創業者の河村五郎氏、先代の守泰氏は、戦前から戦後にかけて、さまざまな岐路に立たされることもあったかと思います。
主要な軍需物資でもあった味噌は、戦争が始まると生産が制限されました。戦後もしばらくは大豆の入手が困難な時期が続き、良質な味噌がつくれなくて苦労したと聞いています。また、戦後は洋食文化が国内に広まり、味噌汁を飲む機会が激減していきました。味噌の生産量も長期的に減少傾向が続いていますが、そうした中で父はいくつもの挑戦をしています。戦争中には製造を禁止されていた「江戸甘味噌」を復活させました。 1961年にはこの江戸甘味噌を使ったピーナッツ味噌「みそピー」を発売。1979年に唐辛子味噌「コチュジャン」を発売して、いずれも当社のロングセラー商品として育っています。
― 江戸甘味噌は東京都の地域特産品に認定されていますが、河村さんが2014年に復活させた「江戸味噌」との違いは何でしょうか。
江戸味噌というジャンルの中に、江戸甘味噌が含まれると考えてください。製法も原料に米麹を使用することも同じなのですが、異なるのは配合です。江戸甘味噌のほうが米麹を多く使用します。米麹をたくさん使ったほうが甘味は増すんです。塩分量は江戸味噌の約半分。甘すぎるので味噌汁には不向きで、むしろ味噌田楽や鯖の味噌煮などの料理での使用に限定されます。一方、江戸味噌は信州味噌や仙台味噌のように普段の調味料や味噌汁にも使用できます。
「江戸味噌」復活のきっかけは小学校での食育の授業
― なぜ、戦後すぐに江戸味噌は復活されなかったのでしょうか。
戦前から戦後にかけての混乱期の中で、江戸味噌そのものが忘れ去られてしまったのです。さまざまな理由が考えられますが、大きな要因の1つが戦中に始まった食糧統制です。米や大豆などが自由に手に入らなくなっただけでなく、米を多く使う江戸味噌は贅沢だとして製造を禁止されました。戦後も米の統制は続き、その製法は忘れ去られてしまいます。ようやく米が手に入るようになった昭和30年頃、私の父が江戸甘味噌を復活させました。父によると復活させる際にいろんな人から話を聞いて再現させたのですが、約15年の空白期間は大きかったようで、江戸味噌と江戸甘味噌が混同されてしまったのだと思います。
― 江戸味噌を復活させるきっかけは何だったのでしょうか。
1本の電話がきっかけでした。2013年に品川区の栄養士の方から、「小学生の食育の授業で、東京の地産地消をテーマにしたいのだが、江戸甘味噌というものがあることを知りました。小学校で江戸甘味噌の授業をしてくれませんか」という連絡をいただきました。せっかくの機会ですのでその申し入れを受けたのですが、よく考えてみると江戸甘味噌のことを系統立てて勉強したことがなかった。改めて勉強し直そうと戦前の文献を当たってみたところ、白味噌、仙台味噌、田舎味噌(麦味噌)、八丁味噌とともに、江戸味噌が当時の日本を代表する「5大味噌」の1つだったことが分かりました。原料の配分や成分も記述してあるのですが、それが私たちの製造している江戸甘味噌と異なることが分かったのです。「江戸甘味噌」という記述自体出てきません。あのときの驚きは忘れられません。
「江戸味噌」を後世に伝えたい
― それから研究を重ねて、2014年に江戸味噌を復活させるわけですが、どのような思いで復活させようとしましたか。
江戸味噌に出会ってしまった以上、これも運命だと思いましたね。後世に伝えるためにやるっきゃない!という思いです。実際に配分量などは試行錯誤の連続でしたが、江戸甘味噌がすでにありましたから、ゼロからの出発ではなかった。その意味では、江戸味噌の復活は江戸甘味噌のおかげだったと思っています。
― 江戸味噌は江戸時代には一般的な家庭の調味料として使われていたわけですね。
そうです。もともと、味噌は自宅で醸造されていました。ただ、長屋が多い江戸の街では、味噌をつくるような場所がなかったと考えられます。そこで味噌醸造業が江戸の街に興り、江戸の庶民は味噌をお店で買うようになります。江戸味噌は短期間でつくられるのが特徴で、土地が狭い江戸での製造には都合が良かったのです。他の味噌よりも少なめの塩と蒸した大豆、多量の米麹を混ぜて、発酵を一気に進めます。約2週間〜20日、夏ならわずか10日で味噌が出来上がります。ただし、1つ問題がありました。江戸味噌は他の味噌と比べて塩分が少なく、熟成期間が短いために、長期保存ができないのです。夏場にはひと月もすると、江戸味噌は酸っぱくなってしまいます。多くの消費者を抱え、流通網の発達した江戸だからこそ、このような味噌が普及したのです。
― つまり、江戸味噌は足が早いということですね。味噌は発酵食品で保存食という印象が強いのですが、足の早い味噌は江戸時代に品質としてどうだったのでしょうか。
熟成期間が短い味噌だから品質が劣るといった考えは新しい価値観です。チーズには熟成期間が短いモッツァレラチーズがあるように、熟成期間の長短で質の良し悪しが決まるわけではありません。当時の文献を見ると、米をたくさん使用し、塩が少なめの味噌は「上味噌」といわれていました。江戸味噌は上等な味噌だったのです。
江戸味噌は江戸の食文化に大きな影響を与えた
― 江戸味噌から日本の伝統的な食文化の奥の深さが分かります。江戸味噌は普段の料理にも使用できる調味料だったということですが、どのような特徴があるのでしょうか。
長期熟成された発酵食品は、味や香りが強いものが多いですよね。例えば味噌は、熟成中にアルコール発酵が進み、長期に熟成させると味噌臭さが強くなる。江戸味噌は短期熟成なので、味噌臭さが少なく、味はさっぱりとしていてクセがないのが特徴です。私は「フレッシュ」な味噌と説明していて、塩辛さも少ないですね。そのため素材の味を邪魔しないので、さまざまな料理への汎用性があります。
― 江戸味噌を試食させてもらいましたが、たしかに味噌特有の臭みがなくさっぱりとした味でコクがある。どんな料理にも合いそうです。
皆さんにそういってもらえます。さまざまな料理で試して分かったのですが、江戸味噌は和食だけに限らず、中華にも洋食にも何ら違和感なく合わせられるのです。そもそも、私は江戸味噌が私たちの知る江戸前の味に大きな影響を与えたのではないかとも考えています。江戸庶民に濃口醤油が普及するようになったのは江戸中期以降といわれています。それ以前は、調味料の主流は味噌でした。例えば、江戸時代の蕎麦つゆは江戸味噌でつくっていたのではないかと考えています。実際に江戸味噌で蕎麦つゆを再現すると、まさに現在の私たちが食べる江戸前の蕎麦つゆの味そのものでした。江戸味噌を調べれば調べるほど、その魅力と江戸の食文化における存在の大きさを知ることになります。
― 最後に今後の抱負をお聞かせください。
味噌を手にした日本人は、後に味噌汁という世界に誇るスープを発明しました。さまざまな具材を入れることで、栄養価の高い食事を摂ることができます。しかも、具材は何を入れてもよく、毎日でも飽きずに食べられます。その結果、味噌は日本食文化の基盤としての確固たる地位を築いたのです。しかし、現代ではむしろ、味噌の使用が味噌汁に縛られすぎているのではないかと思います。もっと、用途は幅広いはずです。その意味でも汎用性の高い江戸味噌は、味噌汁、そして和食のみならずさまざまな料理へと味噌の世界を広げてくれると考えています。醤油のようにもっと広く使われてもよいのです。
今、幅広い分野から食に携わる人を集めて、「江戸味噌文化研究会」を開き、啓発活動やレシピ開発などを行っています。これは私の壮大な夢ですが、次の時代にも味噌がしっかりと存在感を持ち続けるために必要な新たな味噌のかたち、味噌汁の大発明に負けないくらいの礎を築ければと考えています。江戸味噌は、そのヒントを与えてくれる食品です。江戸味噌に出会ったからには、やるしかないと心に決めています。
東京江戸味噌 広尾本店 http://www.edomiso.jp/
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営業時間:11:00~17:00
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