「佳菜子スマイル」といわれる弾けそうな笑顔と、軽快なスケーティングで世界中のファンを魅了した村上佳菜子さん。2017年4月に惜しまれつつ現役を引退し、現在はプロフィギュアスケーターや解説者、そして数々のテレビ番組出演と幅広く活躍されています。新しい分野に挑戦しながら、変わらない自分らしさを表現し続け、多くの人々から愛されている村上さんに、表現する力の伸ばし方について伺いました。
スケートで自分の世界をどのように表現し、伝えていくか
― 村上さんは、楽しそうに演技する印象があります。選手時代はどのような気持ちでスケートに取り組んでいらっしゃいましたか。
体を動かすのが大好きで、子どもの頃はスケート以外にクラシックバレエやさまざまなジャンルのダンスを習っていました。スケート以外では、小学生のときに自宅の近くにできたダンススタジオにずっといたほどです(笑)。本当に楽しくて、人の曲まで踊っていました。リズムの取り方などは、ダンスで培ったと思います。
なので現役時代は、楽しんで曲に入り込むことを心掛けていました。それは誰にも負けなかったと思います。特に好きだったのは、「ジャンピングジャック(手を頭上に上げ、脚を大きく広げた状態でジャンプする)」! エキシビションも楽しかったですね。
― フィギュアスケートは、表現力が求められるスポーツです。村上さんが考える「フィギュアスケートの表現力」とはどのようなものでしょうか。
ひと言で説明するのは難しいのですが、フィギュアスケートの表現力は、「音楽の情感を自分の動きでどう奏でていくか、そして自分の心が感じた思いを観客の方にいかに伝えるか」だと思います。言葉を使わない分、自分の演技や表情でそれを伝えないといけません。
最近はジャンプに注目が集まっていますが、フィギュアスケートはジャンプだけでなく、自分の動きで世界観を構築し、観ている方にどう伝えていくかが重要だと思います。
― 現在、プロのフィギュアスケーターとしてアイスショーに出演していらっしゃいますが、現役時代と表現方法は変わりましたか。
現役のときは、評価は点数で表されますが、アイスショーではお客さまの拍手や盛り上がりが演技の評価です。現役時代も手拍子はありましたが、それに気をとられてしまうとジャンプに失敗することもあります…。なので、観ている方の気持ちにダイレクトに応えられる今のほうが私には合っているかもしれません。
ルールが無いので長いドレスを着ても、扇子や椅子を使って演技してもいいですし、「規定のレベルに達するために、スピンをあと2回やらなきゃ」と無理することもありません。曲や音に合わせて自由に演技できるので、エンターテインメント性も高いですし、すごく面白いです。
引退後は自分で振り付けもしました。また、現役時代からお世話になっているコンテンポラリーダンスの平山素子先生に振り付けをしていただくようになって、表現の幅がさらに広がったと思います。平山先生の指導はユニークで、「手の動き1つでもストーリーがある」とおっしゃるんです。腕を上げる動作にしても「指の先に妖精が乗っているシーンをイメージして」とか、素早く次の動きに移るときには「焼き春巻きをバキッと折るように」と言われるんです(笑)。
どんなにつらくても、毎日続けることが大切
― 2017年の引退は、一部では「早すぎる」という声も聞かれました。いつ頃から引退を考えていたのですか。
フィギュアスケート選手の多くは、大学卒業くらいの年齢で引退します。他のスポーツでは早い年齢ですが、フィギュアスケートの世界では、それほど早いわけでもないんです。きっかけは、2014年のソチ五輪のあとに山田満知子コーチから「現役を続けると、これからはもっと苦労するよ。ここで引退するのが一番いいと思うけど、どうする?」と言われたことです。
五輪に出場して感じたのは、それまでの練習の厳しさと、大きなプレッシャーでした。世界選手権とは雰囲気が全然違って、“魔物”がいると思いました。一方で自分としては「まだできる」気持ちもありました。そこで「平昌五輪(2018年)シーズンの前年まで」と期限を切って、それまで現役を続けようと思ったんです。
それからは、「毎年最後」という気持ちでシーズンを迎えていきました。成果を出せなくて、苦しい時期もありましたが、最後は自分のできる120%の演技で終わることができました。そこで納得していたからこそ、今こうやっていろいろなお仕事ができるようになりましたし、本当に良かったと思います。
― 現役時代に結果が出なかったときなど、どのように乗り越えてきましたか。
私は3歳でスケートを始めてから引退するまで、起きている間はずっとスケートの練習か、リンクへ移動しているかで、それ以外の日常はありませんでした。だから、どんなにつらくてもやる気がなくても、スケートリンクには毎日通いました。スケートがすべてだったので、スランプでつらくても、「次の日は絶対できる!」と自分にいいきかせて、次の日も練習には向かいました。スランプから抜け出すタイミングは、試合で海外に行って環境が変わると動きが軽くなったり気分が明るくなったり、ちょっとしたことがきっかけになることが多かったですね。
あとは、仲間の存在が大きかったと感じます。私が現役のときは、浅田真央ちゃんや鈴木明子ちゃんが活躍していて、私も「真央ちゃんや明子ちゃんと一緒に五輪に出たい!」というのがモチベーションで、そのために頑張っていました。
― 個人競技のスポーツは友人である一方、ライバル関係でもあるわけですが、フィギュアスケートの選手はみんな仲がいい印象があります。
タイムを争う競技とは違って、フィギュアスケートは自分のベストを出す競技なんです。もちろん演技に点数が付いて順位が出ます。ですが、そもそも自分がベストを出さなければ、その土台にも上がれないんですね。そういう競技なので、「ライバルは自分自身」。いい意味でみんなが切磋琢磨して伸びていったと思います。
後輩アスリートの道を開くため、いろんな分野に挑戦
― 村上さんは現在、テレビでもご活躍されています。これまでとは違う表現力が求められると思いますが、難しさや戸惑いはありますか。
もちろん、今でも感じています!体を使って表現できればいいのに…と何度思ったか分かりません。テレビでは言葉を使うことが多いので、収録中は「これをどう言葉にしようか」と常に考えるようになりました。昔より話すことが少しうまくなったと思います。
今はフィギュアスケートシーズンなので解説の仕事も多いのですが、主役は選手なので、選手を輝かせるように伝えることを心掛けています。私も選手だったので、「今、これを聞いたら迷惑だろうな」と思う一方、取材側として「この機会に聞かないと、ずっと聞けないな」と葛藤しながらインタビューしています。現役時代は演技がうまくいかないと、質問にうまく応えられていなかった経験が私自身もありますので、「本当にごめんなさい」という思いです。インタビュー側になって、当時は取材する方に迷惑をかけただろうなと分かりました。あと事前準備では、朝の公式練習には絶対行くと決めています。気付いたことはメモに取って、言葉に残しておくようにしています。
― これから挑戦してみたいことについて教えてください。
表現ということでいえば、お芝居やドラマの演技にももっと挑戦したいですね。フィギュアでは、コンテンポラリーダンスを取り入れ、一人芝居のような世界を表現したいと思っています。観た方々が、「お芝居みたいだったね」と言ってくださるようなフィギュア表現に挑戦したい。将来は振り付けもやりたいので、いろんな経験をして未来につなげていければいいなと思います。
もう1つ、私がいろんな分野に挑戦することで、後輩スケーターのキャリアの幅を広げていければと考えています。フィギュアスケーターの場合、アイスショーでプロスケーターになる道があるので、引退後のキャリアは比較的恵まれているともいえます。ですが、「他にこんな分野もあるよ、あっちの道もあるよ」という実績があれば、続くスケーターが出てくるかもしれません。アスリートのセカンドキャリアについては本当に難しいのですが、後輩たちの道を少しでも広げられるように、いろんな分野に挑戦したいと思っています。
― ありがとうございます。最後に読者にメッセージをお願いします。
私は、「あきらめなければ、いつか夢は叶う」と思っています。私は子どもの頃から五輪に出場するのが夢でした。ソチ五輪に出場できましたが、それまでうまくいかないこともありました。それでもあきらめずに続けたからこそ、夢が叶ったのだと思います。読者の皆さんも、もしも夢があって、あきらめずに挑戦し続けることができれば、きっと新しい発見や何かが見えてくるのかな、と思います。私も皆さんに負けないように頑張ります!