「ツナイダ☆チカラ」ニューヨーク(NY)編の第2回にご登場いただくのは、ヘアカット技術として世界で先駆けて特許を取得した「STEP BONE CUT(ステップボーンカット)」(小顔補正立体カット)の考案者、牛尾 早百合さん。2017年にはニューヨークにもサロンをオープン。今では「SAYURI」の名前はアメリカやアジアの美容業界でも広く知られています。NexTalk編集部のミキティが、「ステップボーンカット」が生まれた経緯、ニューヨーク進出のストーリーや今後の展望についてお話を聞きました。
25歳で独立。経営は順調でもスタッフ教育に悩む日々
― SAYURIさんが美容師を目指したきっかけは。
私は一人っ子の鍵っ子で、小学生の頃から、妄想の世界と少女漫画にどっぷり浸かっていました。美容師を目指したのは、自分の容姿へのコンプレックスがきっかけです。私は頭が大きく、ハチ(頭の最も出っ張っている部分)も張っているので、美容院で髪を切っても、理想像である「漫画の中の少女の髪」からはほど遠く、満足できませんでした。「美容師になれば、自分の理想通りのヘアスタイルを実現できる」と思ったのです。「自分の世界を創りたい」という思いも強く、「美容師なら自分のお店を持てる」とも考えました。
― 美容師になって、理想のヘアスタイルは実現しましたか。
ダメでした(笑)。そもそも自分の髪は自分で切れませんから。それに当時から、世界の美容業界の主流であるイギリスのヴィダルサスーンのカット技術は、西洋人の髪と骨格を基準にしていますから、アジア人には適しません。動きのないカツラのようなヘアスタイルになってしまうのですよね。周りにも、私が理想とするヘアスタイルを実現している美容師はいませんでしたし、サロン内の人間関係も苦手で、25歳で独立しました。
― 25歳で独立!? とても早いですよね。店舗経営の苦労はありましたか。
物件を勧めてくれる人がいて、借金をして地元の姫路市にサロンを持ちました。カットがうまい店だと評判になり、バブル期の波にも乗って、5年後には従業員10人を抱える規模に成長しました。
ただ一つ苦労したのが従業員の教育です。1年目は「みんなでがんばろう」という家族的な絆があったのですが、スタッフが5人を超えた2年目あたりから、オーナーである私とスタッフの間に溝が生まれ、うまくいきませんでした。そんな中、お客さまは増え続け、同じ姫路市内に2号店を出す話が進んでいました。
2号店開業という大事な時期に、当てもなくニューヨークへ逃避!?
― 独立して5年目に2号店に着手! すごいスピードですね。
ところが、私は2号店の開業に心が向いていなかったのです。手続きをスタッフに任せ、現実逃避するかのように当てもなくニューヨークに渡りました。自分の無力さがイヤになり、「ニューヨークに行けば、成長できるのではないか」と。現地では、片っ端からヘアサロンに飛び込み「チップのみもらえれば、無給でも働きたい」と交渉。最終的に、グリニッジビレッジのサロンに雇われ、ビザが切れるまで3カ月間働きました。
― 無謀にも聞こえるニューヨーク体験ですが、得るものはありましたか。
感動の日々でした。ニューヨークのサロンには、タレントやモデルもヘアカットに来ますし、姫路のいなか出身の私には夢の世界。3カ月で10年分ぐらいの何かを吸収できた気がしました。実は、私の技術を認めてくれた人から、ニューヨークの空き店舗を紹介され、「ここでお店をやらないか」と打診もされました。ニューヨークが気に入っていた私は、日本の店舗は手放し、ニューヨークに戻ってくるつもりで、帰国したのです。
姫路に戻ってみたら、なんと片腕として信頼していた男性スタッフの金銭トラブルが発覚したり、任せっきりのためスタッフの信頼を失ったりと散々でした。ニューヨークに戻るどころではなくなり、店を立て直すため従来の美容業界の雇用形態ではなく、アメリカ方式の業務委託によるコミッション制を取り入れてみました。
当時の美容業界では革新的なコミッション制を導入
― 日本の美容業界の雇用形態とはどのようなものだったのでしょうか。
いわゆる職人の世界です。免許を取得後、サロンに就職して、まずは掃除や雑用、シャンプーを担当しながら、師匠の技を見て覚えるわけです。ヘアカットができるようになるまで、5年もかかるサロンもあります。雇われ店長になっても給料が低く、日本の美容師の平均年収は300万に満たないといわれています。
その一方コミッション制は、サロンでは技術を教えず、アシスタントも自分で雇ってもらいます。給与を支払うのではなく、売り上げの何割かを美容師からもらうという管理や教育が不要な業務委託制です。当時の日本では革新的でした。
コミッション制は5年間はうまくいき、美容師の収入もかなりアップしました。しかし、特に若い人は「成長がない」「感動がない」と満足できないことを実感したので、教育・育成するサロンへ方向転換しました。
日本の美容界に革命を!「ステップボーンカット」を考案
― 「ステップボーンカット」はどのように誕生したのですか?
私は当時、ハサミ2本を持って円を描きながら切る技法を使っていたのですが、習得するまでに時間がかかります。短時間で習得できて、最高の仕上がりになる技術はないかと試行錯誤した結果、習得も早く、効率的にカットできて、「漫画の少女の髪」でさえ実現できる技術を生み出しました。私は、自分の感覚に頼って切っていると思い込んでいたのですが、論理的に体系化できたので動画も作り、誰でも習得できるカリキュラムに落とし込めました。これがのちに「ステップボーンカット」として確立されたのです。
― その後、この技術は特許も取得。「日本小顔補正立体カット協会」や「STEP BONE CUT ACADEMY」も設立されました。何かきっかけがあったのでしょうか。
2010年に『FOR JAPANESE HAIR DRESSERS日本の美容師たちへ』(PARADE BOOKS)を出版しました。執筆の過程で、日本の美容師たちの地位を高めたい、という思いが強くなったことも、きっかけだったかもしれません。アジアでは、技術にお金を払う文化が定着していません。カラーは材料を使うので高くても納得、一方でカットは手仕事なので、時給で2000円なら十分という、運営コスト抜き扱いですよね。
ところが、欧米では、日本の美容師の技術は高く評価され、それなりの対価が支払われています。なぜ、日本でがんばる美容師は貧しいのだろうと。技術力を高めて、正当に評価される美容師をつくろうと決意したのです。「日本の美容界に革命を起こす」という意気込みでした。
― 実際に、「STEP BONE CUT ACADEMY」で学んだ美容師の収入が上がっていると聞きました。
カット料金1万円以上の美容師も増え、年収1000万円を超える美容師も誕生しています。日本でも、圧倒的に優れた技術を示すことができれば、お客さまも価値を感じてお金を支払ってくださいます。何より、美容師自身がその技術に感動し、自信を持って仕事に取り組むことができています。
ビューティーショーをきっかけにNYにサロンをオープン
― 最初から、世界へ広げることも視野に入れていたのでしょうか。
世界など、大きなことは考えていませんでした。ところが、どこから見つけてくれるのか、中国、韓国、台湾、インドネシアなどから「SAYURIの技術を学びたい」と来る生徒さんもいます。アカデミーの授業は日本語なので、自分で通訳を連れてくる人も。その意欲に感心します。卒業生が国に戻り、その技術に周りの美容師やお客さまが驚き――。勝手に広がっている感じでしょうか。
― 2017年に30代で1度は諦めたニューヨークにサロンをオープンされましたね。
ニューヨークは好きな街でしたが、まさか「ステップボーンカット」でニューヨークに戻ってくるとは思いませんでした。2015年に IBS ニューヨーク(アメリカ最大のビューティーショー)で講師を務め、3日間で全米から集まった600人のヘアアーティストに「ステップボーンカット」を体験してもらいました。そこで興味を持ってくれたアーティストが学び、働く場所として、ニューヨークに拠点を作ったという流れです。
しかし、開店はお金も時間もかかりました。さまざまなトラブル続きで、予定より半年以上ずれ込みました。しかも姫路に住む母親の介護のために私は姫路に残ることになり、ニューヨーク店はスタッフに任さざるを得なかったのです。
今も私は姫路とニューヨークを行き来しています。ニューヨークの店舗は、日本人スタッフと、ニューヨークでアカデミーを終了したアメリカ人スタッフがしっかり回してくれています。
すべては与えられた使命を果たすために
― SAYURIさんのビジネスや活動のエネルギーとなっているものは何でしょうか。
私には、生まれ持ったアート性と技術を生かして、果たすべき使命があると感じています。その使命とは、「日本の美容師の価値を高める」「アジアの女性を世界一美しくする」「ステップボーンカットを世界のスタンダートにして、人々を幸せにする」ということ。これらが私の使命だとしたら、私が行ってきたこと、私に起きたことが、すべてその使命につながり、つじつまが合うのです。
― 最後に、SAYURIさんにとって、ニューヨークとは?
がんばる人を応援してくれる街だと思います。都会でありながら、厳しい自然の影響も受けていますし、人もより直感に従って生きている感じがします。「ステップボーンカット」を体験してくださったお客さまも、子どものように素直に感動と喜びを表現してくれるのでやりがいがありますよ。抱きつかれることも珍しくありません(笑)。
次のコーナーでは、サロンでのイベントに潜入したNexTalk編集スタッフのミキティがレポートをお届けします!