ユニアデックスが20回目の設立記念日を迎えたことを記念して、作家、演出家、画家である大宮エリーさんにエッセイを執筆いただき、「NexTalk」にてご紹介しています。テーマは「20にまつわるお話」。全3篇のうち、今回は2回目の夏篇をお届けします。
20のアンサーの19番目について
前回、30代を生きるための20のルールについて書いた。その中の1つについて今回は掘り下げてみたい。
会社員時代のこと。広告代理店時代、やっとチャンスが回ってきた。5年目くらいだったと思う。それまでは、「面白くなくていいから」と言われるような仕事を振られることが多く、地味で、とても時間のかかる仕事をやっていた。コピーライターは、新人賞をとらないといけないのだけれど、賞がとれそうな自由度のある仕事は私にはまわってこなかった。それで腐っていく人もいたけれど、私はなんとか会社員を続けたかったので、自分で環境を作るしかないと考えた。
小さい仕事がないなら、自分で作ればいいじゃん。そう思ったのだ。ただ、会社から言われている仕事はきちんとやる。誰にも文句を言われないくらいバッチリやる。その上で、他のこともやってみようと思ったのだ。
クリエーティブ局を飛び出して、営業局へ顔を出す。「あのう、クリエーティブに出せないような小さい仕事ありますか?」すると、「え?あるある。とても頼めなくて自分でコピー書いてたんだ。銀座のクラブのコースターなんだけど、やってくれる?」
「やります!」それがマスメディアに乗らなくても、自分の自由にできる表現の場、仕事の場を持った。これが自分の気持ちの健康につながったのだ。
そして、どんな小さい仕事も誰かが見ている。「これ、いいね。誰が書いたの?」そのコースターの小さなキャッチコピー、ことば、を見つけた人がお店の人に尋ねた。その人が今度は「うちのチラシ、作って欲しいな」そんな風に少しづつ、大きな仕事に繋がっていく。どんな仕事も全力でやる。それを誰がみる。誰かにみせる。そこから何かが動く気がした。
私のアンサー
そして、そういう活動や、それでもきちんと自由度のない堅い仕事もきっちりこなしていることが評価されて、5年目にして大きな仕事がきた。大きくて、しかも、面白いことができそうな仕事。やっとだ、と思った。けれど、それはクリスマスシーズンのキャンペーンで、やればがっつりその時期は何もできない。私は当時、ロンドンに住む男性とお付き合いをしていた。そして、クリスマスに会えるのを楽しみに日々の激務をこなしていた。そこですごく悩んだ。
仕事を頑張ってきたご褒美がクリスマスに彼と会えること。ロンドンで過ごすこと。でも、仕事を頑張ってきたからこそ回ってきた仕事のチャンス。さあ、どうする。そこで、アンサーの19番なのである。
私は、誘ってくれた、チャンスをくれた先輩にこう言った。「死ぬ前に、ああ、あのキャンペーンやっておけばよかった、って思わないと思うんです。でも、きっと、あのときクリスマスに行っておけば、とは思うと思うのです」
といって、私はロンドンへ行った。これには先輩も周りもびっくりしたのである。なぜなら私は仕事にかなりガツガツした人間だったから。チャンスの仕事がないなら、自分らしい仕事がないなら、作ればいい、とってくればいい、と考える仕事人間だったので、「まさかあの大宮が断る?!」とかなり会社がざわついたことは言うまでもない。
ただ、私が思うにそういう人間のドラマ、人間らしい気持ちに従った出来事、というのが、後々の仕事に深みを出すように思うのだ。やっぱり、仕事するなら面白い人、人間らしいひととしたいもの。
自分の「気持ち」を大事にできてこそ、人の「痛み」や、「気持ち」をわかってあげられる。相手を思うサービスが提供できるのだと思うのだ。
だから、20のアンサーの19番は、いまでも私のアンサーであり続けている。