造園家だったイギリス人のマギー・K・ジェンクスは、がん闘病中「一人の人間としていられる場所と、友人のような道案内がほしい」と願い、行動を起こしました。エジンバラの病院敷地内に、がんに影響を受ける誰もが気軽に立ち寄れる空間を作ったのが「マギーズセンター」のはじまりです。本人は1996年のオープンに間に合わず亡くなってしまいましたが、彼女の遺志を受け、その後イギリス国内外で27カ所のマギーズセンターが誕生しました。

寄付で運営するマギーズセンターを、ぜひ日本でも実現したい! と奔走した人たちがいます。2016年に豊洲でスタートし、2021年10月に5周年を迎えた「マギーズ東京」

トヨスの人第9回は、日本で初めてのマギーズセンター、「マギーズ東京」が、どのようにして誕生したかを、共同代表でセンター長の秋山正子さんと共同代表の鈴木美穂さんそれぞれに伺いました。

画像: 「マギーズ東京」はマギーズ国際ネットワークの一員として、イギリスのマギーズセンターから認証を受けている

「マギーズ東京」はマギーズ国際ネットワークの一員として、イギリスのマギーズセンターから認証を受けている

秋山 この環境を体感してほしいんですよ。ソファに座ってクッションをお腹に乗せて窓の外を眺めるだけでもいいんです。木のテーブルを手でさするだけでも、気持ちが和むでしょ。ここは病院ではありませんから、カルテもないし名乗る必要もありません。がんになられた方やご家族、ご遺族、誰でも気軽に来られて無料で過ごせる場所です。看護師や、心理師、栄養士などのスタッフに、どんなことでもお話してください。

2016年に「マギーズ東京」が誕生するまでには、長い道のりがありました。まず私にとっての大きな出来事は、39歳の時に2つ上の姉をがんで亡くしたことです。余命1カ月と宣告された姉は、最後の時間を自宅で過ごしました。当時はまだ訪問診療の制度が整っていなかったんですけど、医師を捜して協力してもらったんです。姉はベッドに寝ているだけなんだけど、中学2年と小学5年の息子たちに「いってらっしゃい」や「おかえり」が言えて、学校の話が聞けました。下の子が姉の足元にちょこんと座って本を読んでいるなんて、病院では無理ですから。料理なんてやったことのなかった義理の兄は、ほうれん草を茹でてもびちゃびちゃのまま。「お浸しは、最後にちょっと手で絞るのよ」なんて姉が言ったりしてね、そういう家族の時間が過ごせたんです。私はその頃、関西で看護学校の教員をしていたので、週末になると新幹線で神奈川県の姉の元に通っていました。

画像: センター長の秋山正子さん。訪問看護をしていた頃「お隣りのおばさん」的な存在を心がけていたという。穏やかで包容力あふれる人柄なので、インタビュー中、思わず打ち明け話をしたくなったほど

センター長の秋山正子さん。訪問看護をしていた頃「お隣りのおばさん」的な存在を心がけていたという。穏やかで包容力あふれる人柄なので、インタビュー中、思わず打ち明け話をしたくなったほど

姉を亡くした2年後に、夫の転勤で東京へ。姉がお世話になった白十字訪問看護ステーションで、今度は私が看護師として働くことにしました。1992年というのは訪問看護が制度化された年で、まだ都内に9件しか事業所がなかったんです。いろいろな病気の方がいる中で、がん患者さんを看取ることも増えていきました。がんは時代とともに使える薬も増えて、長く生きられるようになりました。ただ、「もう使える薬がありません」って、半ば放り出されるみたいに病院を出て、訪問看護につながる方も多いんです。そんな時、本人や家族がどこまで状態を把握しているだろうと思って尋ねると、ずっと先の未来までを考えていたりする。それで、あっという間に亡くなってしまうわけです。医療従事者とのコミュニケーションがあまりに少なすぎるんじゃないか、と思いました。皆さん、病院では遠慮してしまうんですよね。

2008年「国際がん看護学会」にスピーカーとして呼ばれた時、同じくスピーカーだった「マギーズ エジンバラセンター」のセンター長アンドリュー・アンダーソンさんの話を聞いたんですね。衝撃を受けました。マギーズは、がんのどの時期でも予約なく行けて、無料で話を聞いてくれる、と。医療従事者が何かを教えるというよりも、がんになった人やその家族など、訪れた本人が自分の力で歩き出せるように背中を押す場所だ、というのです。しかも、寄付で成り立っている。なんて素晴らしい、と思って、アンダーソンさんにすぐにメールを送りました。翌年には、仲間を募ってイギリスのマギーズを見学させてもらいました。医療従事者の仲間だけでなく、通訳や建築のプロにも同行してもらって。その時のメンバーは、今の主要スタッフでもあります。

現地では、説明を受けるより、来た人たちが帰る時の顔を見れば一目瞭然でした。皆、好きな場所に座って、時には泣いて、看護師たちにしっかりと話を聞いてもらっていました。がんで打ちのめされた気持ち、経済的な不安や家族の悩みを話していくなかで、自分にできることに気づいたり自信を取り戻したりして、最初は下を向いていた人が顔を上げて帰っていくんです。これは本物だ、と思いましたね。日本にもこんな場所を作りたいって。マギーズはヒューマンサポートだけでなく、建築や環境もとても大切にしているんです。光の入る大きな窓やキッチン、暖炉や庭を要件にしています。そういう点も、これまでの日本にはなかった発想でしたね。

画像: こだわった木製サッシの窓枠。大きな窓からは自然の光が

こだわった木製サッシの窓枠。大きな窓からは自然の光が

画像: 訪れた人を、玄関先で見送るCSS(キャンサーサポートスペシャリスト)の2人

訪れた人を、玄関先で見送るCSS(キャンサーサポートスペシャリスト)の2人

本場のマギーズにはなりえないけれど、まずは第一歩として「暮らしの保健室」を新宿に作ったのが2011年です。都営団地の1階にあるんですけどね、高齢者が多い土地柄、がんに限らず暮らしや健康に関することを気軽に相談できる場所として今も続けています。そこへ訪ねてきたのが、共同代表となる鈴木美穂さんなんですよ。2014年の4月でね、会ったその日に意気投合して。そこからは、慌ただしく動き出しました。豊洲の場所を借りられることが決まり、とにかくお金を集めなくちゃとなり、NPO法人を作り、何度もイギリスへ行ってマギーズセンターと交渉をして、センター長として現地で4週間の研修も受けました。

歩くと足元にひっつき虫がいっぱいくっつく何もなかった土地が、たった5年でこんなに変わるとは思いませんでした。イギリスのアンダーソンさんはここを見た時、「ウォーターフロントは人の心を癒すので、いい場所です」って言ってくれましたけど、本当にそうでした。木を生かした素敵な建物は、建築家の阿部勤さんの監修によるものです。

この場所は、もともとはオリンピック・パラリンピック前に土地を有効活用するためのプロジェクトとして2020年までの契約でした。東京ガス不動産が三井不動産レジデンシャルを通して、今年(2022年)まで貸してくださることになっています。その後はまだ未定ですが、このまま続けられることを願っています。

画像1: 「トヨスの人」第9回:がんに影響を受けた人たちの居場所を。「マギーズ東京」
画像: 「がんであってもなくても、自分らしく生きる」をコンセプトにした情報誌を発行。現在はWeb版もあり、マギーズを訪れることができない人も、思いを共有できる

「がんであってもなくても、自分らしく生きる」をコンセプトにした情報誌を発行。現在はWeb版もあり、マギーズを訪れることができない人も、思いを共有できる

続いて、共同代表の鈴木美穂さんにお話を伺いました。

画像: マギーズ東京の共同代表・鈴木美穂さん。乳がんの経験をまっすぐに綴った彼女の著書を読んで、恋愛や結婚、仕事の悩みを相談したいと訪れる人も多い

マギーズ東京の共同代表・鈴木美穂さん。乳がんの経験をまっすぐに綴った彼女の著書を読んで、恋愛や結婚、仕事の悩みを相談したいと訪れる人も多い

鈴木 24歳の春、なんの心の準備もないまま乳がんを告知されました。祖父母も含めて家族にがんの人は誰もいなかったので知識もなく、画像を見せられた時にはああ私死んじゃうのかな、と思いました。

当時は入社3年目で、日本テレビの記者をしていました。記者をしていなかったら、今の私はないと思っています。というのも、職業柄、先輩や関係者が紹介してくれて7つの病院の先生に話を聞きに行きました。ちょっと多すぎましたけどね。私のがんはステージ3で、HER2陽性。最も再発率が高くて質の悪いがん、と当時は言われていました。それもあって、「2年後があるかどうか……」とまで言う先生も。ただ、アメリカで開発されたHER2に効果のある薬が、ほんの2カ月前に日本でも保険適用になったばかりだったんです。ところが、私が行った病院は7つともがんの拠点病院だったにもかかわらず、その薬を知らなかったり、まだ様子見だったり、先生によって差があることが驚きでした。どこへ行っても同じ治療が受けられると思っていたからです。

その薬のお陰で、今の私がいます。8カ月間休職をして、手術と抗がん剤治療、ホルモン治療……というように標準治療のフルコースをやりました。治療はとても苦しかったです。でも何より辛かったのは、未来を全く思い描けなかったことです。同世代でがんになった人が周りにいなくて、本当に孤独でした。しかも私のがんがわかってすぐ、母と妹は仕事を辞め、海外に単身赴任中だった父も帰国してくれて、とにかく家族全員を巻き込んでの闘病だったんです。本人だけじゃなく、家族も含めて相談できるところがあれば良かったのに、と思いました。もし自分が元気になれたら、同じように若くしてがんになった人たちのために何かやろう、と心に決めました。

画像2: 「トヨスの人」第9回:がんに影響を受けた人たちの居場所を。「マギーズ東京」
画像: 丁寧に生けられた季節の花からも、「あなたに寄り添いますよ」という気持ちが伝わってくるよう

丁寧に生けられた季節の花からも、「あなたに寄り添いますよ」という気持ちが伝わってくるよう

記者に復帰後、仕事以外の時間はほとんどがんに関わることに使いました。まずはフリーペーパーの「STAND UP‼」を、同じくがんを経験した松井基浩さんと立ち上げました。若くしてがんになった人たちの体験談を、顔出し、実名で掲載したんです。病院などに置いてもらって「あなた一人じゃないよ」と伝えたかった。実はこの「STAND UP‼」は10年以上経つ今も継続していて、日本で1番大きな若年性がん患者団体になっているんです。

ヨガやフラワーアレンジメントなどのワークショップも、若いがん患者限定で始めました。同じ立場の人たちが気軽に出会える場があればいいのに、と思っていたので、一軒家を買うことを思い立ちました。一生分のローンを払う覚悟もして。実際に、元パン屋だった家を仮契約までしたんです。ところが、その冬ウィーンで開かれたがん患者支援の国際会議に参加した時にその話を周りにすると、ちょっと待て、と。「体調を崩して自分ができなくなった時でも、運営がストップしない方法をとった方がいいんじゃないか」と助言され、「イギリスのマギーズを知ってるか?」と。そこで初めて、寄付で運営しているイギリスのマギーズを知りました。自分のやろうとしていたことの、もっと先にあるのがマギーズだった。これはすごい、と思って、帰国してすぐに家の仮契約をやめました。次に片仮名で「マギーズ」と検索してみたら、数件ヒットしたすべてに秋山正子の名前がある。これはもう、秋山さんに会いに行かなきゃと思って、新宿の「暮らしの保健室」を訪ねました。

秋山さんは、私ががんになった2008年にマギーズを知って動き出しているんですよ。ただ、2014年のその時点でも、まだ日本にマギーズは誕生していないんですね。秋山さんの周りには、医療従事者の仲間がいる。でも、土地を見つける、お金を集める、広報する、の部分がどうも足りないらしいとわかりました。記者の私は、そこは得意かもしれない。すぐに不動産会社に勤めていた友人に声をかけると、ちょうど豊洲エリアの開発プロジェクトが動くタイミングだというんです。まだ法人格もない、秋山さんと私の共同プロジェクトの形でしたけど、マギーズ東京の企画を出したら何とコンペに通ったんですよ。その時に豊洲の地図を見て、はっとしました。国立がん研究センターや聖路加国際病院、がん研究会有明病院といった大きな病院がすぐ近くにあるんですね。この場所に呼ばれている、と思って。

あとはお金を用意できるか、です。今ほど馴染みのなかったクラウドファンディングを教えてもらって、目標700万円で挑戦することにしました。実は、最初に寄付してくれたのは、私の主治医なんですよ。定期検診でも「体調どう?」じゃなくて「マギーズどうなってる?」なんて会話になっていましたから。秋山さんの周りの人たちも「ついに動き出すか!」とたくさんの寄付を寄せてくださり、私の周りでも「美穂ががんだったことを初めて知ったよ」と幼稚園時代から今に至るまでの、友人知人関係者が寄付してくれて、それがどんどん広がっていって、最後は2200万円を達成できました。「今の金額では、窓がアルミサッシになっちゃいます」なんて途中経過を伝えると「木製サッシにするにはいくら必要ですか?」なんて声が届いて、「じゃあ私のお金は、その部分に使って」みたいなやりとりも。マギーズ東京は運営だけでなく、建物も窓もテーブルも、一人一人の支援でできています。

「ここを作ってくれてありがとう」と利用者の方に言っていただけると、本当にうれしいです。がんになって悪いことばかりじゃなかった、と今は素直に思えます。ここを、私も私の家族も求めていました。治療法だけでなく、がんに影響を受けた人生についても話せる場所。恋愛や結婚、仕事、経済的なことについても、気兼ねなく話していい場所です。

画像: 大きな木のテーブルは、江東区の材木屋さんからの寄付。夕方、スタッフがここに集まり1日を振り返る。右奥はキッチン。「家でも病院でもない第三の居場所に」と秋山さん

大きな木のテーブルは、江東区の材木屋さんからの寄付。夕方、スタッフがここに集まり1日を振り返る。右奥はキッチン。「家でも病院でもない第三の居場所に」と秋山さん

画像: コロナ禍もあり、電話やオンラインでの相談が増えている

コロナ禍もあり、電話やオンラインでの相談が増えている

画像3: 「トヨスの人」第9回:がんに影響を受けた人たちの居場所を。「マギーズ東京」
画像: 豊洲に雪が舞う。敷地内には「花畑活動」で地域の人たちが植えている花壇もあり、どの季節でも自然を楽しめる

豊洲に雪が舞う。敷地内には「花畑活動」で地域の人たちが植えている花壇もあり、どの季節でも自然を楽しめる

【トヨスの人――建物と土地の魅力】

本館はプレハブ建築ですが、木材を随所に使い温かみを感じさせる建物。もともとは左の本館1棟の予定でしたが、展示会後に処分されるはずだった右の棟を譲り受けて2棟に。建築家の阿部勤さんが美しく融合させました。

画像4: 「トヨスの人」第9回:がんに影響を受けた人たちの居場所を。「マギーズ東京」
画像: 渡り廊下でつながっているアネックス棟では、ヨガなどのグループプログラムや食事と栄養についてのセミナーなどが行われる

渡り廊下でつながっているアネックス棟では、ヨガなどのグループプログラムや食事と栄養についてのセミナーなどが行われる

画像: マギーズの建築には、「プライバシーが保てる個室」という要件もある。障子を使い閉塞感なく仕切れるようにデザインされている

マギーズの建築には、「プライバシーが保てる個室」という要件もある。障子を使い閉塞感なく仕切れるようにデザインされている

画像: すぐ近くを晴海運河が流れる。水辺は、人の心を和ませる大切なアイテムの1つだ

すぐ近くを晴海運河が流れる。水辺は、人の心を和ませる大切なアイテムの1つだ

画像: がんをサポートするスペシャリストが常駐。いつでも気軽に相談できる。 上段左から、岩瀬さん(保健師)鈴木さん(ボランティア)岩城さん(看護師)木村さん(看護師)神保さん(事務局)下段左から、栗原さん(公認心理師)秋山さん、鈴木さん

がんをサポートするスペシャリストが常駐。いつでも気軽に相談できる。
上段左から、岩瀬さん(保健師)鈴木さん(ボランティア)岩城さん(看護師)木村さん(看護師)神保さん(事務局)下段左から、栗原さん(公認心理師)秋山さん、鈴木さん

【マギーズ東京】
東京都江東区豊洲6-4-18
電話 03-3520-9913
Fax 03-3520-9914
ホームページ https://maggiestokyo.org/
月曜~金曜の平日 午前10時~午後4時まで(土日・祝はイベント時のみオープン)
夜間オープン(ナイトマギーズ) 原則毎月 第1・3金曜 午後6時~8時
※コロナ禍のため、現在は来訪する前に電話やメールで連絡を。

写真:阿部了 文:阿部直美

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