ITと新たな分野を掛け合わせた取り組みをご紹介する「IT×○○」。今回お話をお伺いしたのは、株式会社タヌキテック代表取締役の市川浩也さんです。自身も消防職団員を経験し、ITを活用した防災力の向上が急務であると痛感したといいます。そこで現場を見える化し、自治体と地域の消防職団員をスムーズにつなげるための消防団向けアプリ「FireChief(ファイヤチーフ)」を開発。アプリの開発に至った経緯やアプリの特徴、現状の課題や今後の展開について伺いました。
夢は消防士から消防の制度づくりへ
― 消防団向けアプリというニッチともいえる事業を展開されています。なぜ消防職団員を支援しようと思われたのですか。
子どもの頃の夢が消防士だったんです。消防車で災害現場に向かう姿や、困っている人を助ける姿がヒーローに見えて。そして20代の頃にはいつしか“消防活動の制度をつくる側”の人間になりたい、という夢に変わっていました。
実は、20代の頃から消防団が地域防災の最後のとりでと位置づけ、経験や資機材の取扱いに長けた、「高度消防団構想」を考えていました。実際の消火や救助活動というのは、消防の仕事としては15~20%程度なんです。あとは住宅をはじめ、映画館といった商業施設などの防火だったり制度づくりだったりと、火災が起きないための業務や万が一災害が発生した時の計画などの見えない仕事のほうが多いことを知ったんです。
それで、消防職団員がいかに早く救助活動できるか、またいかに効率よく資機材を使うかなどの消防団のルールづくりをしたいと思うようになりました。しかし、内部から行政・制度改革を行うのはとても難しく感じ、外からサポートしようと起業したというわけです。
ー 目標の実現に立ち上げられた「タヌキテック」ですが、とてもユニークな社名です。
タヌキテックの「タヌキ」は、居酒屋などの前にある信楽焼の狸の置物が由来です。大きな笠は自分の身は自分で守る、持っている徳利は人徳を身につける、など「八相縁起」と呼ばれる8つの縁起を表しています。これらは災害が多発している今の日本にとって「防災」という観点で非常に意味のある縁起だと思いました。
また、タヌキは人間のコミュニティーに近い里山に生息していて、身近な存在です。地域住民で成り立つ消防団は市民にとってまさに身近な存在ですので、それらを表現した「タヌキ」を社名に入れようと思いました。それにもの作りの「テック(tech)」を組み合わせて「タヌキテック」という造語を作り、それを社名にしました。
― ところで消防団と自治体の消防本部との違いや関係性を教えてください。
実は地域の消防団も公共の団体で、非常勤の地方公務員なんです。ですので、しっかりと法的権限があり、日々訓練をしていますが、あくまで有償のボランティアであり非常備消防と呼ばれています。地域によって大きく異なるんですが、消防職団員が消防本部の隊員と最前線で一緒に活動しているところもあるほど、その働きが重要な役割を担っていることも多く、特に人員を必要とする災害では非常に重要な消防力です。
日本ではボランティアで消防活動をするというイメージを抱きづらいですが、海外ではむしろボランティア消防が主体であり、消防署で働く人々がボランティアだったりして、市民から見たら誰が職業消防士かボランティア消防士か分からない国・地域もあります。日本ではその逆で99%近くの市町村が常備消防と呼ばれる皆さんがイメージされている消防署像の彼らが消防の責務を果たしていますが、1億人の人口に対して常備消防職員数は約16万人と圧倒的に少ないのです。その一方で消防職団員は年々減少傾向ではあるものの約81万人と、それでも大規模災害時には貴重な消防力であり、それを担っているのは地域住民です。
アプリで現場を見える化、的確な救助活動と団員の安全確保を目指す
― 消防団向けアプリ「FireChief」開発の経緯をお聞かせください。
消防職団員をやっている頃に、消防には大きな課題があるということを痛感したんです。例えば通信手段がなかったり、訓練基準に全国水準がなかったり。訓練の水準がないので、各地域で能力(練度)が大きく違うんです。
それを感じていた2010年頃は、南海トラフ巨大地震が起こるといわれていました。巨大地震のため広域で被災する可能性が高く、他府県からの応援が期待できないので、地域で完結した防災力が必要だと思ったんです。消防職員は約16万人なのに対し、地域住民で構成される消防職団員は80万人超いますから、その人たちを有効に活用できる仕組みがないと地域防災は破綻すると思っていました。
実際に私たちは新型コロナウイルス感染症というパンデミック災害により医療従事者の不足という現実に直面し、医療現場の負担と市民の社会的行動の制限により大きな二次災害が起こりました。あらゆる組織で非常時に備えて恒常的に多数の人員を抱え、対応力を維持するのは不可能です。予備戦力をいかに確保し、能力を向上させ、それを担う人たちの負担を軽減できるか、医療も消防も同じ課題を抱えています。
そういった課題の解消や仕組みを実現するために、まずはアプリによる省力化や負担軽減の実現をしたいと思っていましたが、本当に現場の需要はあるのか、資金を投入する前に徹底した市場調査や必要最小限度の開発に留め、ユーザーとなる消防職団員にインタビューしました。
そこでリサーチをしてみたら、大きなニーズとマネタイズポイントがあることが分かったんです。最初に導入を決めてくれた東京消防庁や松江市消防本部から意見や要望を挙げてもらい、それらと自分たちが必要であると思った機能を実装して完成したのが「FireChief」です。
現在では、11自治体が利用していて、アプリの手応えを感じています。
― ご自身の消防団経験を基に誕生した「FireChief」の開発や仕組み、特徴について教えてください。
ベースとなる基幹部分は自社開発で設計しました。アップデートで提供する追加機能に関してはNDA(秘密保持契約)を締結して技術力の高いシステム会社と協業している部分もあります。
これまでは実際に災害が起きたら、消防本部から消防団へ電話で伝達していたんです。しかし、電話だと現場住所の聞き間違いがあったり、消防職団員は現場に向かう際に自分で場所を調べないといけなかったり、という問題がありました。また、実際に現場に向かうとしても、誰が向かっていて現在地はどこなのかが把握できないという課題もありました。ところが「FireChief」を使えば、一斉に出動指令を出すことができ、受け取る消防職団員には地図や住所が表示され、これまでは電話連絡網により一つのグループで累計30分程度の時間を消費していましたが、数秒で正確な情報が通知され現場に出動することが可能となりました。
このアプリは本部と団員をつなぐグループウエアですので、団員の安全管理にも活用できます。東日本大震災では多くの消防職団員が殉職されています。これを使えば気象警報が出たら、瞬時に自動でアラートを通知し、現在位置を把握した上で本部や団長から消防職団員へ緊急退避の指示を出すといったこともできるので、受傷事故を減らせるのではないかと思います。
また、被害現場の動画像を災害対策本部に送る際、機密情報保護という観点から消防団員の端末に保存せずに送れる仕組みになっています。これも「FireChief」の特徴の一つです。
こういった消防職団員から送られてくる現場の情報や市民からの情報、Twitterの救援要請などを集めて災害対策本部のシステム側でインシデントを判定し、地図上に落とし込んでいけば可視化できます。災害対策本部、消防職団員、関係各所の自治体、消防本部、内閣府や消防庁などの中央省庁へ、リアルタイムに情報共有できれば、限られたリソースの投入を最適化でき、適切な人命救助活動ができるようになると考えます。
― 利用者の情報共有を円滑にするだけでなく、機密性の保持も確保できるとは驚きました。利用者や自治体からの反響はいかがでしょうか。
「FireChief」を使うことによって、消防職団員へは電話ではなくデジタル情報で指令が来ますので、以前よりは格段に間違いも減り、効率的になったと思います。ここで、大きなメリットを享受するのは消防職団員ばかりではありません。消防本部や役場では収集された災害に関する膨大な紙の資料を処理することがネックになっていました。しかし、すべてデータを管理できるようになるので、事務処理負担が劇的に省力化できたという喜びの声をたくさん頂戴しています。災害対応だけでなく、消防での事務処理において書類作成や決済のデジタル化を図っており、業務管理においても消防をサポートしています。
メード・イン・ジャパンの「防災」を新しい日本の産業として海外へ
― 今後の展望をお聞かせください。
あらゆる情報、被害状況を見える化して、適切に消防力を投入できるシステムをつくっていきたいです。将来的には大規模災害時に先ほどの地図上に落とし込んだ情報からインシデントの判定を行い、重要度の高い事案に常備消防を、対応が消防団のみで完結できる事案には消防団を出動させることで消防リソースの最適化が可能となります。転戦が多くなる大規模災害時での消火や救助を担う消防職団員の投入を合理化でき、活動する消防職団員の負担も軽減できます。
国が掲げている「Society 5.0」の社会とはサイバー(仮想)空間とフィジカル(現実)空間が融合した高度な情報社会であり、その社会における次世代の消防に求められることは、ICTなどを活用することであらゆる情報を可視化させ、必要な時に必要な情報を入手でき効率的な消防活動が可能となることです。私たちはその未来の消防の姿を「スマート消防」と呼んでいます。
― 具体的なアイデアはありますか。
ドローンやスマートウォッチとの連携や開発ですね。生存者を消防ドローンで発見したり、Web上の救援情報などを地図上にプロットすれば、消防本部が迅速な救助の活動方針を定めることが可能となります。あと、実は消火活動では、ホースの現在位置の把握というのがとても大事なんです。例えば対面で放水してしまうと水の叩き合いになってしまい、受傷事故につながります。隣の家屋への延焼を防ぐためにはどのポジションで放水すべきかを的確に判断する必要があります。放水には熟練した経験やテクニックが必要なんです。そういう放水位置の判断や指示を現場で行う隊員や団員がいて、常に走り回っていることもあります。ですから、適切なホースの位置や向きをスマートウォッチ版「FireChief」によって現在位置を見える化できれば、指揮隊の活動方針もスマートにできるようになります。これは早ければ2021年から取り組もうと思っている案件です。
また、携帯キャリアと提携し、一般市民向けの防災機能に特化したスマートウォッチをリリースすることで、特に高齢者や障害者の独居世帯の方々の緊急時の通報をよりスマートにします。具体的には救急の場合、スマートウォッチが傷病者の異変を検知すると119番消防指令センターで通報を行い、傷病者のバイタルサインや既往歴、かかりつけ医を伝送します。センターと傷病者はデバイスでの会話や、傷病者から手動での通報も可能です。
また、独居世帯の方には近隣の民間の協力員のサポートがあり、協力員に対してアプリで通知することで、センターが電話で協力員に連絡する業務も削減できます。これにより救急隊が病院選定や病院交渉をスムーズに行え、FireChiefと病床管理システムを接続できれば現発(救急隊が現場から病院へ出発すること)までの時間が大幅に短縮できます。現在、緊急事態宣言解除後より大学病院の救命センターとドクターカーの指令管制にFireChiefで検証を行う予定で、医療機関との連携も今夏より開始します。
―防災という観点からの未来像、理想像をお持ちであればお聞かせください。
昨今、日本をはじめ東南アジアでは自然災害のリスクが高まってきています。自然災害は「人類共通の課題」ともいえるのではないかと思っています。実際にSDGsでは住み続けられるまちづくりを11番目の開発目標としており、その中で「仙台防災枠組2015-2030」が採択されました。日本から世界に向けて防災においての持続可能な社会を提唱しているんです。私たちはその開発目標を2030年までに達成するべく、ICTを駆使して「誰もが安心安全に暮らせる社会」をつくっていきます。
防災意識の高い日本の新しい産業として、新しいメード・イン・ジャパンの「防災」というコンテンツを世界に持っていきたいというのが夢です。東南アジアなどはまだまだ防災のインフラが不十分なところが多いのですが、インターネットの通信網は整備されつつあります。また、防災というのは持続しないと意味がないので、寄付などでやろうとすると頓挫しやすくなり、NPOの運営は株式会社の経営と違い非常に難しいのです。ですから、防災をビジネスにすることでサービスを持続させることが可能となり、世界へ送り込むチャンスをうかがいつつ、住み続けられるまちづくりという開発目標に向け、この国と世界の安全を願い、サービスを発展させていきたいと思っています。