1990年代、2000年代と世界のスピードスケート界を先導してきた清水宏保さん。引退後は介護・福祉事業を運営しながら、解説者やコメンテーターとしてテレビに出演しています。2018年2月に開催された平昌五輪では、スピードスケートの解説がとても分かりやすいと話題になりました。清水さんは、プレッシャーの中で世界と戦い続けた経験を基に、スピードスケートの面白さを伝える解説力をどう培ってきたのか。また、本番で力を出すポイントについてお話を伺いました。
伝える力のもとは観察力
― 世界のスピードスケート界で日本チームが活躍しています。五輪の試合の中で清水さんの解説がとても分かりやすく、スピードスケートをより身近に感じることができました。
スピードスケートは日本ではマイナー競技です。しかも五輪は4年に1回なので、私は、視聴者がスピードスケートを知らないことを前提に解説をしています。専門用語は使わずに、例えば、時速50kmで走る自動車から手を出すと後ろに持っていかれるたとえを使ったりして、選手が感じるスピードを分かってもらうようにしました。
― 清水さんは、もともと伝え方が上手だったのでしょうか、それともどこかで訓練をされたのですか。
僕自身は、決して話が上手だとは思っていません。ただ、引退後のテレビ出演の経験が大きかったですね。情報番組に出演したとき、話を回す人と、コメントをする人をじっくりと観察していました。全体をまとめながら番組を進行する司会者と、それに応じる出演者が限られた時間で話をきちんとまとめていく姿を見て、言葉の選び方や、話の受け答え方を学びました。
初めは、MCを務められていた羽鳥慎一さんや宮根誠司さんに、間の取り方だったり、イントネーションだったり、いろいろと質問をしました。プロの方は皆さん、視聴者に話題を身近に感じてもらうことを大切にしておられ、語尾のような細かいところまで気にされているのかと驚くことばかりでした。
― 情報番組での分かりやすいレース解説は、観察力のたまものだったのですね。元選手がみんな話し方を学ぼうとするわけではありません。そのモチベーションはどこからくるのでしょうか。
話し方自体に興味がありましたが、テレビの世界で生きていけると思っていたわけではありません。ただ、情報番組という環境に身を置かせてもらっている限りは、一生懸命にやろうというのが僕の考えにあります。今では北海道の情報番組(週1回「イチオシ!モーニング」北海道テレビ、月2回「今日ドキッ!」北海道放送)に出演する機会にも恵まれていますし、講演の依頼も増えています。
緊張している方がパフォーマンスは上がる
― 講演など本番に臨む際、どんな準備をされますか。
まず、頭の中でリハーサルを行います。90分のレジュメがあれば5分くらいにまとめる感じです。これは、現役時代にレースに臨むときと一緒ですね。スポーツ選手も競技に臨む前にイメージトレーニングを行います。僕の場合は鮮明な映像を頭の中に思い浮かべていました。その訓練をしていたので、今の仕事でもリハーサルをするときに頭に浮かぶ映像が鮮明なのです。
― 本番に向けた心構えは、やはりリラックスすることを心がけるのでしょうか。
むしろ、緊張している方が上手に話せると思います。
― えっ!? むしろリラックスする方がよいのだと思っていました。緊張するというのはどう理解したらよいのでしょうか。
失敗するかもしれないという不安から、緊張ばかりしてリラックスできないという人がいますが、リラックスはできるのです。むしろ緊張することの方が難しい。例えば、何かを乗り越えなければいけないというプレッシャーに直面したとき、失敗してもいいやと思えばリラックスできます。期待を裏切る準備とでもいいましょうか。しかし、必ず乗り越えなければならないのであれば、適度な緊張は必要なのです。そのバランスの上で緊張感を持つことは難しい。スポーツ選手は、この適度な緊張感を持つことが得意なのです。
― リラックスはできるけれど、適度な緊張は難しいというのは、新しい視点です。ビジネスシーンでも緊張しすぎたり、リラックスしすぎたりして失敗しているケースがありそうですね。レース本番に臨むときの気持ちの持っていき方は、選手によってさまざまでしょうね。
僕の場合は、神経は研ぎ澄ませますが、筋肉はリラックスさせます。そうすると、脳から発した体を動かす伝達物質が瞬時に神経系統を伝わって筋肉に伝わり、ベストパフォーマンスを発揮できるのです。これは大なり小なりスポーツ選手には共通だと思います。
― 平昌五輪では、小平奈緒選手が「8割でも勝てる」と発言していましたね。
小平選手は、練習を積んできた中で、1~2割の力の抜き方が身に付いていたという自信があったと思います。僕自身もそうでしたがここ一番というとき、アクセル全開で臨みたがるものです。しかし、気持ちを8~9割に抑え込むことも大事なのです。そうすることで自分をコントロールできるようになります。この1~2割の力の抜き方は、プレッシャーの下で心をコントロールする訓練で身に付くのです。
プレッシャーはサプリメントである
― お話を伺っていると、スポーツ選手は緊張感と上手に折り合いを付けているという気がします。
多くのスポーツ選手は、小さいときからプレッシャーに直面していて、それを乗り越える経験をしています。プレッシャーから逃げることは、試合に負けることにつながります。もちろん10代のときと、大人になってからとではプレッシャーの意味合いも変化しているでしょう。しかし、何度もプレッシャーと向き合うことで、そのタイミングだったり、期間であったり、さまざまなプレッシャーを乗り越える方法を身に付けるようになるのです。
― どうしてもプレッシャーから逃げたくなりますが……。
僕は、「プレッシャーはサプリメントである」と言っています。プレッシャーは何度も経験した方がよいのです。そしてプレッシャーから逃げず、緊張感をコントロールする方法を身に付けることが大事なのです。スポーツに限らず、試験勉強だったり、面接だったり、プレゼンテーションだったり、人によって向かい合うプレッシャーはさまざまだと思いますが、そこから逃げてはいけないのです。
― 大きなプレッシャーがかかる五輪でのレース直前はどのような気持ちなのでしょうか。
覚悟と準備です。それまでの4年間、金メダルを取るという覚悟を持って、毎日、納得いく練習をしてきた。後悔することは何一つないという思いで、氷のリンクの上に立っていました。
スポーツと介護・医療はもっと歩み寄れる
― スポーツ選手の経験は、特別なこととして別世界の話でとどめるのではなく、私たちの生活に中にも生かされるべきだと思います。
僕も、そう在りたいと考えています。プレッシャーとの向き合い方もその1つですが、もう1つ、スポーツと介護やリハビリはより密接した関係になるのではないかと考えています。
僕は、もともと気管支喘息の疾患を持っており、現役時代から喘息に関する啓発活動に携わっていました。その活動の中で、医療関係者から「スポーツ選手はけがの経験が多いので、リハビリなどでもっと医療現場に関わるべきではないか」という提言をいただきました。僕自身も体のことをもっと知りたいと思い、今も大学院で医学について学んでいます。
― 清水さんは今、札幌で介護事業を運営されていますね。
スポーツ選手は、介護やリハビリの分野でもその知見を生かせると考えています。体のことをよく知るスポーツ選手なら、普段あまり運動をしていない人や、体の機能が衰えてきた人に上手な体の動かし方を伝えられるのです。ただ、そのときも運動の専門的な用語ではなく、平易な言葉で伝えるのが大切です。僕にとっては、それがスピードスケートの解説で分かりやすく伝える工夫に通じています。
それに、介護やリハビリなどの現場は、スポーツ選手が大会に臨むまでの時間の使い方と似ているのです。五輪は4年間かけて準備をします。1対1で高齢者の方や患者さんと向き合うと、年単位でゆっくりと時間をかけることが大切だと感じます。その意味でも、介護やリハビリはスポーツ選手のセカンドキャリアの場となると思っています。
― 高齢化社会でスポーツ経験者の役割が求められるようになるという話には夢があります。
スポーツ選手の育成は、文化の醸成だけでなく、セカンドキャリアとして介護・医療従事者を育成するという意味合いもあるのです。
これからも僕が経験してきたことを分かりやすく伝えながら、スピードスケートで得た知見を社会に還元していきたいと思っています。