連載対談「未来飛考空間」では、ユニアデックス未来サービス研究所員がビジネスリーダーや各分野の専門家と対談し、ITや社会の未来像を探っていきます。
ゴミを見つけると、近くにいる人に働きかけて、ゴミを拾ってもらう「ゴミ箱ロボット」など、ロボット単体で完結するのではなく、周りに行動を委ねることで目的を達成する。そんな弱くもたくましい、どこかちょっといとおしい〈弱いロボット〉たちを生み出している研究室があります。豊橋技術科学大学情報・知能工学系のインタラクション&コミュニケーションデザイン研究室です。同研究室の教授であり、『弱いロボット』の著者、岡田美智男先生にお話を伺いました。
機能の“空白”をあえて埋めない
小椋 この研究室にいるロボットは、一般的なロボットのイメージとは一線を画したものばかりです。なぜ、このように機能的に完璧ではないロボットに注目しているのでしょうか。
岡田 「あまり役に立たないけど、居ないと寂しい」「自分ひとりではできないけど、周りの人に手伝ってもらって結果として機能を果たす」。そういった関係性を指向したロボットの方が、“これから”な感じがするんですよ。
小椋 学生のみなさんがそれぞれアイデアを出してロボットを作っているそうですね。岡田研究室ではどのようなコンセプトのロボットを目指しているのでしょうか。
岡田 これまでの技術開発が目指してきたのは、技術で機能の“空白”を埋めることでした。しかし、この空白を埋めずにうまくデザインすれば、私たち人間が関わる余地が生まれ、さらにその関係性の中でもっと面白い可能性が生まれる。それがこれからのロボットのデザインに必要なものなのではないかと思います。
齊藤 ロボット導入の仕事をしていて感じるのですが、今は人がしていることをロボットにやらせて効率化のメリットを出そうとするのが多い。一方で、老人ホームなどからは、お年寄りができることを増やすような支援ができないかと聞かれたりします。ロボットやAIに仕事を奪われると言われる中で、ロボットと人がうまく共存できる形がいろいろとあると思います。
岡田 人はみな思わず手助けしてしまうという“やさしさ”を持っています。人から何かをしてもらうのはもちろんうれしいけれど、自分が誰かの助けになることにも、すごく喜びを感じるものです。歳を重ねて、ある意味弱ってしまったお年寄りたちも、自分が何かの役に立っていると実感できれば、喜びを感じるんです。
ですから、ロボットがお年寄りをケアしつつ、同時にお年寄りがロボットを気にかけてケアする関係というのも、人とロボットの関係性としてあっていい。ケアしつつケアされて、お互いに弱さを補完すれば、強さを引き出し合えるケースもあります。ただ、私は必ずしもロボットの弱さをデザインしているわけではないんです。その余白や関係性をうまくデザインすることで、人が本来持っているやさしさとか、工夫を引き出せるのかなと。
ヨタヨタ感があるから人らしさを感じる
齊藤 ゴミ箱ロボットって、ちょうど「ゴミを拾おう」と思わせるような動きをしますよね。あれ以下でもあれ以上でも多分拾ってくれない。そういう絶妙なさじ加減はどう導き出しているのですか。
岡田 必ずしも人間の顔つきをしているとかではなくて、周りの環境との関係性が「人らしい」時に、ロボットに自分を重ねてしまうのではないでしょうか。お掃除ロボットも、あちこちぶつかりながら試行錯誤しているように見える姿に、人らしさを感じたりしますよね。それが宙に浮くドローンでは、周りの環境との切り結び方が僕ら人間とかけ離れているから、不気味さの方が先に立ってしまいます。
齊藤 人らしさからかけ離れないようにするための動きの秘訣は何ですか。
岡田 これらのロボットは中心にスプリングが内蔵されていて、人が背骨でバランスを取るみたいに、ちょっとした動きでヨタヨタします。これが人らしさを感じさせる。
それと目の動きです。目線というのは、生き物とのコミュニケーション上とても重要です。目線を向けると相手も目線を返してきたり、同じ方向を見て対象物を共有したり、目線でコミュニケーションを深めています。経験則ですが、ヨタヨタするなどの動きに目線がそろうと、面白いロボットになると思いますよ。
齊藤 でもトウフには目がないですよね。
岡田 そうですね(笑)。それなのに人らしさを感じるのは、こっちが顔でこっちがお尻というふうに、見る側が勝手に解釈してしまうからです。コミュニケーションにおいて意味を作り出す主体は受け手側でもいいわけです。
また、送り手と受け手が互いに委ね合って一緒につくるコミュニケーションがあります。例えば、ティッシュを手渡すとき、受け手は「あ、ティッシュを手渡そうとしている」と、送り手は「あ、受け取ってくれるのか」と解釈して、コミュニケーションが成立します。
ほんのちょっとしたやり取りの中で一緒になってつくる、このコミュニケーションを人とロボットとの間でどう構築するかについて、今一所懸命研究しているわけです。真面目に論文だけを書いていてもつまらないので、おどおどしながらティッシュを配ろうとするロボットとかを作っているんです(笑)。
ロボットも人も、全部ひとりでやろうとしない
小椋 今後、どんなふうにロボットが広がっていくのがよいと思いますか。
岡田 人とロボットが寛容的に共生してほしいですね。例えば、子どもたちがいるところへロボットを持ち出すときに、今は子どもにけがをさせないようにさまざまな防御システムを搭載しようとします。でも、弱々しいゴミ箱ロボットなら子どもたちの方がぶつからないように気をつけてくれます。結果として、ぶつからないという機能が実現されているんです。そんなふうにうまく社会に溶け込んだらいいなと。
齊藤 機能を究極的に突き詰めていく方向と、周りのやさしさを引き出して調和したり溶け込んだりする方向があってもいいですよね。
岡田 何かを提供するロボットと、提供される人との間で線引きがあると二項対立的な状態になり、相手に対する要求水準がすごく上がってしまいます。そうではなくて、お互いの弱さをうまく開示して補い合う関係が望ましいと思いますね。
多分、人もどこかで弱さを表現しながら、周りをうまく巻き込んでやっているんですよ。そこを全部ひとりでやろうとすると、非効率になったりぎくしゃくしたりする。ロボットも同じで、自分の弱さや不得手を自覚しないまま自信満々に動くと、周りに不信感や反発を持たれてしまいます。
小椋 確かに、ひと昔前のAIにもそんな面があったような気がします。私たちはよく、上から目線で機能の空白を技術で埋めなきゃいけないような話をしてしまいます。相互に補完し合う関係性によって、同様の成果を得られるというのがいいですね。
岡田 「今ちょっと困っているんですよ」なんて弱音を吐く“ひと手間かかるAI”があってもいいですね(笑)。ロボットも人も、お互いのちょっとした弱さが媒介となって関係をつくっていく。関係性って「弱さが取り持つ縁」なのではないかと、ロボット研究を通して教えられたような気がします。
文部科学省は科学技術に関する研究開発、理解増進等において顕著な成果を収めた方に「科学技術分野の文部科学大臣表彰」を授与しています。2017年4月11日、岡田先生は「弱いロボットの概念に基づく人とロボットの共生技術の振興」の業績により、この受賞者のお一人に決定されています。