「ツナイダ★チカラ」第17回
都内の企業でマーケティング担当として働く傍ら、働く人の意識変容に向けたさまざまな仕組みづくりを手掛ける高嶋 大介さん。本業に加えて複数の仕事を持つ「パラレルワーカー」として活動しています。その活動の一つである「100人カイギ」は、人と人をゆるやかにつなぐことを目的に2016年から続いており、全国139地域・延べ参加人数は74,000人を超えました。自らも見届け人として各地の100人カイギに参加する高嶋さんに、100人カイギを立ち上げたきっかけや、パラレルワーカーとして働く意義などについてお聞きしました。

多様な出会いによって、会社員としての意識に変化が起こった

― これまでの経歴と現在の仕事内容について教えてください

大学の建築学部を卒業後、中堅ゼネコンに入社し8年ほど働きました。その間に結婚して子どもを授かったのですが、景気が悪化して年収アップが望めなくなったので転職を決意しました。

転職先に選んだのは、オフィスのサプライ用品や空間デザインを販売するITベンダーのグループ会社です。そこではオフィスのデザインに携わっていました。その後は会社を変え、顧客体験やビジョンデザイン、マーケティングへと仕事内容が変化し、今は顧客のマーケティング戦略に携わっています。

画像: 100人カイギfounder/見届け人 高嶋 大介さん

100人カイギfounder/見届け人 高嶋 大介さん

― 本業とは別に、パラレルワークを始めたきっかけは何だったのでしょうか

本業でクライアントのビジョンデザインを手掛けていた2014年頃、都内に新たに共創施設を開業することになり、その立ち上げに携わりました。施設に訪れたさまざまな会社の人たちと話をしていると、会社員でありながら自分らしく働いている人がたくさんいることに気づいたのです。

当時の私は会社員とは、与えられた仕事を忠実に遂行することが何より重要だとずっと思っていました。しかし、会社のミッションを実現するために、自分でこうしたいと考えたことをする。言い換えると、会社のアセットを使いながら自己実現をしている人たちの姿を見て、「自分も与えられたことだけするのではなく、好きなことをやってもいいんだな」と思うようになったのです。それは、自分自身に課題意識があったり、変化を望んだりしたわけではなく、その気づきによって、自然と意識変容が起こったんです。

多くの人との出会いによって、会社の中でハードワークを続けてきた私の価値観はがらっと変わりました。この経験から、「自分が変われるなら、誰でも変われるはず」と考えるようになりました。そこで、人との出会いや交流を促すためのイベントを開くようになったのです。2016年に第1回目を開催した「100人カイギ」もその取り組みの一つです。

画像: 100人カイギは 2016年1月15日に第1回を東京・港区で開催。10年の間に139地域で2000回以上が開催され、延べ74,000人以上が参加した(2026年3月1日時点)

100人カイギは 2016年1月15日に第1回を東京・港区で開催。10年の間に139地域で2000回以上が開催され、延べ74,000人以上が参加した(2026年3月1日時点)

― 「100人カイギ」とはどのようなものでしょうか。

「港区100人カイギ」「札幌市100人カイギ」など、地域で活躍される方々の人生を聞くことを通じて、人と人がゆるくつながるコミュニティーです。その地域で働く方、暮らす方、学んでいる方など、その地域で活動する5人をゲストに招待して、自分の言葉で10分間の自己紹介をしてもらいます。

自己紹介の後、参加者が自発的に関係性を築いていけるよう、あえて質疑応答の時間は設けていません。5人のゲストの話を聞くイベントを20回開催し、ゲストが累計100人に到達したら、その100人カイギは解散する、という決まりになっています。

画像: 100人カイギは「ゲストが100人に達したら解散」という、シンプルなルールで開催している

100人カイギは「ゲストが100人に達したら解散」という、シンプルなルールで開催している

― なぜ、「終わり」を決めているのでしょうか。

時間をかけて何度も接点を持つことでコミュニティーは醸成されていくため、継続していくことが大事なことは理解していました。一方で、僕の中には「いつまで継続すればいいんだろう?」という疑問がありました。終わりなく継続すると、運営者のモチベーションが保てなくなり、疲弊していきます。そして何より、まず自分が飽きるだろう、と(笑)。 だから終わりを決めれば、1回1回を大事にしながら最後まで頑張れると思ったのです。そう考えて終わりを決めてスタートしました。

また、何回も続いているイベントに初めて参加したときに、すでに仲のいい人たちの輪ができていることで居心地が悪い思いをすることがよくありました。ある程度のところでコミュニティーをリセットすれば、そこでの人間関係も一からのスタートになります。100人にしたのは、まちづくりをする専門家の方に話を聞いたとき、100人くらいの話を聞くと、だいたいその地域の人間関係がわかると教えてもらったからです。

ブランドをデザインし、仕組み化したことで、全国に拡大

― 港区から始まり、どのように他の地域へと広がったのでしょうか。

港区に次いで、100人カイギという仕組みが誰にでも再現できるか検証したくなり、渋谷区で実験を行いました。その当時はまだ100人カイギのロゴも統一されていませんでした。そのうち、横浜市や千代田区などでも100人カイギをやってみたいと手を挙げる人が現れたので、100人カイギをブランド統一するための仕組みを構築していきました。

コミュニティーには、カリスマ性のある方を中心に周囲に人が集まるパターンと、目的やブランドに人が集まるパターンがあると見ています。私は、100人カイギを全国に広げていくには、仕組み化した方が確実に広がるだろうと考えたのです。

100人カイギが広がるにつれて、業務量が増え1人では仕組みの運営ができなくなってしまい、自分の会社の事業として行うことにしました。

― 振り返ってみて、大変だったのはどんなことでしょうか。

100人カイギを運営する中で、ゲスト選びが一番大変だと話すキュレーター(運営者)がほとんどですね。各地のキュレーターがゲストを選ぶ基準はシンプルで、「この人の話が面白い」と思うかどうかです。最初は立候補で登壇するゲストもいたのですが、どうしても自慢話になりがちで、他の人が共感できる話にはなりにくいと気づきました。一方、他薦であれば、少なくとも推薦した人は「面白い」と感じているわけですから、共感が得られやすいのです。経験上、「私の話なんて……」と謙遜する人ほど、興味深い話をしてくれます。

当然、面白いと思うかどうかは人によって感覚が異なります。でも、ゲストは5人いるので、その多様性があっていいと思っています。多くの参加者は5人のゲストのプロフィールを見て、そのうちの何人かを面白そうだなと期待して参加します。期待していた以外の人の話が面白かったら、期待値を超え「すごい出会いがあったんだよ!」と喜んでくれます。そのため、ゲストを5人にして期待値を上げるデザインをしているんです。

港区100人カイギを始めたころは、まだ無名のイベントだったこともあり、集客に苦労しましたが、だんだん「100人カイギに参加すれば地域の面白い人の話が聞ける」という口コミが広がり、10回を過ぎたあたりで、ゲストを発表していない段階からチケットが売れるようになりました。ゲストではなく「場」に期待して来てくれる人が増えるにつれ、必要以上に集客しなくても参加者が集まるようになりました。

― 印象に残っているゲストの話はありますか?

たくさんありますが、中でも大阪の「難波100人カイギ」に登壇したラーメン店を経営する藤原 大地さんの話は印象に残っています。

藤原さんには日ごろから目をかけていた後輩がいたのですが、ある日、忙しくて電話に出られなかった直後に、後輩は自ら命を絶ってしまったそうです。なぜあのとき、電話に出て「元気か?」と声をかけてあげられなかったのか……。その後悔から、藤原さんは自身の会社を「元気ですか」と名付けました。経営においては、売り上げだけでなく「来てくれたお客さんが笑顔で帰るかどうか」も大切にしているそうです。この話を聞いたときは、心が震えましたね。

また、「足立区100人カイギ」第1回ゲストの三浦 桂子さんも印象に残っています。三浦さんは、いじめを受けて引きこもっていた経験があるのですが、外に出られたきっかけが大好きな「石」だったそうです。三浦さんは100人カイギの場で、ひたすら石への愛を語っていました。あまりに印象的だったので、2026年2月に発行した著書で当時の様子をマンガにしています。

このように、ゲストは著名な人ではありませんし、大きな成功話を語る必要もありません。それでも彼らが語る知識や経験に基づく話は、多くの参加者の心を引きつけるからこそ、100人カイギは10年もの間続いていたのだと思います。

2026年2月に出版された著書『100人カイギをはじめよう!』(英治出版)では、100人カイギの概要やつくり方、地域のキュレーターのエピソードなどが紹介されている

次の10年で100人カイギを「ソフトな社会インフラ」へ

― 100人カイギを10年続けてきて、どのような手ごたえを感じていますか。

100人カイギを立ち上げた当初、広げていくなら社会にムーブメントを起こしたいと考えていました。ところが、コロナ禍になり、世の中からリアルな対話の場がなくなってしまった。そのときは正直、「100人カイギは終わったな」と思いました。何とかこの火を絶やさないようにYouTubeで発信も始めました。オンラインイベントの型ができていなかったので、自分でオンラインイベントを多数開催し、オンラインの型づくりなどもしていきました。そのかいもあり、コロナ禍でも100人カイギの開催に関する相談が多数寄せられるようになりました。

この10年、多くの人たちに助けられて今があります。100人カイギを知ってくれている多くの方から、「100人カイギの仕組みはイノベーションだよね」「発明だよね」と言ってもらえて、ようやく社会にイノベーションを起こせたのかなと思えるようになりました。

何よりうれしいのは、一人一人が行動を起こしたことで、変わることができたという話を聞けた瞬間です。人は人とつながりたいと思っているし、誰かの役に立ちたいと思っています。また、自分の街が好きで、もっと知ってほしいと思っている人はたくさんいます。でも、これまではやり方がわからなかった。100人カイギによって多くの人が自分の考えを表現できるようになったのは、大きな成果だと思います。

画像: 100人カイギの始動から10年を記念し、2026年1月には第1回の開催地である東京・港区で「100人カイギsummit」を開催。各地の100人カイギで登壇したゲストのスピーチに加え、さまざまな分野の専門家によるテーマセッションも行われた

100人カイギの始動から10年を記念し、2026年1月には第1回の開催地である東京・港区で「100人カイギsummit」を開催。各地の100人カイギで登壇したゲストのスピーチに加え、さまざまな分野の専門家によるテーマセッションも行われた

― 今後の目標を教えてください。

100人カイギがなければ人と人が出会えない社会は不健全なので、究極は100人カイギがなくても人がつながれる社会になればいいなと思っています。

一方で、100人カイギが今後も必要とされるのであれば、地域の人と出会う場として当たり前に100人カイギがある社会にしたい。2026年で開始から10年の節目を迎えたので、次の10年は100人カイギがソフトな社会インフラになることを目指していきたいと思っています。

― 最後に会社員を続けながら、100人カイギの活動をしています。パラレルワークの意義についてお聞かせください。

私はこれまでの経験を通して「自律的に働く人が溢れる社会をつくる」という自分の使命を見つけました。企業にいるからこそ出せるインパクトもあり、その楽しさもあります。一方で、個人の意識を変えていきたいという思いがあったのです。

だから、個人の活動を認めてもらえないのであれば、会社を辞めるしかないと思っていました。結果的に副業を認めてもらえたので、今も会社員を続けています。私は自己実現のためにパラレルワークを続けています。一方で家族の生活も守っていかないといけないので、生活基盤の維持という観点からもパラレルワーカーという道を選んだのです。

パラレルワークを通じて、本業ではなかなか得られないような経験を積むことができました。特に、意思決定の経験は会社員ではなかなかできないことです。会社の看板に頼ることなく、自分自身のスキルやノウハウを磨いていけるのも、パラレルワークの醍醐味だと思います。

近年はパラレルワークという働き方が社会に浸透し、そのためのさまざまな仕組みも整い始めています。もちろん会社員である以上、本業で成果を出し続けることは大前提ですが、本業でできないから諦めるのではなく、社外にも目を向けてどんどんチャレンジしてほしいです。その経験はきっと本業にも生かされることでしょう。

画像: 【プロフィール】 株式会社INTOTHE FABRIC代表 100人カイギfounder/見届け人 高嶋大介(たかしま だいすけ)

【プロフィール】
株式会社INTOTHE FABRIC代表 100人カイギfounder/見届け人 高嶋大介(たかしま だいすけ)

会社員として働く傍ら、自律的に働く人が溢れる社会をつくりたいとの思いから、INTO THE FABRICを設立。人と企業と社会のつながりのデザイン(組織戦略/コミュニティー/イベントマーケティング領域)を行う。ゆるいつながりがこれからの社会を変えると信じ「100人カイギ」をはじめ、多様な人をつなぐ場をつくる活動を実行している。サウナと散歩好き。

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