医療機器にITエレクトロニクスを駆使すると何ができるようになるだろうか。トレンドは二つある。一つはシステムLSIを使うことで医療機器の低価格化が進むこと。もう一つは半導体を使って治療に活かすことができるようになることだ。まず、低価格化について解説しよう。
これまでの医療用エレクトロニクスといえば、診断に必要となる生態情報を測定するマシンが主流だった。CTスキャナーやMRI(核磁気共鳴画像法)など高度な医療機器は、人間の体の断層写真を映し出す手段であり、治療する機械ではない。超音波診断装置なども同様で、1台数億円もするような機械は大病院に1台設置されているだけで、「手作り」に近い。
しかし、半導体ICが医療機器に入り出すと医療機器市場はがらりと変わる。もし大きなMRIやCTスキャナーが小型になり、椅子に座ったまま受診できるようになれば狭い空間に閉じ込められるという恐怖感から解放される。システムLSIを使って医療機器を作れば、1台1000~2000万程度の低価格にできる。かかりつけの医者が高度な診断装置を持てるようになる。
例えば、米アナログ・デバイセズ社は、小型のMRIやCTスキャナーへの応用を狙って、128チャンネルのA-Dコンバーターを製品化している。仮にアタマの断面写真を輪切りのように撮影するのであれば、360度に渡って写真を撮る必要がある。CMOSセンサーのカメラを3度おきに360度1周に渡り置くとすれば、128枚の画像をA-D変換しなければならない。そのためには128個分のA-Dコンバーターが必要になる。画像処理用のプロセッサーをはじめ、高度な半導体LSIで医療機器を作れば小型化が図れる。
半導体・エレクトロニクスが治療する
もう一つの動きである治療に関しては、従来の医療では治療できなかった疾患を、半導体エレクトロニクス技術を使って治療するというもの。その事例の一つとして、片腕のない患者に、エレクトロニクスの義手をはめてもらい、その先の指も患者の意思で動かすことのできるデモを2006年に米Texas Instruments(TI)が示した。義手に小型のモーターを組み込み、腕がモーターで動くように設計しておく。腕を動かすのは、微妙な「筋電位」を測定するべく体の胸部に取り付けられたセンサー。この筋電位を発生させる筋肉の神経は人間の脳とつながっている。人間の脳が腕を動かせと指令を送ると、胸の筋電位を変化させ、その信号をTIのDSP(デジタルシグナルプロセッサー)を通してモーター制御回路に伝える。モーター制御回路の信号は腕を動かすモーターに伝えられ、腕を動かす。さらにその先には手の指にまで制御信号が届くようにしておき、アタマの神経から指先を動かすことができた。
義手を付けた患者は、右のかごに入れたボールをつかんで左のかごに入れる、という動作を行った。最初はゆっくりとした動作だったが、訓練を積むうちに早い動作でボールを移動できるようになった。人間の神経は訓練次第で頭の信号を早く伝えることができるようだ。
失語症患者を救う
2008年のTIDCでは、声を出せなくなった人が携帯電話をかけて通話できるというデモを見せた(参考資料2)。精神的なショックなどで言葉が出なくなってしまった人でさえ話ができる。このデモでは、患者の首に筋電測定用のセンサーを数個取り付け、脳から送られてくる声帯の筋電位の信号を検出、A-D変換し、DSPを使って音声合成処理を行った。デモでは、「こんにちは、元気かい」という問いかけに、2~3秒遅れて、合成の声で応答した。
これらの事例は、既存の医学では治せない病気や疾患を、ITエレクトロニクス・半導体を使って、治療できるようになることを示している。
てんかんの発作を抑える
脳の病気の一種であるてんかんの治療実験も進んでいる。
台湾交通大学は、ネズミを用いた実験で、てんかんの症状があるネズミの脳に半導体チップを埋め込み、てんかんを抑えることに成功した(図1、参考資料3)。
これは、てんかんが起きる直前に、脳内に異常なパルスが発生するため、そのパルスを打ち消すために逆のパルスを送りこむことで、てんかんを抑えようというもの。
これまで、患者の中には薬で治療できない人たちもいるが、そういった人たちや手術のリスクが多い患者を救えるようになる。
さらに、パーキンソン病のように脳の電気信号の異常によって起きる疾患の治療にも使えるようになるだろう、と交通大学のKer Ming-dou教授は期待している。
視覚障害者にも救い
まだ実現されてはいないが、今後は視覚に障害がある患者の視神経さえ健康ならば、脳からの視神経を目の入力信号につなぐことで、症状が改善する可能性も出てきた。従来は失明すれば回復を望めなかったが、半導体エレクトロニクスの力は失明患者に希望を与えることができる。
そのヒントはグーグルのコンタクトレンズ型ウエアラブルコンピューターにある(図2)。グーグルの提案するコンタクトレンズ型のウエアラブルコンピューターでは、レンズの真ん中に小さなディスプレーアレーが並んでいる。このディスプレーの代わりにCMOSイメージセンサーを配置し、画像処理プロセッサーやリチウムイオン薄膜電池、太陽電池などを半球面レンズに実装し、視神経と接続すれば、人間の目の役割を果たすことが原理的にはできる。失明した人を救えるようになりそうだ。
IT半導体エレクトロニクスは、シリコンをうまく使うことで、あきらめていた病気や疾患を治せるようになる。今までにない世界を開くだろう。
<参考資料>
1. TIに見る、アナログ・DSPのワンストップ戦略(2006年4月号)
2. World’s first, live voiceless phone call made today at Texas Instruments Developer Conference (2008/02/26)
3. Taiwan team creates chip to control epilepsy (2014/02/27)