皆さま、いかがお過ごしでしょうか?NexTalk編集部のミキティです。2018年夏からニューヨークに滞在し、現地から記事をお届けしてきましたが、この度、3年間の滞在を終え日本に帰国しました!

日本でも世界でも、依然として新型コロナウイルスの感染症拡大が収まりません。ニューヨークも一時は感染爆発エリアとなり、非常に厳しい状態でした。ウイルスがまん延し始めた2020年3月から、経済活動の禁止・自宅待機による“ロックダウン”となり、「眠らない街」と言われていた街から人が消え、眠ったように静かになってしまったのです。

今回、ニューヨークが未曾有の危機を乗り越える様子を見てきたミキティが、日本との違いに着目しながら、コロナ禍を振り返ってみたいと思います。

行政命令による徹底した経済活動停止

2020年1月、日本で新型コロナウイルスの感染症拡大が懸念されていた頃、ニューヨークでは感染者ゼロ。ニューヨークの日本人の間では、「日本にいる家族や友人が心配」という声が多く聞かれました。ところが、3月1日にニューヨーク市内で初の感染者が確認されて以降、ニューヨークでも感染者が急増。3月7日に、州知事が非常事態宣言を出しました。

その後も、ニューヨークでは爆発的に感染者が増加し続け、3月16日からはレストランやバーでの店内飲食が禁止となり、劇場、美術館、映画館、スポーツジムなども閉鎖。さらに、生活に必須ではない事業の閉鎖、自宅待機と外出禁止の行政命令が下り、3月22日午後8時をもって、“ロックダウン”となりました。

個人的に、ここまでの展開はスピーディーだったと感じています。ニューヨークの顔ともいえるブロードウェイ、メトロポリタンオペラ劇場などが、問答無用に閉鎖されたことには衝撃を受けました。「こんな風に、上からガツンと決定・徹底できるんだ」と。

実は私は「明日からブロードウェイが閉鎖」という日に、劇場スタッフに簡単な取材をしましたが、彼は「僕たちにはどうしようもない」とあきらめモード。行政命令によるロックダウンは問答無用なのです。

画像: 2020年3月、ロックダウンしたニューヨークは観光客の姿はなく、ひっそりとしたタイムズスクエア

2020年3月、ロックダウンしたニューヨークは観光客の姿はなく、ひっそりとしたタイムズスクエア

世界中から人が集まるニューヨークは、多様性と個人主義の街です。足並みをそろえる文化もありません。ですから、日本のように各組織や個人に判断を委ねる「自粛要請」では、意味をなさないのでしょう。

一方で、日本は、全体の調和や合意ムードを大切にしながら、ゆっくり前に進む社会だと感じます。「根回し」という文化があり、組織のリーダーが大きな変革を起こすときも、事前の根回しを怠ると、反発を受ける傾向があります。

コロナ禍の非常事態においても、行政命令という形をとらず、「日本のためにがんばりましょう」と呼びかける自粛要請は、とても日本的だと感じます。日本政府は、行政命令の代わりに、日本独特の「周りを見て合わせる」「相互監視する」という村社会的な抑止力を利用しているようにもうつりました。

「自粛」というあいまいな判断を委ねられた国民をニューヨークからその様子を見ていて、「それはそれで、ストレスだろうな」と感じました。ロックダウン下のニューヨークでは、エッセンシャルワーカー以外は、「家にいる」という選択肢しか、ありませんでしたから。「ゆるい規制では、ずるずると長引いてしまうのでは」と心配でもありました。

画像: 電車の駅にて。「エッセンシャルワーカーではないなら、なぜここに?帰宅を」という趣旨の看板

電車の駅にて。「エッセンシャルワーカーではないなら、なぜここに?帰宅を」という趣旨の看板

「ソーシャルディスタンシング」と「マスク着用」の違反者には罰金も

ロックダウン下のニューヨークでも、買い物や運動のための外出は許可されていましたが、バスケットボールなどの団体競技は禁止。他人と6フィート(約1.8m)の距離(socialdistancing=ソーシャルディスタンシング)を保つことが命じられていました。違反者には、1000ドルの罰金を科されることも規定されていたのです。

マスク着用については、従来、アメリカには風邪予防や乾燥対策のためにマスクをする文化がなく、「マスクをするのは病人だけ」と思われていました。私も、コロナ禍以前の2018年冬にマスク姿で歩いていると、顔見知りの警備員に「どうした?」と驚かれました。「風邪予防のため」と答えると、「グッドアイデアだね」と笑われたほど。

そんなニューヨークでも、ロックダウンの翌月の2020年4月、公共交通機関でのマスクやフェイスカバーの着用を義務化する行政命令が発効されました。ところが、マスク着用に反発する人も多く、同年9月には、注意されても着用を拒否した場合、50ドルの罰金が課されることに。結果的に、ニューヨークでも、マスク着用の習慣が浸透しました。

画像: 「ソーシャルディスタンシング」(地下鉄駅)の啓蒙サイン

「ソーシャルディスタンシング」(地下鉄駅)の啓蒙サイン

州知事の圧倒的リーダーシップとニューヨーカーの団結

日本においては、コロナ禍における自粛要請をはじめとする施策が、何を根拠に、誰が判断したのかわかりにくいと感じますが、アメリカはリーダーの存在が明確です。

アメリカでは、各州とその知事に幅広い独自権限が認められています。コロナ禍において、ニューヨーク州知事は毎日、記者会見をライブ放送しました。会見では、感染者数や死者数、医療機関の状況についてデータを示し、自分の意思決定への根拠と思いを伝え、州民に協力を依頼。知事のリーダーシップは、ニューヨーカーに勇気と希望を与え、私の周りでも、「毎朝、YouTubeで知事の記者会見を見るのが励み」という声が多かったものです。当時は、世界からも、「非常事態における理想的なリーダー像」として注目されました。

非常事態においては、リーダーやヒーロー、あるいは敵の存在が団結の要因となることがあります。州知事は、自らが優れたリーダーとなることで、ニューヨーカーの団結を促したといえます。また、ニューヨークには、ヒーローの存在もありました。医療従事者をはじめとするエッセンシャルワーカーです。

毎日午後7時は、エッセンシャルワーカーに感謝を伝える時間。私が住んでいたマンハッタンでも、時間になるとベランダに人が出てきて、拍手をしたり、鍋を打ち鳴らしたり。救命に携わる関係者が病院前に並び、住民の拍手に応える場面にも遭遇しました。通過する車からも、感謝を込めたクラクションの音が鳴り響き、感動で胸が熱くなりました。

画像: 病院前に整列して拍手を受けるエッセンシャルワーカー

病院前に整列して拍手を受けるエッセンシャルワーカー

ニューヨーカーにとって、やり場のない悲しみと不安の中での支えが、リーダーの存在と、エッセンシャルワーカーへの感謝の気持ちだったのではないでしょうか。

ワクチンこそが希望!70%を超える接種率とニューヨークの目覚め

コロナ禍のニューヨークでは、幾度となく、「ワクチン開発を待つしかないね」「今年中にワクチンが開発されれば…」「ワクチンこそが希望」というムードがあったのです。

トランプ政権は「ワープ・スピード作戦」と称して、ワクチン開発を急ピッチで進め、2020年内の実用化にこぎつけました。ニューヨーク州でも、年末に医療従事者や教育従事者、高齢者への接種から始まり、2021年3月には一般接種も広まり、接種年齢も段階的に12歳以上にまで引き下げられました。

画像: 初期こそ予約が取りにくい状況があったものの、その後、予約なしのウォークインでも接種できるようになりました。一時は、薬局チェーン店でもワクチン接種会場に

初期こそ予約が取りにくい状況があったものの、その後、予約なしのウォークインでも接種できるようになりました。一時は、薬局チェーン店でもワクチン接種会場に

2021年1月に就任したバイデン大統領は、「集団免疫を獲得するためには、国民の70%のワクチン接種が不可欠」と繰り返し、ニューヨークでも70%の接種を目標にしましたが、4月後半から接種スピードは鈍化しました。日本と同様に、ワクチン接種を望まない人が一定数いるからです。ニューヨーク州やニューヨーク市は接種を促すべく、企業や施設とタイアップして、接種者にさまざまな特典を与える策を出してきました。

例えば、「地下鉄やバスが7日間無料で乗り放題」「動物園や水族館、植物園の入場無料」。さらに、「大リーグのヤンキースやメッツの観戦チケット」「ハンバーガー店でハンバーガーやポテト提供」などもあり、アメリカらしいですね。

そんな中、州知事は6月15日、18歳以上のニューヨーク州民の70%が少なくとも1回のワクチン接種を受けたことを踏まえ、新型コロナウイルスに関する規制をただちに解除すると発表。同日、経済再開を祝い、医療従事者に感謝の念を表す花火が打ち上げられました。また、2020年は無観客で開催された7月4日独立記念日の風物詩『メイシーズ花火大会』(メイシーズ百貨店主催)も、今年は観客エリアをワクチン接種完了者と未完了者に分け、史上最大規模で実施されました。

この頃から、ニューヨークに人と明るさが戻りました。マンハッタンで30年近く土産屋を営んでいるという男性は、再オープンしたお店で「続けられて幸せ。大好きな日本もがんばれ」とメッセージをくれました。

画像: カフェの前の看板。再オープンした店には「We are back(戻ってきたよ)‼︎」という看板が出ていたり、コーヒースタンドの客と店員が「コーヒーが恋しかった。もちろん君のこともね」「なんとか生きのびたよ」と冗談を飛ばしたり

カフェの前の看板。再オープンした店には「We are back(戻ってきたよ)‼︎」という看板が出ていたり、コーヒースタンドの客と店員が「コーヒーが恋しかった。もちろん君のこともね」「なんとか生きのびたよ」と冗談を飛ばしたり

変異株の拡大など、まだまだ予断を許さない状況ではあるものの、ニューヨークの人々は、希望とともに、ニューヨークが完全に目覚める日を待ち望んでいます。

3年で感じたニューヨークの良さ、ひるがえって感じた日本の良さ

思えばニューヨークに滞在した3年間は、「アメリカ社会の分断」と「ニューヨークの団結」の交差を体感する日々でした。コロナ禍に加えて大統領選挙、ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切だ)運動の盛り上がり、アジア系住民へのヘイトクライム(憎悪犯罪)の顕在化などを体験。政治思想、人種、宗教をベースとする根深い分断に「やはりアメリカは…」と、その複雑さを再認識しました。

一方で、コロナ禍でもたくましく生きる人々の姿も見られましたし、ネガティブな出来事が発生するたびに、それ以上のエネルギーで声を上げるデモや寄付活動などの動きが起こり、「さすがニューヨーク!」とその底力に感動。分断と団結の間を行き来しながら、アメリカという国、ニューヨークという街の強烈なエネルギーを感じることができました。

ニューヨークの良さは、「違う」が大前提にあること。ときに衝突しつつも、お互いを尊重し共存できるニューヨークをつくり上げようと、ともに模索しているのだと感じます。そして、どんな時にも失われないユーモアがあること。気持ちが張り詰める日々の中でさえ、街に出れば、他人の温かさやユーモアに触れて、ふっと気が緩む瞬間があります。そして、「やっぱり、ニューヨーク好き」と思うのです。

さて、そんな大好きなニューヨークに別れを告げて、日本に帰国して2カ月。月並みではありますが、日本の良さは、治安の良さ。穏やかな空気感にホッとしています。そして、サービスの良さ。日本人のサービスは、世界最高水準だと思います。

正直、「ニューヨークと日本、どちらが良い?」という質問には答えられません。どちらも、あまりにも個性が強く、魅力的で、オンリーワンの場所だからです。それぞれの良さを発揮して、コロナ禍という未曾有の危機をも、強くしなやかに乗り越えてほしいと願っています。

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