「おもてなし」の言葉が流行し、海外の方々をおもてなししようという意識が国内で高まっています。一方、海外にも、おもてなし精神はあります。世界のおもてなしはどのようなものなのでしょうか。47カ国を旅した過程を書いた『インパラの朝』(第7回開高健ノンフィクション賞受賞)の著者である中村安希氏に、世界の「食のおもてなし」を紹介していただきます。

フルコースディナーに招かれて

冬のリトアニアは、どんよりとした曇り空が続く。日の出は遅く、やっと太陽が昇ったと思ったら4時頃にはもう日が暮れてしまう。人々は防寒着で身を固め、無言で家路を急ぐ。北緯54度、1年の半分近くは氷点下の日々だ。こんな陰気くさい季節にわざわざやってくる観光客などほとんどいない。けれど私は、こんな冬のリトアニアが、ちょっと好きだったりする。夏の華やかさとはまたひと味違う、この土地の素顔に触れられる気がするからだ。
リトアニアに来て5日が過ぎた頃、首都ヴィリニュスに住む知り合いから夕食に誘われた。以前モンゴルを旅したときに知り合った、3人の女性旅行者たちである。彼女たちはそれぞれが家庭を持ち、市内のアパートに暮らしていると聞いていた。さっそく連絡をとり、待ち合わせ場所に向かった。すっかり日がくれてしまった丘の坂道を登っていくと、緑の屋根の教会の前に1人の女性が立っていた。指に挟んだタバコから、細い煙が伸びている。間違いない、金髪のヨルガだ。目が合うと彼女は、ふっと照れ笑いを浮かべた。

画像: 「冷たいお食事」

「冷たいお食事」

金髪のヨルガと一緒に、まずは1軒目の家に向かった。というのも今夜は、3人の自宅を順に回って食事をしていくという、フルコースディナーを計画してくれているらしい。古いアパートの階段を上りきりドアを叩くと、もう1人のヨルガがドアを開けてくれた。身長180センチに懐かしいボンバーヘアー。間違いない、長身のヨルガだ。続いて3人目の女性、栗色の毛をしたニダが加わると、いよいよ夕食会が始まった。
「まずは、冷たいお食事をどうぞ」
テーブルの上には、サラダとニシンの酢漬け、それにスモークしたハムと2種類のサラミが並んでいる。リトアニアに来てからどんなものを食べたかと聞かれたので、私はリトアニアの定番料理と言われるものを2つばかり挙げた。
「ツェペリナイ、ヴィダレイ……」
3人は少し恥ずかしそうに、それでいて親密な笑みを浮かべて頷いた。もしかしたらそれらの料理には、例えば私たちが、日本を訪れている旅行者から「納豆と湯豆腐を食べた」と言われた時のようなドメスティックな響きがあったのかもしれない。

高カロリー高脂肪の必然

前菜を食べ終えた私たちは、次に金髪のヨルガの家に向かった。夫と小学校に通う3人の子供たちに迎え入れてもらったあと、私たちはリビングのソファに座って、本日のメインディッシュの登場を待った。
「次は、温かいお食事をどうぞ」
そう言ってヨルガが運んできたのは、今まさにオーブンから引っ張りだされてきたばかりのアツアツのクゲリス、通称「ポテトプリン」だ。すりおろしたジャガイモに牛乳と卵とベーコンを混ぜ込み、オーブンで火を通した料理である。ヨルガは、ナイフで切り出した塊を皿に盛り、その上からベーコン入りのサワークリームをたっぷりとかけた。こってりしたポテトにベーコンとくれば、まさに食べ盛りが喜ぶコンビネーションである。しかし正直なところ、食べ続ければ太るだろう、とも思った。と、同時に気がついた―リトアニアに来てからずっと同じものばかり食べていないか、と。

画像: クゲリス(通称:ポテトプリン)

クゲリス(通称:ポテトプリン)

例えば、昼食に食べた定番料理「ツェペリナイ」は、豚肉をポテトで包み、サワークリームを添えた食べ物だったし、おととい食べた「ヴィダレイ」は、豚の腸にポテトを詰めてオーブンで焼いたものに、これまたベーコン入りサワークリームがかかっていた。調理法と料理名こそ違うものの、食材はどれも同じではないかと。
それではリトアニアの人は、よほどのジャガイモ、豚肉、サワークリーム好きなのかと言えば、必ずしもそうではないらしい。
「昔はこれ以外に食べるものがなかったの。今でこそ自由貿易になって、冬でも野菜や果物を食べられるようになったけど」
土地の痩せた亜寒帯の冬は不毛だ。作物は育たず、牧草地は雪で覆われてしまう。そんな厳しい環境下で人々の食を支えてきたのが、どこでも育つジャガイモと、何でも食べる豚だったのである。それに長い冬を乗り切るためには、効率よくカロリーを吸収する必要もあった。かつては、ちょっと「ふくよか」なぐらいがちょうど良かったのだ。

時代が変われば「おもてなし」も変わる

「最後に、甘いお食事をどうぞ」
3軒目のニダの家のローテーブルには、バニラアイスを添えたアップルケーキが並んでいる。私はティーカップを手にとり、3人が語るソ連時代の話に聴き入った。彼女たちは、リトアニアがソ連から独立した1990年に学生生活を送っていたらしい。
「ソ連からガスの供給が止められて、暖房なしで一冬を過ごしたのよ。私たちは学生だったから何とでもできたけど、小さい子供がいる家なんかは大変だったと思う。寒いだけでなく、食べ物にも限りがあったから」
デザートをあっと言う間に平らげた金髪のヨルガが、追加のアイスクリームを皿に盛りながら言った。
「ソ連時代は、アイスクリームも1種類しかなかったの」
すると長身のヨルガが自慢げに続けた。
「でもヴィリニュスは首都だから、特別に3種類あったじゃない」
「違う、それはガムよ! ガムは確かに2種類あったわ」
「そうそうミント味の」
「それからオレンジも! 友達とガムを交換するときの、あの興奮といったらもう」
3人はゲラゲラ笑った。それから懐かしそうに、西側から入ってきた色とりどりの食品を初めてスーパーで見たときの衝撃について語り始めた。100%果汁のオレンジジュースなるものを初めて味わった時の、なんとも言えぬ贅沢な気分について……。
彼女たちと一緒に笑いながら、私はふと考えた。これが30年前だったら、今夜のディナーは、ツェペリナイ、クゲリス、ヴィダレイの『豚ポテト3段階コース』になっていたのではないかと。そして運が良ければ食後のオマケとして、ミント味のチューインガムを1つつけてもらえていたかもしれない。
ニダがアイスクリームのおかわりを勧めてくれた。部屋の中は暖かく、満腹感が漂っている。今では若い世代を中心にダイエット志向が強く、ジャガイモや豚肉は食べないという人も多いらしい。しかし、私がリトアニアを振り返るときには、きっとあのこってりとしたクゲリスを思い出すだろう。地味に食べ継がれてきた食事には、良くも悪くもその土地の事情と時代の本音が映し出されているからだ。

画像: 中村安希(なかむら あき) プロフィール: 1979年京都府生まれ。 2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。 日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。 その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。 ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。 撮影:亀井重郎

中村安希(なかむら あき)
プロフィール:
1979年京都府生まれ。
2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。
日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。
その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。
ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。
撮影:亀井重郎

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