連載対談「未来飛考空間」では、ユニアデックスの未来サービス研究所員がビジネスリーダーや各分野の専門家と対談し、ITや社会の未来像を探っていきます。

1995年に発表されたロボット漫画『まるいち的風景』は、多くのロボット研究者から支持されている作品です。労働ロボットである「まるいち」は、人の動きをそのまま登録し、料理や洗濯などの家事を代行します。作品には、人間の暮らしにロボットが加わることの楽しさと便利さ、そして難しさが丁寧に描かれており、今読み返してみても、考えさせられることがたくさんあります。作者の柳原望先生と共に、ロボットと共生する未来はどのような形になるのか考えてみました。

画像: 柳原望(やなはら  のぞみ) 1991年デビュー。『一清&千沙姫シリーズ』『とりかえ風花伝』『高杉さん家のおべんとう』などの人気作品がある。1995年から執筆を開始した『まるいち的風景』では、家庭用ロボットが日常に入ることで引き起こす社会的問題や人間の感情的変化について、丁寧に物語化。2018年以降の未来を予言するような洞察に富んでいる。現在、『コミックフラッパー』にて『かりん歩』を連載中。

柳原望(やなはら のぞみ)
1991年デビュー。『一清&千沙姫シリーズ』『とりかえ風花伝』『高杉さん家のおべんとう』などの人気作品がある。1995年から執筆を開始した『まるいち的風景』では、家庭用ロボットが日常に入ることで引き起こす社会的問題や人間の感情的変化について、丁寧に物語化。2018年以降の未来を予言するような洞察に富んでいる。現在、『コミックフラッパー』にて『かりん歩』を連載中。


ロボットは便利であればよいのか

小椋 われわれ未来サービス研究所では、近い将来訪れる「ロボットと共存する未来社会」について調査研究を進めています。これまでもロボット研究者の方々にお話を伺いましたが、今回は少し趣を変えて、クリエイターとしての柳原先生にお時間をいただきました。漫画家の先生との対談は初めてですが、今日はこれまでとは視座の違うお話を伺えることを楽しみにしています。

柳原 ありがとうございます。

齊藤 『まるいち的風景』は1995年から執筆された作品なのに、今読んでもまったく古さを感じさせず、むしろ、ロボットと生活する未来がすぐそこに来ている今だからこそ、考えておくべき課題が描かれていることに驚きました。そこでお聞きしたいのですが、「まるいち」というロボットのキャラクターが生まれたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。

画像: 『まるいち的風景』全2巻(白泉社文庫)。ハイテクメーカーKAMATAが開発した家庭用ロボット「まるいち」は、人の動きをそっくりまねする「行動トレース型」のロボット。KAMATAのまるいち製作室にアルバイトとして入った有里幸太と、開発者の美月なな子を中心に、まるいちを巡ってさまざまな事件が起こる。「まるいち」で変わる人の日常と心情を丁寧に描くハートフルなコミック。

『まるいち的風景』全2巻(白泉社文庫)。ハイテクメーカーKAMATAが開発した家庭用ロボット「まるいち」は、人の動きをそっくりまねする「行動トレース型」のロボット。KAMATAのまるいち製作室にアルバイトとして入った有里幸太と、開発者の美月なな子を中心に、まるいちを巡ってさまざまな事件が起こる。「まるいち」で変わる人の日常と心情を丁寧に描くハートフルなコミック。

柳原 「まるいち」は、今主流のコミュニケーションロボットではなく、人間の代わりにルーティンワークをこなす労働ロボットです。人間の行動を見て覚え、その動きをそっくりまねする「行動トレース」という機能を持ち、登録された通りの作業手順でルーティンワークを進めます。会話機能はなく、コミュニケーション手段は一切持ちません。当時はロボットといえば、鉄腕アトムのような感情を持つキャラクターが多く、個人的に「なぜロボットというモノに感情を持たせるのか」という疑問があったのです。そこで、感情のないロボットと、それに向き合う人間との関係を描きたいと考えました。

齊藤 「まるいち」の場合、やってもらいたい作業を登録する時に、実際に人間がその動きをしてみせる必要があるので、「まるいち」の動作の裏に、動きを登録した人間の面影を見るということがありますよね。

例えば作品(『Post まるいち的風景』)の中に、「亡くなった夫と同じ動作でお茶を淹れるまるいち」の話があります。私も大好きな話です。夫がお茶を淹れてくれる動きは無駄が多く、温度もぬるかった。だから「まるいち」の行動も、お茶を淹れた後に背筋を伸ばすなど、ロボットらしくない無駄で非効率な動きをします。そこで主人公が、効率的な動きで美味しいお茶を淹れてくれるようにプログラムし直したら、妻は「夫がいなくなった」と感じる。つまり持ち主は「まるいち」に亡くなった人の面影を見ていて、効率さを求めているわけではありません。これを読んで、人がロボットに求めているものは何なのか、考えさせられました。

柳原 効率性や便利さの基準は、他人が勝手に決めるものではないですよね。最終的には「その人が望んでいることを、ロボットにやってもらう」という結論に行き着くと思います。そして、何を望んでいるかはその人にしか分かりません。作品の中でも描きましたが、人は正しい答えより、むしろうれしい答えや楽しい答えを望んでいる。効率性や合理性より、身の回りをいかに楽しくするかがポイントになるのかもしれません。

齊藤 効率性や合理性という言葉で割り切れないところに、ロボットがもたらす豊かさがあるわけですね。ただ技術者の感覚では、例えば「この技術を使えば、作業が30分短縮される」となると、やはり効率性を選ぶのが常です。

柳原 私自身は、効率性によってそぎ落とされる“何か”を考えた時、単純に作業時間が短くなったことを喜ぶべきかどうか疑問なんですよ。例えば配送という業務を考えても、昔は牛や馬でゆっくり運んでいました。そうして移動する間、人間は歌を歌ったり会話をしたり、自然を見たりして、そこから民謡などの文化が生まれました。効率化は、こうしたゆとりをそぎ落としてしまいます。それがよいことなのかどうかは、一概にはいえませんね。

小椋 変化する社会において、そぎ落とされた“何か”に気付き、テクノロジーによる効率性とどうバランスを取るかは、われわれのような社会基盤を提供し、社会をデザインするテクノロジー企業にとっては大きな課題になってきますね。

画像: 「まるいち」が悪用されるエピソードもある。

「まるいち」が悪用されるエピソードもある。

コミュニケーションは生身の人間と取りたい

齊藤 未来サービス研究所では、言葉を使うコミュニケーションロボットも研究しています。『まるいち的風景』を読むと、言葉ではなく、人間の想像力がコミュニケーションに大きく貢献していることに気付かされます。先ほどの「お茶を淹れる動作」もそうですが、後ろにある人間の姿を感じてロボットとコミュニケーションする。そこにあるのは人間の想像力です。

現在同人誌で発表されている『Post まるいち的風景』では、人工知能とつながって会話をするロボットが登場します。柳原先生は、どちらがお好みですか。

画像: 「まるいち」と最新鋭ロボットが対比される『Post まるいち的風景』(同人誌)

「まるいち」と最新鋭ロボットが対比される『Post まるいち的風景』(同人誌)

柳原 知りたい情報を検索したり、視力が弱くなって会話がコミュニケーションの中心になったりした場合には、言葉を使う方がいいと思います。ただ、言葉の裏にある感情に想像力を使い、思いを馳せるのであれば、その労力は生身の人間とのコミュニケーションに費やしたいですね。

齊藤 ロボットと言葉でコミュニケーションを取るのであれば、極端な話、実体のあるモノではなく、二次元のキャラクターでもいいのかもしれませんよね。ですが、ロボットが人間社会に入り、人間とよいパートナー関係を築くためには、モノという実体であることが大きなポイントになるのではないかという気がしますが、これについてはいかがでしょうか。

柳原 日本人には、もともとモノを大切にいとおしむメンタリティーがありますよね。私の友人でも掃除ロボット「ルンバ」に名前を付けて、ペットのように扱っている人がいます。ロボットが「モノとして触れることができ、感情を投影できる実体を持つ」意味は大きいと思います。「言葉を話す人型ロボット」いう文脈が入ったとしても、基本的なスタンスとして大きく変わるのではなく、これまでと同じように「モノをいとおしむ」という形で浸透していくのではないでしょうか。

ただ、繰り返しになりますが、私自身はそうしたロボットたちと会話したいとは思わないですけどね(笑)

画像: 齊藤が常に持ち歩いているコミュニケーションロボット「RoBoHoN(ロボホン)」。着せている服は、ご家族の手作り。

齊藤が常に持ち歩いているコミュニケーションロボット「RoBoHoN(ロボホン)」。着せている服は、ご家族の手作り。

テクノロジー中心の社会にはならない

齊藤 もう少し掘り下げて、作品に書かれているように、人とロボットが共生していくには何が重要だとお考えでしょうか。

柳原 個人的な考えですが、テクノロジーが発達した分、実は人間のすべきことは逆に増えているのではないかと思うのです。一例を挙げると、CO2排出問題があります。テクノロジーが発達した分、これまで自然界でバランスが取れていたことも、自然環境について人間が考えなくてはならなくなったわけですよね。私はこれを「神様の仕事を奪う」と呼んでいます。環境技術や医療技術と同じように、ロボットも、行き過ぎるとどこかで神様の仕事を奪ってしまう。その分、人間の考えることが増えるような気がしています。

テクノロジーにも、人間と同じように幼年期や青年期、壮年期があります。これまでは、「こんなことができるようになった」と喜ぶ幼年期でしたが、これからは無邪気に喜ぶだけでなく、「できてから先、どうなるか」を自分の頭で考えていく青年期の時期だと思っています。

小椋 つまり、もともと「人間は一部分」としてデザインされていた世界に、次々に新しいテクノロジーを導入したことで、旧来のバランスが崩れてきたと。新たなバランスを取るためにどうするか、考えて決断することが、未来社会に必要ということですね。先ほど、「身の回りのことをいかに楽しくするか」という言葉がありましたが、今のお考えを伺うと、柳原先生は、身の回りよりも先の未来を見据えているように窺えますが。

柳原 基本は、身の回りです。身の回りが大きくなり、それが社会になるわけですから。ただ、これからの未来については「大丈夫」と思っているんです。

小椋 未来は大丈夫と思われているのですね? それはなぜでしょうか。

柳原 『まるいち的風景』を描いたことで、ロボット研究者の方ともお話しさせていただく機会が増えたのですが、最初に『まるいち的風景』を発表した1995年当時は、テクノロジーもまだ幼年期でした。そのまま進めば、テクノロジーありきで社会システムがデザインされていたかもしれません。しかし、テクノロジーだけですべてを解決するのではなく、人との共存を考えてテクノロジーをデザインする研究者の方もたくさん活躍されています。豊橋技術科学大学教授の岡田美智男先生のように、「人の行動や優しさを引き出す」という視点で研究している方もいらっしゃるので、決してテクノロジー中心の社会にはならないはずだ、と。

小椋 われわれは「5年先10年先に、ヒトにとって豊かな社会を創れるか」という視点で研究を進めており、まだ「人間を中心とする」という視点は外せません。「まるいち」の行動トレースは、ロボットの挙動を人間が可能な動きに制約しています。その点が現在の社会デザインを崩さないで共存を可能にしているのですね。今日お話を伺って、期待する未来社会のためには、人間中心の“等身大の技術”をどう実現し、どのように組み合わせて社会をデザインしていくかが重要であると、改めて認識しました。

柳原 今後もより一層、哲学や社会学など人文系の有識者を交え、人とテクノロジーが共生する社会をデザインしていく方向になることを期待しています。

画像: 今回インタビューにうかがったユニアデックス未来サービス研究所 小椋(左)と同齊藤(右)

今回インタビューにうかがったユニアデックス未来サービス研究所 小椋(左)と同齊藤(右)

ディスカッションを終えて
『まるいち的風景』の「まるいち」は、登録した作業を何でもこなすかわいい便利なロボットです。現実に「まるいち」がいればいいなあ、と思う半面、「便利になるとその分、人間の負担が増える」という柳原先生の指摘にハッとしました。ロボットの悪用など将来の課題に対処するには、今こそ社会全体の視点で人とテクノロジーの共存関係をデザインし直す“負担”の時期かもしれません。その視点で作品を読み返すと、面白さが倍増します。

■関連リンク
豊橋技術科学大学教授 岡田美智男先生との対談「『弱さ』が取り持つ、人とロボットのやさしい関係」も併せてお読みください

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