世界中を旅してノンフィクションを書かれている中村安希氏に、各地の食の「おもてなし」を紹介していただくコーナー。第9回は、コーヒーの聖地、エチオピアで振る舞われた一杯を紹介します。淹れるのに30分かかるというコーヒーはどんな味だったのでしょうか。

コーヒーの聖地へいざ!

来客があったとき、ひとまずあなたは、どのようなもてなしをするだろう?深く考えるまでもなく、きっとあなたはお茶を出し、ちょっとばかり気を利かせて、お茶菓子を添えるのではないだろうか?もちろん、こうした習慣は日本特有のものではなく、世界中どこに行っても、たいてい「ひとまず」は、お茶が出てくる。しかし、だ。例えばこれが、コーヒー発祥の国だったらどうだろう?海外輸出高の67%をコーヒー豆が占める国、そこら中の露店に、キロあたりたった数百円のコーヒー豆が山積みにされているような国だったとしたら?
コーヒー文化に魅せられてエチオピアを訪れること3度。たまたま招き入れてもらったご家庭や、連れて行ってもらったカフェで、幾度となくカリオモン(コーヒー・セレモニー)を受けた。カルダモンなどのスパイスを効かせた一杯もあれば、テナーダムというハーブを浮かべるタイプ、それに紅茶とのチャンポンを楽しむスプリースというスタイルまで、飲み方は実にバラエティー豊か。それでいて、どこで飲んでも一定のクオリティーを越えているという、まさにコーヒー天国だ。
あの地方にはもっと良質な豆がある、あっちの豆は香りが違う、あの森の奥深くには起源となった伝説の豆の木がある。そんな数々の逸話に導かれ、私はふと気がつくとコーヒーの聖地を巡る旅に出ていた。最初の豆が発見された地、旧カファ地方のケタ・ムドゥガをジャングルの中に探し当て、エチオピア中から集められた約5,000種のコーヒーが保存登録されている遺伝子バンクの門をくぐった。そしてここからが本番だ。コーヒーに詳しい友人の日本からの到着を待って、今度は最高級の豆を追いかける二人珍道中を敢行した。目指すは南部。シダモ地方。村の名前は、イルガチェフ。

やすらぎのガーデンコーヒー

画像: 殻に覆われた状態のコーヒー豆

殻に覆われた状態のコーヒー豆

首都アディスアベバからバスを乗り継ぐこと3回。豆の生産で潤う小さな村は、わりと簡単に見つかった。辺りを囲む小高い山に昼の陽光が降り注ぎ、一帯に広がる青緑色の森をほの白く霞ませている。日暮れと共に気温が下がり、夜霧がうっすらと森を包めば、その寒暖差に引き締められた良質な豆が、細く伸びた木々の枝を豊かにしならせることだろう。
適当なホテルに荷物を投げおき、インジェラ(※)とビールで軽めのランチを済ませると、私たちはさっそく裏山に向かって歩き始めた。バスで隣席だった男の子の案内で、村の中心部を抜け、さらに奥の森へと進む。背の高い木々の間に、この地方の主食でもあるエンテーセ(偽バナナ)が大きな葉っぱを広げ、どこからともなく湧いてきた子どもたちが、私たちにくっついてデコボコ道を闊歩し始めた。丘を下り、平地を少し進んだところで、私たちはとある民家の裏手へと通された。裏庭……、というよりは、ちょっと未整理の家庭菜園のようなものだろうか。トウモロコシ、イモ類、エンテーセ(バショウ科の作物)などが、ずいぶん適当な感じで植わっている。それから背の高い木もあり、その下に細い枝を広げた木々があり、その枝の先には緑色の粒がたわわに実り……、ん?もしやこれは……。そう、この裏庭、というか、家庭菜園、というか、見たところただの薮でしかないこれこそが、私たちが探し求めていたコーヒー農園だったのだ。
「これ、ガーデンコーヒーっていう栽培方法なの。ちょっとだけ手を加えて、他の作物と一緒に育てるっていう」
友人はそう解説を入れると、さらに農園の奥へと進んでいった。

たかが一杯、されどされどの1時間

画像: 手作業で焙煎

手作業で焙煎

「コーヒー飲ませてくれるって」
隣家の女性と話し込んでいた友人が、歩みを止めてこっちを振り返った。農園を歩き回っているうちに、そこら中の子どもが集まってきて、総勢20名くらいの集団になっていた我々は、そのままぞろぞろと彼女の家の庭になだれ込み、農園主自らの手によるカリオモンを受けることとなった。なんでも淹れるだけで30分近くかかるというから、いったいどんなコーヒーが出てくるのかと、ついつい期待も高まってしまう。
女性が出してきたのは、まだ殻に覆われた状態のドライチェリーと呼ばれる豆だった。これを臼に入れ、杵でついていくと、割れた殻の中から、うぐいす色の生豆が姿を現した。豆と殻を選り分け、集めた豆をしっかりと水洗いしたところで、今度は焙煎に移る。とは言っても機械ではなく、もちろん手作業だ。焙煎用のフライパンに豆を入れ、それを炭火の上でずっと振り続けるわけだが、ここが一番の腕の見せ所。豆をこぼさないように、それでいて焦がさないように、まんべんなく色着けしていく。フライパン全体から、やわらかい煙が立ち上り始めると、辺り一帯が、あの至福の香りに包まれた。煙の下で揺れる豆たちは、こげ茶に色づき、そして照りを帯びたところで、再び臼の中に戻された。これを再び杵でついて、粉にするのだ。

画像: 30分近くかけて淹れられたコーヒー

30分近くかけて淹れられたコーヒー

コーヒーの香りに誘い寄せられたかのように、近所の人たちが周りを取り囲んでいた。粉になったコーヒーを、ジャバナと呼ばれる専用のクレイポットに入れて煮立たせているうちに、茶碗が運び出され、トウモロコシを蒸かして作ったガフンマというお茶菓子が届けられていた。茶碗に注がれた濃厚なコーヒーの、その艶やかな表面が、イルガチェフの静かな空を映し出している。
「アマサケナロ(ありがとう)」

私は、受け取った小さな茶碗の端にそっと唇をつけ、それからお菓子を少し齧った。コーヒーとお菓子、そのまったく異なる2つには、どちらも段取りを踏んできちんと作られたものだけが持つ、落ち着きのある味わいがあった。そこに流れた空気や人肌の暖かさを、きちんと感じとらせてくれるような舌触り、ここでしか出会えない純朴さがある。
家に招かれてから1時間後、すっかり空になったお茶碗を返し、私たちはようやく席を立った。彼女の家をあとにするとき、ごちそうさまと言うはずが、つい「お疲れさま」と言いそうになったのは、きっと私だけではなかったはずだ。

インジェラ:発酵させたテフ(イネ科の雑穀)を焼いたもので、エチオピア人の主食。

画像: 中村安希(なかむら あき) プロフィール: 1979年京都府生まれ。 2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。 日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。 その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。 ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。 撮影:亀井重郎

中村安希(なかむら あき)
プロフィール:
1979年京都府生まれ。
2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。
日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。
その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。
ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。
撮影:亀井重郎

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