ノンフィクション作家の視点から「世界のおもてなし」を紹介していただく中村安希氏連載の第2回は、ジャマイカの食のおもてなしを紹介します。47カ国を旅した過程を書いた『インパラの朝』で知られる中村安希氏は、ジャマイカの「謎の食」に何を感じたのでしょうか。

キハダマグロを食べるつもりが……

「ほらアキ、あそこを見てごらん、君がいるよ。君がいっぱいなっている」
言われたあたりを見上げると、大きく枝を広げた木のあちこちに、ピンク色の丸い果実がなっているのが見えた。桃にも、リンゴにも、ザクロにも見えるがどこか違う。呆然と立ち尽くす私の横で、ラスタおじさんは誇らしげに言った。
「明日の朝食は、これで決まりだな」
ジャマイカの名産品『アキー』の名を初めて耳にしたのは、首都キングストンに向かう飛行機の中だった。
「滞在中にぜひ一度、アキー&ソルトフィッシュを食べてみて」
隣席になったジャマイカ出身のおばさんが国民食として勧めてくれたのが、このアキーという謎の食べ物だった。
「アキー? で、フィッシュですか? アキー、アキ……、もしかしてアヒ?」
聞き慣れない単語だったが、語の響きからピンとくるものはあった。さすがは豊かな海に囲まれた島国だけのことはある。頭の中は『アヒ』、すなわちキハダマグロでいっぱいになり、私は唾を飲み込んだ。
上空から見下ろすネイビーブルーのカリブ海に、緑のジャングルに覆われた小さな島が浮かんでいる。レゲエの神様ボブ・マーリーを生んだ国、ラスタファリ(アフリカ回帰や菜食主義を唱える思想運動)の故郷が、もう目と鼻の先に見えていた。キハダマグロのソテーか、グリルか、いやまてよ、ここは魚の鮮度を活かして、タタキでいくのが一番だろう。期待はどんどん膨らんだ。アキー&ソルトフィッシュ。なんと素晴らしい響きだろう!
ところが、である。ジャマイカに到着した私を待っていたのは、真っ青な海、ではなく空だった。そこに群生していたのは黄色い魚、ではなく、なんとピンク色をした果実だったのである。さらにラスタおじさんは、赤く色づいた実を指差して、こんなことまで言った。
「あれはまだ食べられない。赤い実を食べると、全身が痙攣して死ぬこともあるんだ」
彼は地面に落ちていた実を1つ拾い上げると、これならいける、と目を細めた。赤い表皮が盛大に破裂し、裂け目からは、不気味な黒い種がむき出しになっているではないか。

画像: アキー(左が木になっている状態、右が地面に落ちて種がむき出しになったもの)

アキー(左が木になっている状態、右が地面に落ちて種がむき出しになったもの)

ラスタおじさんの家庭農園

おじさんが経営する宿は、コーヒー豆で有名なブルーマウンテンの中腹に建っていた。8年前、アメリカからこの地に移り住んだ彼が、自らの手で築き上げたささやかな城だ。
おじさんはもともとジャマイカで生まれ、13歳の時にアメリカに渡った。先に移住していた看護師の母親を追っての渡米だった。かつて多数の国外移住者を出したジャマイカと、主要受け入れ先国の1つであったアメリカとの間では、人の往来は常に活発で、彼のようなケースは珍しくなかったのだ。現在も、ジャマイカ国籍保有者の8割以上が国外に滞在し、その多くがアメリカやイギリスに暮らしていると言われる。つまり、おじさんもまた、そんなジャマイカ人の1人だった。
アメリカに渡った後、おじさんは大工として働いた。結婚して6人の子供を育てあげ、今では2人の孫もいる。そして第2の人生を考えたときに、彼は1人で故郷に帰ることを決意した。ラスタ精神の息づくこの土地で、コーヒー農園をやりながら、自給自足の暮らしをしていくことにしたのだ。
おじさんは立派なひげ面に、年齢を超越した筋骨隆々の肉体をしていた。ラスタファリの生活様式を守り、自然に回帰したシンプルな暮らしを営んでいる。自分の手が届く範囲のことだけを、1つひとつ丁寧にやりとげていくスタイルだ。もちろん彼は、ラスタ式の自然食『アイタル・フード』を好む、菜食主義者でもある。
「もともと肉は好きじゃなくてね。アメリカにいた時も、ほとんど食べていなかった」
朝、彼は庭で摘んだ豆でコーヒーを入れ、採れたての果物を食べる。昼間は農園の手入れと家作りに精を出し、夕方になると必要な分だけ食料を採ってきて調理する。夜は、鏡の前で鼻歌を歌いながら、ちょっぴりおめかしをし、それから、すっかり暗くなった森の奥へと、村の集まりに出かけていくのだ。

ここにしかない、やさしい舌触り

集まりに出かける前、彼は宿のゲストのために夕飯の支度をしておいてくれた。テーブルの皿には、やわらかく蒸したバナナ、ジャガイモ、カボチャ、里芋、ヤム芋が並んでいる。ささやくようにしか味を主張しない素材ばかりではあるが、どれも少しずつ違う甘みがあり、順番に食べていくと、瞑想したあとのような穏やかな気持ちになるから不思議だ。そして食べ終えた皿を流しに持っていくと、今度は黄色いとんがり帽をつけた黒い大粒の種が目についた。アキーだ。
完熟して実が弾け、有毒ガスを放出し終えた安全な実だけを集めておいてくれたらしい。おじさんは、中の種と、種にくっついた果肉を取り出し、明日の朝食用に下ごしらえを終えてから、集まりに出かけていった。ボールの中に盛られたアキーの果肉は、灯りを反射してつやつやと輝いている。
翌朝キッチンに行くと、鍋の中にはアキー&ソルトフィッシュが既に出来上がっていた。
種を取り除いた果肉とソルトフィッシュ(タラの塩漬け)を一緒に茹でたあと、野菜や香草(タイムなど)を加えて炒めただけのものである。見た目はまさにスクランブルエッグ。しかし味と呼べるような風味は特になく、ただ食感だけがあまりにも意外すぎて、私はフォークを持ったまま朝から考え込んでしまった。じっと黙考してしまったのである。

画像: アキー&ソルトフィッシュ

アキー&ソルトフィッシュ

一度も経験したことのない食感だった。野菜でも、果実でも、穀物でもなく、もちろん肉でも卵でもない。正直、何なのかよく分からなかったし、こんなに分からない舌触りは初めてだった。目隠しをして食べて白身魚だと言われれば、そんな気になっただろうし、絹ごし豆腐だと言われても、きっとそう信じただろう。柔らかくて、爽やかで、それでいて妙に存在感があって……。
「おはようアキ。アキーは気に入ったかい?」
朝のひと仕事を終えた彼のやさしい声が、裏の戸口から聞こえてきた。ブルーマウンテンを照らす朝の光が、キッチンの床にじんわりと広がっていく。のどかな気持ちで「おはよう」と返すと、この国でしか味わえない食の謎が、ようやく少し解けた気がした。

画像: 中村安希(なかむら あき) プロフィール: 1979年京都府生まれ。 2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。 日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。 その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。 ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。 撮影:亀井重郎

中村安希(なかむら あき)
プロフィール:
1979年京都府生まれ。
2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。
日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。
その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。
ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。
撮影:亀井重郎

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