ノンフィクション作家の中村安希氏に「世界のおもてなし」を紹介していただく本連載。第4回のおもてなしは、チュニジアのジェルバ島で振る舞われた豪華な食事です。革命後のチュニジアで中村氏が触れた人々の心とは――

ジャスミンの花束を受け取って

地を焦がす太陽が、水平線の向こうへ消えると、ようやく気持ちのいい浜風が吹き始めた。宿の中庭のベンチに座り、今日も読みかけの本を開く。ここ、地中海に浮ぶジェルバ島に来てから、夕方のこの時間帯が日々の楽しみになっていた。 彼が花束を持って近づいてきたのは、宿に来て3日目の夜だった。ジャスミンの白いつぼみを束ねた小さなブーケを持ってくると、無言で私に差し出した。年齢は40歳手前ぐらいだろうか、がっしりとした肉体をしている。
「私に?」
彼は微笑しただけで、何も言わずに去っていった。受け取ったブーケからは、甘い香りが漂っている。
彼は次の日も現れた。今度は小さな紙箱を抱えて。私は、ありがとう、と言ってそれを受け取り、差し出された彼の手を握り返した。ごわごわした大きな手だった。彼はまた微かな笑みだけを残して、中庭の奥に消えてしまった。箱の蓋をそっと開くと、中にはケーキが入っていた。
いったん島を離れ数日後に戻ってくると、今度は食事に誘われた。とは言っても、たぶん誘ってくれているのだろうと思っただけで、はっきりとしたことは分からなかった。フランス語とアラビア語を話す彼とは、正確な意思を伝え合うことができなかったのだ。私は「行く」とは言わなかった。食事についていくには、あまりにも詳細が分からなすぎた。いつ、どこで、何を、何のために?そもそも私は、彼のことを何も知らなかった。名前さえも。

ピリッと辛いクスクス

翌朝、たまたま宿に居合わせたトルコ人の男性旅行者と庭でフランスパンを食べているときに、彼が中庭に現れた。彼が手を振ったので振り返すと、トルコ人が驚いた声を出した。
「あの男と知り合いなのか?」
私は、それほどでもないが、ケーキやお花をもらったと言った。
「ああ、俺にもそのケーキを持ってきたよ。でも要らないって断った。変なヤツだ。いきなり家に来いって食事に誘ってきたりして」
「怪しい人なの?」
「知らないよそんなこと。なんでもリビアで戦火に巻き込まれて、こっちに逃げ帰ってきたらしい。だから悲しそうな目をしてるんだ。知らない人からケーキをもらって食べるなんて、君はどうかしてるよ」
チュニジアで革命が起きてから半年が経っていた。隣国のリビアでは、カダフィ大佐がいよいよ窮地に立たされて、戦闘は日に日に激しくなっていた。私は、少し充血した彼の目と、あのごわっとした手の感触を思い出しながら言った。
「彼の家に一緒に行かない?」
「そんな危ないこと、俺はイヤだね。そもそも君の安全を保障できない」
「じゃあ、私があなたの安全を保障すると言ったら?」
「根拠は?」
「女の勘とこれまでの経験。あなたがアラビア語で会話を助けてくれれば、きっと楽しい食事会になると思う」
トルコ人はしぶしぶ承知した。
昼過ぎに彼がタクシーで迎えに来て、私たちは砂漠の真ん中に建つ彼の家に向かった。正確には彼のお姉さん一家が暮らす家で、お姉さんと大学生の姪っ子が迎えてくれた。

画像: ボリュームたっぷりのクスクス

ボリュームたっぷりのクスクス

キッチンでは、コンロに乗った圧力鍋が既に蒸気を吹き出していて、クスクス用のシチューの支度が始まっているらしい。そっちをお姉さんに任せて庭に出た私たちは、姪っ子と一緒にテーブルの準備に取りかかった。彼は屋外用コンロに羊肉の塊を並べ、炭火でじっくり焼き上げていく。国民食のクスクスはもちろん、せっかく来客があるのだからと、ご馳走とされる羊肉までたくさん用意してくれているらしい。庭で採れたという自家製オリーブの実は、素朴な風味で食べやすかった。いったんつまみだしたら止まらなくなる味だ。
テーブルに並んだ遅いランチを囲むと、私より先に感嘆の声を上げたのは、あんなに渋っていたトルコ人の方だった。
「なんて豪華な食事なんだ!旨いよ!」
クスクスの山の上には、唐辛子とトマトで煮込んだ肉と野菜、レンズ豆がたっぷりとかけられている。唐辛子の刺激が、どんよりと暑い砂漠の午後をピリリと引き締めて、食欲がますます湧いてくる。彼と目が合った。やさしく潤んだ瞳が、美味しい?と訊いてきて、私は口をモゴモゴさせながら笑みを返した。

すべてを失い、与えた男

食事の後、彼はお茶の準備をするために席を立った。その間に私は、お姉さんと姪っ子に彼のことを訊ねた。
彼は長年、リビアでビジネスをやってきたが、革命による内乱が起こり、チュニジアへ引き揚げようとしていたところへ爆撃を受けた。車に積んでいたすべての財産は、木っ端みじんになったという。そして傷心のまま、身一つで姉のところへ帰ってきたらしい。そんな大変な状況にある人に、こんなに親切にしてもらうばかりでいいのだろうか、と私は言った。すると姪っ子はこう返してきた。
「今日の叔父は、お客さんがきたので張り切っているのか、とても嬉しそうです。だから、私たちの家に食事に来てくださったことに、家族の者として感謝します」
彼は自らお茶を淹れ、次々とお茶菓子を出してくれた。女性たちが私の足にヘンナ(染料)で模様をつけ始めると、満足そうにその様子を見つめ、今度は水タバコを取りにいった。至れり尽くせりだ。吸い込んだ煙が口内に広がり、ベリーの香りに包まれていく。陽が傾く頃まで、私たちは庭の木陰で平和な午後を過ごした。
帰りのタクシーを降りると、お礼を言って彼と別れた。往復のタクシー代さえ、彼は払わせてはくれなかった。
トルコ人が驚いたように、なんと親切な人なのだろう、と言い、なぜだ、私に問いただしてきた。
「最初から君は、あの男を信用していただろう。なぜだ、どうやって分かった」
ブーケに始まり水タバコで終わった、フルコースのおもてなしを思い返しながら「何も知らなかったし、今でも分からない」と、私は言った。彼が信用に足るかなんて、私にとってはどうでもよかった。深く考えもしなかった。ただ穏やかな時を一緒に過ごし、楽しい食卓を囲めれば、それだけで十分だ。
「あなたは、人に会ったら騙したい?それとも喜ぶ顔が見たい?」
「そりゃ、俺だったら当然……」と言いかけてややあってから「いいよ、分かったよ」と、彼はとうとう諦めたように言った。

画像: 中村安希(なかむら あき) プロフィール: 1979年京都府生まれ。 2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。 日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。 その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。 ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。 撮影:亀井重郎

中村安希(なかむら あき)
プロフィール:
1979年京都府生まれ。
2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。
日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。
その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。
ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。
撮影:亀井重郎

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