今も世界各地を旅しているノンフィクション作家の中村安希氏。各国で受けた食のおもてなしを中村氏に紹介していただく本連載の第5回は、アフリカのジンバブエでご馳走になった拉麺です。ガスもかまどもないアフリカの林の中で、中国の青年たちに振る舞われた拉麺の味とは――。

ご飯はみんなで食べるもの

これはあくまで私の個人的な体験を基にした考察だが、中国人とフランス人には、ある共通した傾向がある。それは、1人で食事をしない、またはさせない、ということである。食事風景の中に孤独な旅人の姿を見つけようものなら、彼らはその異常さを無邪気に嘆き、人懐っこく声をかけてくれる。
「どうかそんな寂しいことはやめておくれ。こっちにきて一緒に食べてくれ」と。
中国の国内を旅行中に、飛び込みで食事の輪に加えてもらったこと数知れず、その時に受けたもてなしについては、一体どこから話を始めればいいのかも分からない。ただ、中国の人たちと食事を共にしたのは、何も中国国内に限ったことではなく、とりわけジンバブエで分かち合った食事は、忘れられない味として記憶に刻まれることとなった。
彼らと偶然知り合ったのは、東アジアから遠く離れたアフリカのジンバブエという国だった。その日、街の飲食店で遅い昼食を済ませてから宿に戻ると、廊下ですれ違ったアジア人の青年がカタコトの英語で話しかけてきた。彼は中国南東部出身の26歳で、名前を陳さんと言った。
「君の名前は?」
私は「アキ」だと教えたが、発音がしづらかったらしく、彼は私のことを、漢字の「安希」を中国語読みにした「アンシ」と呼んだ。
「1人なのか?」
私がそうだと返すと、彼はちょっぴり申し訳なさそうな顔をしてから、こう言った。
「じゃあ、僕らと一緒にご飯を食べよう」
昼食をさっき食べたばかりだと返したが、彼は構うことなく立ち上がり、私を宿のキッチンへと連れていって仲間を紹介してくれた。
陳さんを含む4人の男性は、中国の通信会社から派遣されていた技術者だった。最年少の陳さん以外は誰も英語を理解できず、私は私で中国語が不自由だったが、彼らはそんなことは気にする素振りも見せず、すぐに食事仲間に入れてくれた。陳さんは、コンロの前にいた小柄な男性の肩をポンっと叩くと、威勢よく「アンシ!」と言った。
「紹介しよう、僕らの専属コックだ」

郷に入ってもやっぱり中華

コックさんがキッチンに運び入れた段ボールの中からは、中国の厨房がそっくりそのまま飛び出してきた。中華鍋と中華包丁は言うまでもないが、芝麻油、老抽王(中国のたまり醤油)、ピリ辛の漬け物やザーサイ、ひまわりの種まである。コックさんはまず、ニンニクとショウガをみじん切りにして、続いて軽快に青ネギを刻み下準備を整えた。段ボールの中からは、次々と食材が飛び出してくる。白米、鶏肉、卵ぐらいなら、地元のジンバブエ人も食べるが、ブロッコリーにキクラゲ、ニンニクの芽まで出てくると、さすがにアフリカ料理からはかけ離れてくる。
コックさんは、現在は通信会社の配線などを手伝っているが、もともとは中華料理店で腕をふるっていたそうだ。今は、献立作りから食材の買い出し、調理場の確保まで、派遣チームの食事の世話を一手に引き受けている。彼は手際よく下ごしらえを終えると、手羽先を煮込んでいた鍋を火から下ろし、中華鍋に置き換えてから火力を一気に強めた。立て続けに2品の炒め物を完成させ、最後のチャーハンに取りかかる。
「アンシ!」
陳さんがまた私を呼んだ。
「紹介しよう、僕らの専属ドライバーだ」
現れたのは、愛くるしい顔をしたジンバブエ人の男性だった。彼は、手渡された箸と皿代わりのタッパーウエアを持って、入り口の辺りではにかんでいる。
「さあ、座って座って。ビールでいいかい?」
私とドライバーは、陳さんたちのペースに引っ張り込まれるようにして食卓に着くと、5種類の中華料理に目を奪われた。
「乾杯!」
短く握った箸で、なんとか一つ目のブロッコリーをつまみ上げたドライバーに、陳さんが明るく声をかける。
「どんどん食ってくれ。ほら、もっともっと」
ドライバーと目が合うと、彼は照れ笑いを浮かべた。我流を貫くチャイナパワーの迫力には、地元民もたじたじだ。それにしてもこの卵チャーハン、ふっかふかの出来映えではないか!

電波塔の下で胸いっぱいの拉麺を

画像: 電波塔の下で拉麺

電波塔の下で拉麺

夕食の後、彼らは街の中華食材店へと車を走らせ、明日からの出張に必要な調味料を補充した。それから翌朝にはまた、地元のスーパーへ乗り付けて、食材をたっぷりと買い足した。すると陳さんが私に言った。
「僕らと一緒に、地方の現場を回ってみないか?どうせ1人なんだろ?」
私たちを乗せたピックアップトラックは、未舗装の農村地帯を進み、昼過ぎには一つ目の作業場に着いた。携帯電話の電波塔の近くで車を降りると、彼らは鉄塔の下に取り付けられた倉庫のドアを開けた。中には操作盤やコード類が詰め込まれている。いよいよ作業開始か、と思われたその時、彼らが手にしていたのは工具ではなかった。なんと中華包丁と青ネギだったのだ。
「えっ、こんなところでご飯?!」
驚く私をよそに、コックさんは段ボールから乾麺の束を取り出した。ガスもかまどもない林のど真ん中で、一体どうするつもりかと思っていると、トラックの荷台をあさっていた陳さんが、電気クッカーを抱えて戻ってきた。そして得意げに言った。
「火はないが、電気はいっぱいあるからな」
彼らは倉庫内の電源とクッカーをつなぎ、沸かした湯の中へ乾麺を放り込んだ。コックさんの舌がスープの味を確かめ、微調整が終わると、陳さんがまた「アンシ!」と言った。
「器、持ってきて!おい、ところでドライバーはどこに行った?」
陳さんは、車の陰でもじもじしているドライバーを呼びに行った。食事の時間だというのに、何を1人で突っ立っているんだ、と言いたげに。
私たちは立ったまま、荒々しく麺をすすった。汁が少ない代わりに、肉の油と醤油が程よく麺に絡まり、食欲をかき立てる。合間にふと空を見上げると、ジンバブエの青空が目に飛び込んできて、急に胸がいっぱいになった。自分は今、アフリカの林の中に立って、大好きな拉麺を食べているのだ、と思った。この未知の大陸で一人旅を始めて2カ月、こんな安心感を味わわせてくれた食事が他にあっただろうか。
「アンシ?」
コックさんにおかわりを勧められ、追加の麺を足してもらった。胸もお腹ももういっぱいだったが、彼の温かい笑みの前では、そうせずにはいられなかったのだ。

画像: 中村安希(なかむら あき) プロフィール: 1979年京都府生まれ。 2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。 日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。 その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。 ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。 撮影:亀井重郎

中村安希(なかむら あき)
プロフィール:
1979年京都府生まれ。
2003年カリフォルニア大学アーバイン校卒業。
日米での3年間の社会人生活を経て、約2年間、47カ国にわたる旅に出る。
その過程を書いた『インパラの朝』で第7回開高健ノンフィクション賞を受賞。
ほかに『Beフラット』『食べる。』『愛と憎しみの豚』『リオとタケル』の著書がある。
撮影:亀井重郎

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